2008年7月29日火曜日
2008年7月28日月曜日
語学研修終了
一昨日の7月25日に無事、語学研修が終了した。最後はデスペディーダ(日本語では送別会)をやった。手作り感満載だったが、そこそこによかったと思う。 途中、パナマの伝統的な踊りを踊った。何日間か練習したがちょっと失敗してしまった。とういか、そんなに人前で踊りたいとも思わないし、本当のところはか なりいやだった。なんでそんなものを強制されなければいけないのか、気に入らなかった。
昨日、荷造りを終えてからパナマへ移動。隊員連絡所で先輩隊員たちから歓迎会を開いてもらった。みなよさそうな人で安心した。ジャグリングを披露したが、また失敗した。もっと練習しよう。今は隊員連絡所が引っ越し中のため、不便なことも多いがやはり自分たちの家なので気楽にできる。飲みすぎて今日はちょっと二日酔いで頭が痛かった。
先日、パナマに6つある世界遺産のうちのひとつ、パナマビエホに行きました。とても美しかったので画像をアップします。
2008年7月25日金曜日
1ヶ月経過
最初は新鮮に思えたことも段々と当たり前になってきている気がする。それでは俺がここにいる意味がない。パナマ人の生活に入り込むことは大事だが、同時に外国人の目で見ることにより、現地の人が見つけられないポイントを探し出すのも協力隊員の重要な役目だと思う。
これから、常に新鮮な気持ちを持って取り組みたいと思う。
2008年7月21日月曜日
オルケスタデラルス
先日、ホストマザーが「この人たちは日本人よ。でもホントに上手だわ」(←一部想像の日本語訳です。ご了承ください)と言っていました。誰かと尋ねたら帰ってきた答えがタイトルにあるオルケスタデラルスだったのです。聞けば中南米全体で名の知れた人気バンドだとのこと。異国で頑張る日本人に励まされた気持です。
スペイン語を勉強してオルケスタデラルスが「光のオーケストラ」という意味であることが初めてわかりました。いい名前だと思いました。言葉を勉強すると、その言語と意外なところで出くわすのが楽しいです。これが言語を学ぶことの醍醐味の一つだと思いました。
お役に立てずに申し訳ない
2008年7月20日日曜日
なんで!?
まず、会議は早くに終わる予定だったのが4時過ぎ終了に。協力隊員は夜間移動が禁止されており、チリキはパナマからバスで約7時間の場所なので、当初は1時くらいには抜けてチリキに向かう予定だったが、カウンターパートも一緒だから大丈夫だろうということで最後まで会議に出席。4時45分にバスターミナル着。次のバスは? ・・・5時45分・・・ 1時間待ちました。そこでやっと乗車。常夏のパナマで真冬並み(大袈裟です)に冷えたバスで移動。途中、30分の休憩を挟みながら順調に進みました。途中までは。途中で検問がありIDを見せろとのこと。パスポートの原本を持ち歩くのは危ないからやめた方がいいと忠告されていた私は迷わずコピーを提出。検査官がちょっと見てから、バスを降りろとの指示。え~?マジ?結局カウンターパートの人にも降りてもらい、バスを待たせるわけにもいかないので先に行かせました。最近、中国人の不法入国が多いとのこと。日本人も中国人も見分けはつかないでしょう。日本人はパナマに300人しかいないし。しかもビザが入国後30日間有効のもので、発行日は5月28日。実際には6月24日に入国したのでまだ不法滞在ではないのだが、パスポートのオリジナルを持っていないので入国日を証明することができず。結局、カウンターパートが一筆書いてくれてその場はなんとか収まりましたが、今度はチリキに行くバスがない!もう夜中のことなのでタクシーも流してないし。結局、30分くらい待って次のバスが来たので、それに乗せてもらいました。
チリキの県都、ダビッドに着いたのが午前1時半、それから予約したはずのホテルに行ったのですが、なんと予約がないし、部屋も空いてないという。どうやら、ネットで調べたのは別のホテルだったらしい・・・ そこからホテルを探し、なんとか夜中2時過ぎにホテル確保。それからすぐ寝て朝、久しぶりのお湯シャワーを楽しんでから待ち合わせして職場へ。
みんな何言ってるのかわかりませんが、とりあえずいい人そうだ。ま、地方局とはいえ国の省庁に努める役人なのだからみんないい人だし、きっと優秀なのだろう。隣の局に美人がいて、ラッキー!と思ったがすでに結婚していると聞かされ若干のショックを受ける。ホームステイ先の候補2件を回り、職場で簡単な打ち合わせ。そこで核心に触れてみました。「俺に何を期待している?」 答えは、「みんなが持っている知識や経験をお前は持っていない。だからこれからみんなで教える。でもお前しか持っていない経験もたくさんある。一般企業で務めてきた経験をここで活かして、みんなに教えてほしい」とのこと。なかなか難しい。でもやりがいのある仕事だと思った。
午後2時にチリキを出発。6時間半かけてチョレラへ。結局、移動時間の方がチリキ滞在時間よりも短かったが、それなりに内容はしっかりした出張だったと思う。
チリキの空はきれいだったので写真を撮りました。見て下さい。
2008年7月17日木曜日
常夏じゃん!
ここまで書いて気づいた方も多いかと思いますが、日本の夏は35度~40度の気温が毎日続きます。そうです、日本の方が過酷な状況です。パナマ人に「日本の夏は35度~40度くらいあって、毎年何人か暑さのために亡くなってしまうんだよ」と言ったら、「エ~ッ!! パナマジャソンナノアリエマセ~ン」みたいな顔をされました。
日本から、「東京は連日30度を超えて、この前は35度でした。でもパナマの方が暑いよね?」とメールをもらうたびに申し訳なくなる今日この頃です。
2008年7月16日水曜日
最近思うこと
①足が臭くなった気がする。
あくまでも「気がする」です。水シャワーなのでゆっくりできないからさっさとあがっちゃいます。なんか臭いような気がする。あくまでも気がするです。
②水は大切
ここチョレラではたまに水が止まります。ちょろちょろの水を手に掬ってから身体にかけて汗を流すのは結構切ないです。アフリカ隊員に比べたらまだまだ水も電気も安定していて、恵まれた環境にいるのはわかっているのですが・・・ 水や電気は生活に欠かせないものだと身にしみました。
③最近ずっと眠い
最近ずっと眠いです。そのままです。たぶん、わかる部分はスペイン語で考えてるからいつもより頭を使っているので疲れやすいのかと。早くスペイン語に慣れたいです。
④早くも帰りたい
ま、3週間経ったので、そんな日もあるでしょう。日本の居酒屋が恋しい今日この頃です。
この前、たこ焼きを作ったので画像アップします。
2008年7月13日日曜日
2008年7月12日土曜日
パナマ運河
パナマ運河は全長約80キロの人工の運河です。途中、3つの水門がありそこで水位を調節して船を上げたり下げたりして船を通します。左の写真を見てください。水門の右と左で水位が違うのわかりますか?こうやって世界の経済が支えられているのだと目で確認できたのはよかったです。ちなみに、この運河の使用量ナンバーワンはアメリカ、2位が中国で3位が日本。4位か5位に韓国がきます。それなのにこの国の人は「日本と中国は違う国なのか」とか言ったり、韓国製品を指さして「日本製は最高だな」とか言ったりします。ま、確かに遠いししょうがない。前の日記でも書きましたが、我々もカメルーン人とナイジェリア人の見分けはつきません。でもなぁ、という感じです。
船が通っているところの写真も撮りたかったのですが、人がたくさんいすぎて撮れませんでした。悔しいので、パナマ運河に群がる人々の写真を撮りました。見て下さい。
帰りに首都のバスターミナルからバスに乗るとき、乗車料金の他にいくらかお金を払わないといけないのですが、25センターボ(=25セント)だと思ったら5センターボだけでした。ただでさえ言葉が通じないんだからちゃんと調べないといけないと思いました。
チョレラに戻ってからホストファミリーと映画を観ました。カンフーパンダ。面白かったけどスペイン語は相変わらずわからない。そしてまたおごってもらってしまった・・・
2008年7月11日金曜日
ダンスダンスダンス!!
色つきのスカートは奥様方がエプロンみたいな感じで使うみたいです。で、白いのが祭り用。娘のMaddisonも子供用のpolleraを来て踊っていました。日本ではどんな踊りをするの?と聞かれたのでyou tubeで東京音頭を見せました。微妙な反応でした。ちなみに昨日は国家の話になって君が代独唱しました。
今日の夕方、パナマに来て初めてスコールというものを体験しました。もの凄かった。で、30分くらいでやみましたが、おじいちゃんはしばらく気付かずにハンモックに揺られてたので焦って呼びに行きました。
2008年7月10日木曜日
今日はちょっと…
昨日、会議から帰るときに家が近い人に送ってもらった。その人は子供の誕生日とかでケーキを買っていた。ケーキを注文して出てくるまでの間に、水が溜まっていそうな穴とか缶とかを見ていた。なんでも蚊がデング熱やマラリアを媒介するので、ボウフラが発生してないか確認しているという。ここまでくると職業病だなと思った。同時に、ここまで真剣に仕事をしているプロの人たちに対して、自分が何をできるのか、ちょっと悩んでいる。ちなみに昨日の会議ではみんなパワーポイントを使ってプレゼンしていた。俺よりもパソコンの技術があるし、感染症対策の知識も経験もある。とは言っても今さら何かを得たりはできないし、辞めるなんてことは考えてないので、自分のできることを目いっぱいやれるように、今は語学を頑張ろうと思う。
2008年7月9日水曜日
今日は会議でした。
朝、7時15分に近くのスーパーの前で待ち合わせをして出発。実際には10分くらい遅れて来ましたがあまり気にしません。8時半から始まる会議には時間前に到着。でもみんな挨拶したり話したり遅刻したりでちょっと遅くに始まりました。
最初の挨拶があってから次に話す人も挨拶なのかな、と思ったらずいぶん長く話していたのでやっと、「あっ、プレゼンが始まってる!」とわかりました。自分のスペイン語能力の低さに情けなくなります。その後、何組かプレゼンがあったのですが、案の定まったくわかりません。しかも、住民参加型の手法の先生が、「ペアを作って5分間話した後にみんなでお互いに紹介し合いましょう」とか言う始末。もちろんこの説明もわかってませんが。片言のスペイン語で話したらなぜかみんな拍手をしてくれました。恥ずかしい。
今日の会議で思ったことなのですが、パナマ人は話好きみたいです。とにかくみんな話す話す。もう時間だって言ってるのにまだ話し足りない感じ。まだ俺がうまくスペイン語を話せないのでそんなにコミュニケーションを取れてませんが。もうちょっと頑張らないと。
それと、英語を話せる人も結構いるけど、英語を話す機会が少ないので話したがっている。スペイン語がダメなら英語で話しかけてみよう、という人がたくさんいます。英語で話すと、スペイン語がさらにごちゃごちゃになりますが、こっちも英語を忘れたくないので英語で話します。早くスペイン語と英語をうまく使い分けられるようになりたいな。
そして、今日突然言われたのですが、10月に広域研修ということでホンジュラスに行くみたいです。今は申請中だけども、行く方向で準備するように言われました。まだ職場の雰囲気もわからないのに・・・ ま、とにかく仕事を頑張るだけです。
2008年7月8日火曜日
2008年7月7日月曜日
聞かされていたことですが・・・
でも俺は逆に食べたくなる。だから俺は太るんだろうなぁ、と考えていました。高校時代は部活もバンバンやっていて太らなかったんだけど、それ以降、一気に体質が変わって太りやすくなってしまった。酒もたくさん飲むし。パナマ飯は炭水化物や油を大量に摂取するから太りやすいし。
と思っていて、家にある体重計に乗ったら3キロくらい痩せていた。駒ヶ根であんなに頑張っても痩せなかったのに。ま、その体重計が正確ならばという前提ですが。毎日お腹いっぱい食べてるのに。あまり食べてなくてもお腹いっぱいになってしまっているのだろうか。やっぱりちょっとナーバスになっているのかなと思いました。
2008年7月6日日曜日
お誕生日。
最初に駒ヶ根で習ったジャグリング(注:もちろん他の生徒からという意味。こんな授業はありません)を披露。失敗したがそこそこウケた。その後、日本から持参した剣玉も披露。こちらはさらにウケて、子供達も奪い合っていた。その後は質問攻めにあった。日本と中国は違う国なのか?とか日本でも中国語を話すのか?とか言われた。まだまだ日本は知られてないと実感した。都市部でこうなのだから、田舎に行ったらもっとすごいだろう。というか、日本という国名すら知らないかも。ただ、我々もガボンの人とカメルーンの人を見分けられるのか?と言われたら、そんなことできない。他には野球とかアニメとかの質問も多かった。
日本の誕生日と違って友人や親戚の人をたくさん招くものだった。お金をかけるというわけではないけど、とても満たされた気持になった。ちなみに右の写真はピニャータ(だったと思う)という人形で中にお菓子が入っています。これを叩き壊すのが習慣らしい。写真で叩いているのは先日のブログで書いた親戚のmonicaです。なかなかいいスイングをしています。中には飴がたくさん入っていて、壊れた瞬間にみんなで駆け寄って奪い合います。
日本とは違った習慣を経験できて、非常に有意義な一日でした。
2008年7月5日土曜日
3日分、しかもかぶってます。
7月1日(続き)
明日、プレゼンがある。全然準備してないが、なんとかなるだろう。なぜならPatricioとお父さんがパナマ運河の情報をたくさんくれた。これをくっつければ立派なプレゼンになる。お父さんもPatricioも熱心に教えてくれた。パナマ運河はパナマ人の誇りなんだということを実感した。
家に帰ってから、大学で何を勉強したのか?という話になった。そこから流れて仕事の話になった。今までvendedorという単語を使っていたのだが、それは「営業」ではなく「販売員」という意味らしい。なぜ販売員が啓発活動?という風に思っていたらしい。営業だからプレゼンは多少慣れていますよ、ということをやっと理解してもらえた。言葉は難しいと感じた。でもここが語学の楽しさや美しさなんだと思う。
7月2日
プレゼンはそこそこうまくいった。営業だったので人前で話すのは多少慣れているのが功を奏した。でもそれはスペイン語の能力ではないし、実際にはたくさん直された。動詞の活用がどうしても覚えられない。
昼メシにパナマ名物のbollo(トウモロコシの粉をこねたものに鶏肉を入れた料理)を食べた。家に帰ったら、お母さんが今日はパナマ料理よ、といって同じものを出してくれた。笑顔で食べた。結婚して、昼にカレーを食べて夕飯にカレーが出ても笑顔を作れると確信した。お父さん帰宅後、魚の話になった。中南米では魚はあまり食べないと聞いていたがパナマではけっこう食べるらしい。30を過ぎてから魚好きになったのでうれしい話だ。
ブラウニー(右の写真参照のこと)は高いところが苦手らしい。いたずらしようと思って持ち上げたら腰を痛めてしまった。悪いことをすると自らに返ってくると実感した。
7月3日
近所の美人の名前が判明した。Raya(ラジャ)。やったね。あとバスを降りるときに「バラータ」と叫ぶこともわかった。今日はたくさんのことを覚えた。宿題もやったし。早めに寝るとしよう。
以上です。
2008年7月4日金曜日
4日分。ごめんなさい。
とりあえず6月28日~7月1日の日記アップします。長いですが見てやってください。
6月28日
ホテル8時発。パナマシティを出て語学訓練のためにチョレラへ向かう。初めてのホームステイ。少し心配。ホテルには語学講師のElvia、パナマオフィススタッフが来てくれた。領収書の件で若干もめたがなんとかなった。
チョレラではまず語学訓練を行うUTP(大学名です)に行く。そこでチュートルと合流。チュートルとは「家庭教師」という意味ですが、ここでは家庭教師というよりパートナーという感じです。パートナーの名前はPatricia。18歳。長身で船に関する何かを勉強しているらしい。スペイン語がもっとできれば理解できるのだが… でもそのためにUTPにきているのでしょうがない。その後、ホストファミリーが大学まで迎えに来てくれた。Jabiel, Melva夫妻と娘のMaddison。事務所では4人家族と聞いていたが3人だった。ま、あまり細かいことは気にしない。
ドナドナのようにパナマ派遣の同期隊員3人が順番に分かれていく。俺は2番目。今までは結構楽しかったけども、一人になるとかなり寂しくなる。
ホームステイ先ではトイプードルのブラウニーが出迎えてくれた。すごくかわいい。靴を食べたり脚を噛んだりするがそこも気にしない。餌の横に置いてある飲み水の中でよく水浴びをしているので狂犬病ではないようだ。
昼食はパナマレストランで食べた。おごってもらった。かなり美味しかった。食事的にはパナマに適応できそうだ。しかし、油が多いし、魚や野菜をあまり食べないので体重のコントロールには気をつけないと。
夕食後、家族で「Wall E」という映画を観た。なかなかいい映画だと思うが、案の定スペイン語は全く理解できない。もっと勉強しよう。家に帰ってからお父さん(と言っても39歳なのでむしろお兄さん)とビールを飲む。美味しい。彼はパナマ運河で働く技師だという。国の中枢というと言いすぎかもしれないが、この国では重要な仕事である。
6月29日
朝食後、家族でプールに。大人は一人3ドル。おごってもらってしまった。ちゃんとお金を払わないと… 昼食をパナマレストランで。またおごってもらった…
この日はホストファミリーの親戚の家をたくさん回った。もう何軒行ったのか、誰がいたのか、全く覚えられなくて困った。この日もスペイン語の未熟さを痛感した。パナマ人は気さくに話しかけてくれるのに、自分からは話しかけられない。もっと姿勢を変えないといけない。
夕方、同期隊員のホストファミリーの家に行く。色々と話した後に、同期隊員がインターネットをしたいとのこと。我が家(もちろんホストファミリーの家)で出来るので彼を招待。その後、夕食も一緒に食べた。ビールも飲んだ。そう言えば、ビールを飲んだ後にお父さんは運転していた… 確か昨晩、飲んで運転して捕まったら体罰があると言っていた。ま、一杯だし、大丈夫。
同期隊員を送った後に親戚の家で誕生日パーティ。誰の親戚かわからないがたぶんお母さん(というよりはお姉さん)の親戚。帰りに、15歳のmonicaも一緒に車に乗って家に来た。15歳にしては色っぽい。以上。
6月30日
昨日は色っぽいと思ったmonicaだが制服を着るとやはり15歳だった。朝食後、お母さん、ホストシスターのmaddison(しつこいようだが2歳7か月なので娘でもおかしくない)に大学まで送ってもらった。一回25セント。2台乗り継ぐので合計50セント。ここではアメリカの貨幣をつかっているが、通貨は独自のものがあるので、セントとは呼ばずにセンターボという。今の俺にとってはかわりはない。もっと長くパナマにいたら愛着がわいてセントとセンターボを使い分けるようになるだろう。
大学では最初3人一緒に、その後に保健省配属組(俺を含む2名)と教育省配属組(1名)に分かれて授業が始まった。駒ヶ根でも外国人の先生だったのでそんなに変わりはないが、2人なのでやはり寂しい。先生が紙を大量に取り出して見せたのでびっくりした。どうやらここのトイレには紙がないらしい。明日から持って行こう。そしてゲーターレイドみたいなドリンクを先生が自分で持ってきた水に入れて飲んでいた。ジュース自体は着色料が大量に入っていて毒々しいくらいの赤だが水と混ぜるとちょうどよい感じに見えた。先生が赤い水を飲んでいると、なんとなく似合う。特にコメントはない。さっそく宿題が出た。そしてプレゼンもやらないといけなくなった。語学訓練の為に来たのだからしょうがない。
授業後にチュートル達と会った。Patricioはなかなか好青年だ。しかもパナマシティで2位に入るほどのバスケのチームの選手らしい。すごい。アニメも好きだと言っていた。日本のことを出来る限り彼に教えよう。みんなで食事。日本人はきれいに食べていたがパナマ人はそうでもなかった。全部食べると太るから、これからは少し残すようにしよう。食後、バスで送ってもらう時に手ぬぐいをあげた。喜んでくれたと思う。
家に戻るとmelvaのお父さんのjose(お祖父さんにあたるが、本当の父親より年下)が待っていてくれた。色々と話した。こういう時間が大切な勉強時間になるのだろう。結構楽しかった。
夕方5時ごろにお父さんとmonicaが帰ってきた。その後、家族みんなとブラウニーで近所の競技場へ行きちょっと走ったり歩いたりした。久しぶりに走って気持ちよかった。maddisonもブラウニーも大喜びだった。ここの家族は若いし恐らくパナマの中でもいい生活をしている方なのだろう。パナマ運河で働いているのでアメリカの影響も強く受けていると思うし、なかなかアメリカナイズ(いい意味で)されていると思う。俺にとっては快適だ。
帰ってきたらタンクが壊れて水が出ないとの事。お父さんが自力で治してしまっていた。さすが技師、というかパナマではこれが標準なのかもしれない。眠くて宿題をさぼってしまった。初の宿題なのに…
7月1日
昨日は早くに寝たので目覚めも早かった。だんだん時差がなくなってきた。いいことだ。でも昼間にあくびが出てしまう。これは時差のせいにしている。先生ごめんなさい。今日は動詞の活用とパナマのフィエスタ(祭りとかパーティとか)について。日本で活用をたくさん勉強したのに、案の定忘れてしまっていた。駒ケ根の先生ごめんなさい。
休憩を兼ねて先生、保健省組の3人で大学のカフェテリアに来た。パタコン6枚とパイ、ペプシで85センターボ。かなり安い。やはり学食は世界中でそういうものなのだろう。しかも美味しかった。カフェテリアでは大学まで一緒に来た(送ってもらったが正しい表現かもしれないが、彼女も授業があったので「一緒に来た」にする)近所の学生と会った。かなり美人で色っぽい。英語でいうところのスパンキーだ。でも名前を忘れてしまった。大失敗。どうやって聞き出すか考えないと。
授業が終わったのは11時半だが、チュートルのPatricioの授業が終わるのは12時半。コンピュータールームでインターネットをやった。横に美人が座っていたが、そのパソコンでは日本語は使えないので、泣く泣く日本語が使えるパソコンに移動。メールを見て、ミクシィをやっている間にPatricioが来た。どうやら早めに授業が終わったらしい。ちなみにパソコンルームのスタッフ(彼の名は多分Felix)もよくしてくれている。日本人ボランティア達は無料で使わせてもらえることになっている。ありがたい。少しでもこの国に恩返ししないと。ネットが終わってからPatricioにパナマ運河について少し教えてもらった。彼は将来パナマ運河で働きたいとのことなので非常にわかりやすく説明してくれた。
どうやら今は試験期間らしく、忙しい合間を縫ってチュートル達は付き合ってくれている。今は中間試験みたいだ。ここパナマでは最初の学期と次の学期の間で2週間の休み、年末に3か月の休みがあるらしい。年度の開始は1月1日のようだ。このほうがわかりやすくていい。みんなと離れて一人でバスに乗って帰った。そう言えばバスから降りるとき、なんて言うんだっけ。忘れた。たまたま運転席が近かったので運転手のおじさんの肩を叩いて降ろしてもらった。後でmelvaに確認しないと。
2008年7月3日木曜日
パナマについて
パナマシティは都会です。新宿とか池袋ほどではないけど。100万人くらい住んでいるらしい。左の写真のように高層ビルが立ち並んでいます。車もビュンビュン走ってます。でも車の運転が発展途上国独特の勘と反射神経に頼ったものなので危ないです。
JICA事務所でもスタッフの方と話したのですが、パナマでは飢餓で死ぬ人はいないらしい。むしろ糖尿病に罹る人も多いとのこと。それは炭水化物に頼った食事をしているからなのですが。とりあえず人々は衣食住をこなしている。そんな状況のこの国でいったい何ができるのか、ちょっと悩んだりしています。
また駒ケ根の青年海外協力隊訓練所にいたときから悩んでいたことなのですが、国際協力とは一体何なのか、よくわからなくなっています。独りよがりなのではないかと。もうここまで来てしまったので、今更戻ることはもちろんできません。活動の中で何か見えてくるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。時の流れに身を任せることにしました。
で、パナマの生活に戻りますが、パマナ人は早起きです。朝7時ころに朝飯を食べようとフラフラしていたらもうたくさんの人が街中を行ったり来たり。車もビュンビュン走ってます。今、チョレラという町で語学訓練中なのですが、授業は朝7時半から始まります。勝手に、パナマの人はそんなに働かないんだろうなぁ、などと思っていたのですが、そうでもないみたいです。というか人によるのでしょうがかなり真面目に働きます。ますます自分が何をしに来たのかわかりません。
食事はこんな感じです。上記しましたが、炭水化物に依存した食事形態です。それに豆と肉。食べかけの写真でごめんなさい。
パナマは暑いのでビールもたくさん飲みます。ビールに関してはもう少し情報を得てから掲載します。乞うご期待。
それとやはり水は大きな問題みたいです。パナマでは水道水を飲んでも問題ありません。レストランで出る水も大丈夫。私は水が好きなのでガブガブ飲んでいますがお腹の具合は快調です。でも水道水の供給に若干問題があり、たまにストップするみたいです。雨はよく降るので、日本みたいにダムの水がなくなって断水、というわけではなさそう。まだ街のハード面が追いつかないようです。
ここパナマは熱帯性気候なので蚊も多い!マラリアやデング熱に気を付けて、と言われたけどどうしたらいいのかさっぱりわかりません。とりあえず虫よけスプレーを付けてと蚊取りマットを使用して寝ています。アフリカ隊員はかなり厳重にやらないといけないみたいですが、パナマでは大丈夫そう。というか、勝手にそう想像してます。実際には蚊帳も渡されていますが。保健担当のスタッフに申し訳ない・・・
とりあえず今日はこんな感じで。あ、今は語学訓練中です。パナマシティを離れてチョレラというパナマシティ近郊の町に住んでいます。ここは比較的マナーのよい町で人々も快く接してくれます。早くパナマでの生活に慣れて一人前の隊員になれるように頑張ります。