2008年9月22日月曜日

パナマシティ上京編

この日記の期間、ちょうどパナマシティに上京していました。
あ、この日記を書いている頃はかなり下向きでしたが、最近は若干上向きです。

9月5日(金)
今日は朝から雨が降っていた。この日は出勤ではないが、JICA貸与のパソコンを事務所に置いてあるため7時半ころ事務所に顔を出した。雨だと調査ができないためみんなたむろしていた。こんなんでホントにいいのかと悩む。前日、以前ボウフラ発生の調査で回った小学校の先生から電話がかかってきた。折り紙を教えてほしいとのこと。ただし学校の授業時間はこちらの勤務時間ともろかぶりのため折り紙を教えに行くということはできないと伝えて、デング熱、マラリア、シャーガス病についての講演も同時にやらせてほしいと話してあることをカウンターパートに伝えた。いいんじゃない、みたいな感じだった。月曜日に先方に改めて連絡を入れる。
8時15分ダビ発のバスで上京、パナマシティには3時ころ着いた。バスの中で映画を3本も見た(バスの中の小さいテレビで放映している)。やはり移動時間が長すぎる。アフリカ隊だと片道15時間なんていう人もいるのでわがままは言えないが… 月に1回が限度精一杯かな。それ以上はつらい。JICA事務所で調整員と打ち合わせ後に新しい隊員連絡所へ。以前の連絡所は大きく家というよりは合宿所みたいな感じだったが、今度の連絡所はまさに家みたいな感じ。しかもプールも付いていた。ただかなり小さくなってしまったため、以前のように寝室数は多くないし、いまだに各個人宛のメールボックスを設置できない状況だった。夜は調整員さんのお宅で食事とお酒をいただいた。

9月6日(土)
今回の上京は前日の打ち合わせもあるけども、最大の目的は日本大使館主催のイベントにボランティアとしてお手伝いすること。同期隊員も合流し昼食を食べながらお互いの近況報告。夕方に調整員さんとともに会場入りしイベントの手伝いをした。折り紙は子どもももちろん大人にも好評で何人かのおば様から「もっと習いたいんだけど折り紙教室はないの?」と聞かれた。残念ながらないが、ここまで日本のことに興味を持っていただけると嬉しい。折り紙教室では折り鶴と手裏剣を作った。やはり日本というと忍者、しかも今はナルトがテレビで放映中らしくかなり食い付きがよかった。
このイベントはアニツアーというイベントでアニメ関係がメインだった。コスプレしてる人もたくさんいた。なんか間違った日本が伝えられてる気がする…

9月7日(日)
午前中は隊員連絡所で洗濯などを済ませタオル、寝巻き用Tシャツ、サンダルなどを個人ロッカーに収容。そのため荷物は減ったかに思えたが前々日に事務所で大量のシャーガス病啓発グッズを入手していたため荷物は逆に大幅に増えていた。ま、次回上京時はもっと荷物も少なくなっているだろう。
お昼12時過ぎにターミナル着で12時半発のチケットを買うことができた。ラッキー。7時ころダビに到着。疲れたので夕飯を食べてすぐ寝た。

9月8日(月)
パナマシティで入手したシャーガスグッズを持って出勤。みんなにボールペンやらリストバンドやらを配った。なぜか上司が残ったものを全部持って行ってしまった。シャーガスのチラシやステッカーも。あんた使わないだろうが。現場の隊員に配った方がいいだろうに。上司だから全部持っている、というのがステイタスになるのだろう。そんな独占欲いらない。しかもそれ、JICAからのもらいものだろ?物乞いかよ?と思った。
それと木曜日に打診を受けた小学校での講義だがまだ小学校4年生までしかいないということで泣く泣くキャンセルさせてもらった。でもエルサルでは小学校1年生相手でもバンバン講義をやっている。向こうがやりすぎなのか、こちらがやらなさすぎなのか。11月に広域研修が実施されたらきっとエルサルのシャーガス隊員とも会えると思うので聞いてみたい。
この日は一日事務所で仕事。でもヒマでしかも前日の疲れもあり途中寝てしまった。今は研究室の机を借りて仕事をしているが、検査技師が「日本で買った方が車安いかな?もしそうなら帰った時に立て替えてくれない?」と言われた。残念ながら車の価格は日本でもパナマでも変わらない。しかも日本車は右ハンドルだし。それにしても給料の格差を考えるとみんな何年のローンを組んで車を買っているのだろうか。不思議でしょうがない。
午後もヒマだったのでプロモーション課に顔を出したら今まで一緒に仕事をしていたプロモーション担当の人が市議会議員か何かに受かったらしく辞めてしまったと言われた。びっくりした。

2008年9月14日日曜日

最近下向き

最近下向きです。日記も愚痴ばっかりですいません。パナマに来て2ヶ月半。だんだんパナマのいやなところが目につく時期になってきました。

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今日は一日事務所で仕事をした。1ヶ月の行動予定表を作って提出。今までこんなことをしたことはないようで、わかった、とは言っていたがどう扱っていいかわからないようだった。でも日本にいたときも1ヶ月の行動予定表を作って仕事していたしその方が先々まで見えてやりやすいのでこれからもこれを続けたいと思う。願わくば、課でも1ヶ月の訪問先予定表みたいなのを作ってくれるといいのだが、それは無理だろう。先輩隊員の報告書などを読み返し、改めて自分がどういう活動をすればいいのかということを考えた。まだ具体的にどう、ということは言えないが、なんとなくこんなことやあんなこと、みたいな曖昧なものは見えてきた。なかなか有意義な一日だった。


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今日も事務所で仕事をした。昨日に続き先輩隊員の報告書を読み「知りたいこと」「必要なもの」「やりたいこと」「やらなければならないこと」といった感じで一つ一つ項目をあげる作業をした。この作業のおかげで頭の中を整理することができた。その後、駒ケ根の協力隊訓練所でもらったシャーガス病関連のデータを見た。なんとなく見たつもりになっていたが、全然理解していなかったらしく、あれ?そうだったんだ?みたいな感じだった。ま、駒ケ根時代はスペイン語で忙しかったから… 資料を読んでいるところに同僚が帰ってきて、「日本で勉強してきたんじゃないの?」と聞かれた。「いや、少ししかしてない」と言ってごまかした。辛い。


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水曜日は蚊の調査の日にしてあるので、今日はベテラン職員と一緒に回った。彼はシャーガス病の担当もしている。仕事のことを色々と教えてもらった。彼はかなり勉強熱心な人間だ。非常に早口で最初は何を言ってるのか全然わからなかったが、慣れてきたのか30%くらいはわかるようになってきた。先週の木曜日に彼に制服をもらったのだが、この日に着ないで行ったら「なんでだ?」と聞かれた。当然の質問。制服は長そで、ここダビは非常に暑い街なので普段は着たくない。で、毎週木曜日設定されているシャーガス病調査の日は虫の分布が涼しいところに限られるから、明日着てくるよ、と言ったらうれしそうな顔をしていた。それと昼飯を食べるレストランもないから弁当を持ってくるように言われた。どうしよう…


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今日は木曜日なのでシャーガス病の調査の日。昨日宣言したように長袖の制服を着て行った。みんな「どうしたの?ついに仲間になったね」的な言葉をかけてきた。だんだん打ち解けてきた。今日は山の方にあるカンデラという町に行った。例によって2時間くらいの移動。どうしても山の方に行かざるを得ないので往復すると勤務時間の半分以上が移動になってしまう。もうちょっとスペイン語が堪能になったら一人で保健所とかに泊って集中的にやってみたいと思う。2件目でサシガメを発見した。本格的に調査に参加して2回目で早くも発見。おそらく病原体を持っている種ではないが捕獲した。今日は12軒まわった。比較的家と家の距離が近かったので回れたけど、もうちょっと回りたい。昨日言われた通りにレストランらしきものはなかった。サンドイッチを作って持って行った。よかった。ミニスーペル(小さいスーパー)はあったが、そこには日本のコンビニと違って弁当とかは置いてないので、そこですぐに食べられる食料を調達しようとしたらスナック菓子や普通のパン、もしくは菓子パンを食べるしかない

翌日の95日にパナマシティに行くと言ったら、「この本(シャーガス病関連の文献)をくれ」、とか「(シャーガス病のサシガメがプリントされた)帽子をくれ」とか言われた。確かにみんなが興味を持ってくれるのはいいことだけど、物を撒き散らすだけのような気もするし、どうしたらいいのかちょっと悩む。


2008年9月7日日曜日

8月分、最後の日記

前回の日記で書いたパソコンの件ですが、協力隊の中にPC専門職の隊員もいて、彼に直してもらいました。快適です。今日の分で8月分は終わりです。次回から9月分に突入です。

8月29日
朝から若手職員一人がシャーガス関連の書類を食い入るように見ていた。恐らく仕事がなんとなくわかってきて、自分の仕事に対して裏付けをつけたいのだろう。かなりいい傾向だと思う。そんな傾向を見ながら自分のモチベーションが下がっている。来週からは自分でスケジュールを作って動くのでこんなにモチベーションが低いのも今日が最後だ。

8月30日
最近考えていることなのだが、この国の環境教育はどうなっているのだろうか。これだけゴミが落ちているということはほとんどなされてないと思う。教育は数学や英語を教えるだけではなくて倫理なども教えることも含めると思うので、やはり教育レベルは低いと言わざるを得ない。
朝7時に起床、すぐに洗濯をしてから近所の空港まで走った。前回は午後の熱い時間に行ったため走っている人はいなかったが、今日は朝早く出かけたので何組か走っている人がいた。帰宅後、もう一度洗濯してからホストファミリーとホストマザーの実家があるボケテに向かった。ボケテは標高が高いので非常に気持ちよかった。
帰宅後、ネットカフェでインターネットチェック。もうすぐダビに来てから1ヶ月経つがまだJICAのサイトに今の家を登録してない。ヤバい… 今日もできなかった。明日こそやろう。

8月31日
午前中に床屋と靴屋に行った。床屋は2.5ドル。安かった。10分弱くらいで切り終わってしまった。そこそこだ。そこ、カミソリ使うの?という部分もあったが、我儘は言ってられないので、まぁよしとしよう。この我儘という字、パソコンでなければ書けないだろうなぁ。たぶん、その床屋には2度と行かないと思う。
午後はいつも通りネットカフェ。ついにJICAのボランティア専用サイトで今の家を登録。でも調整員さんに送らなければならない書類があったのだが送り忘れた。やばい。

2008年9月3日水曜日

何をしていいのかわからず・・・

最近、仕事で何をしていいのかわからず悩んでいます。しかもパソコンの調子が悪いです。


825

金曜日に泊めてくれた同僚は来てなかった。骨折したのだろうか。気になる。息子が悪酔いしてしまった同僚もなんかバツが悪そうだった。

この日はまた別のベテラン職員と回った。30年近く保健省で働いているらしい。しかも、日本で言うところの薬剤師の資格も持っているようだ。比較的仕事のスタイルが似ていたのでやりやすかった。しかも彼はシャーガス病の担当でもあるらしい。マラリアについてもよく教えてくれた。かなり勉強になった一日だった。

パナマはパナマ運河の建設がマラリアによって遅れてしまったという歴史があるため、徹底的にマラリアやデング熱には対応するようだ。でもここチリキ県はコスタリカと国境が接しているためどうしでもマラリアが発生しやすいとのこと。調査方法もデング熱は一軒一軒の庭を見てボウフラが発生してないか調査するが、マラリアの場合はマラリア患者が出た地域の近隣の家で同様の症状を持っている人がいないが調査するらしい。蚊を媒介とする病気でも全く違うということがわかって勉強になった。

この日は肉じゃがを作った。食べ終わって皿を洗っていたらホストファザーが「いいにおいがする」と言っていた。あと何回か作っておいしい肉じゃがを作れるようになったらごちそうしよう。パナマはじゃが芋みたいな食材が多いので、こっちの食材を入れてみても美味しいかもしれない。


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前日と同じ同僚と回った。彼はサクサクと仕事を進めるタイプの人なので担当エリアは午前中で終わってしまった。他の同僚も早く終わってしまったらしく彼も合流して来たので余計に早く終わった。相変わらず日本と中国は違う言葉を話すのか?という質問が来たので全然違うと答えた。この答えは何回もしているのでスペイン語もこの部分だけはきれいに話せるようになってきた。最近は韓国語も違うと付け足すことにしている。みんな日本車か韓国車しか乗ってないのに何でわからないのだろうか。以前、車のことについて書いたが電化製品にしても日本製かもしくはサムスンしかない。パナマ運河の使用量順位も1位はアメリカだが次いで中国、日本、韓国と来る。中国人の精力的な働き方は見ていて心配になる程で、パナマ全土にあるミニスーペル(小さいスーパー、日本でいうところのコンビニに近いかも)はほとんど中国人の経営。これほどまでに東アジアの国が生活に入り込んでいるのに、こちらに向かって蔑んだ意味を込めて「チノ!」と言葉を投げかけるのはどういうことなのだろう。教育レベルの低さが窺える。別にひざまずけとは言わないけど。同期の教員養成大学配属隊員に期待したい。

今日、仕事が終わってからカウンターパートに「週2はオフィスで仕事、週2はシャーガス関連で外出、週1は任せる」という話をした。上司に聞いたら週1シャーガス、週2は蚊の調査に回れ、と言われたらしい。とりあえずスペイン語のこともあるししばらくはそれで我慢するが、もっとスペイン語が上達したらひっくり返す予定。それと、やはりこの事務所ではボランティア受け入れに対してどうしていいのかわかっていないということが改めてわかった。ということは自分でやりたいようにやっていいということなので自由に動きたい。今週いっぱいは彼らの言う通りに動いて、来週からは月が変わるので自分でスケジュールを作って動くことにする。


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今日はダビから車で2時間ほど行った場所にあるトレという町に行った。パナマにしては比較的きれい(と言ってもやはりゴミはたくさん落ちている)な町だった。授業の一環なのか高校生と思われる集団がごみ袋を持ってゴミ拾いをしていた。以前から考えていたことなのだがプロモーション部門や他の省庁と手を組んでボランティアを募って町のゴミ拾いを出来ないだろうか。町を歩いていたらセニョールが孫娘と馬に乗っていたのでパチリ。こちらでは普通に馬が歩いていたりします。

今日は今までとは別の職員と回った。配属先の部門では勤労意欲に欠ける人しかいないと思っていたが、今日一緒に回った担当者はやる気があったし、勉強もよくしていた。自分の行動や言動に裏付けをつければ、より一層周囲への啓発活動にも効果的だと言っていた。この職場でよくそこまでモチベーションを上げられるなと思った(もちろんいい意味で)。たぶん、カウンターパートもその上司もボランティアが来たということに満足していてどういう活動をするとかは全然考えてないようだ。来週からはとりあえず今までの活動データ(2年前から開始したらしいのでできれば2年前のものから)の収集と月間カレンダー作りを始めよう。

今日、日本から持ってきた本に書いてあったズッキーニのソテー(チーズ風味)を作ってみた。作ったと言ってもズッキーニを輪切りにして焼いて塩をかける、そして皿に盛ってからチーズを乗せるだけなのだが意外といけた。もっと精進して同期隊員のIさんにも振る舞えるようになりたい。


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この日は木曜日なのでシャーガスの日。カウンターパート、他の職員2人と合計4人で一緒に回った。8時過ぎに事務所を出発。フォルティーナという町に向かう。えらい遠い。結局11時過ぎに町の近くに着いた。そこから山道を徒歩で行かないといけないらしい。しかもこの日は噴霧もするとかで噴霧器(10キロくらいある)も1台持って来ていた。信じられない… 途中で噴霧器運搬を交代しながら山道を歩いた。30分くらい歩いたところで車が拾ってくれた。その車が来なかったら2時間くらいかけて行かなければならなかったので助かった。3軒くらいまわったところで帰る。帰り道の途中で大雨。たまたま店の前だったのでそこでお店の人と話しながら1時間半くらい待ったが雨が止む様子は全然なかった。その店には12歳くらいの娘がいたが折り鶴をあげた。結構ウケルのでこれからも折り鶴や手裏剣を作って持ち歩こうと思う。そこに先ほどの車が我々を拾いに来てくれた。

それにしてもやはり週に34軒くらいまわって十分というわけにはいかない。たぶん、JICAにアピールするためにめんどくさいけどまわっているのだろう。しかもわざわざ遠い所を選んで、遠いからなかなか回れなくてね、という言い訳を作っているようにしか思えない。アピールするための仕事ならいらない。それと写真を撮れ写真を撮れとほんとにうるさい。滝もダムも日本にあるので撮らないと言ったら納得していた。

2008年9月2日火曜日

大雨が降っています。

今、私が住んでいる街、ダビでは大雨が降っています。毎日降ります。なぜなら雨季だから。たまにスコールみたいなのもきます。そしてパナマ人は雨季のことを「冬」と呼びます。はい、日中に太陽が出てると30度くらいいきますけど何か?北海道に連れて行ってホントの冬を教えてやりたい気分です。

2008年9月1日月曜日

タイトル、つけ忘れてました(このタイトルは後付けです)

8月21日~8月24日までの日記です。

8
21

8時に調整員さんが宿泊しているホテルに集合しボルカン(高地にある町)に向かた。先輩隊員がここで勤務している。彼女の職場を見せてもらった。彼女は作業療法士なのでてっきり保健省所属かとばかり思っていたが違う省庁所属だった。職場はきれいに片付いていた。彼女が配属になってから本格的にその施設が稼働し始めたらしい。何もかもが新しいことで大変だと思うが、同時に充実している様子だった。ちょっとうらやましかった。まさに協力隊みたいな感じだった。

その後、さらに上にあるセロプンタまで足を延ばしイチゴを堪能した。日本のイチゴのように甘くはなく酸っぱい。クリームをたっぷりつけて食べた。クリームは異常に甘かったが、イチゴが酸っぱいのでいい感じだった。家族にマーマレードのお土産を買った。セロプンタ、ボルカンは気温が20度を切っていた。ボルカン隊員が長袖の服を探すのに苦労した、とかセロプンタ隊員が常夏の国に来たのに長袖の生活なんて、と愚痴っていたのが理解できた。これで水シャワーでは厳しい。家に帰ってから洗濯をした。すぐにネットカフェに行こうと思ったが、ちょっと寝てしまった。結局、夕方4時ごろに家を出ようとしたときに雨が降ってきてしまったので家でおとなしくすることにした。5時半頃には雨が止んでいた。寝ないで3時半頃に家を出ればよかった。

この日はパナマに歴史上はじめてのオリンピック金メダルをもたらしたサラディノが帰国した。国際空港ではなく国内便のみの空港に到着していたので政府のチャーター機だろう。そのままセレモニーが始まってパナマシティから彼の実家のあるコロンまでパレードをしていた。この日、公務員は休暇。でもパナマシティ近郊の職員はパレードやセレモニーに駆り出されたことだろう。テレビもサラディノばかりだった。他の種目を見たい。

帰路で調整員さんから「チリキ保健省のトップのドクターとそちらの課のトップとの関係が微妙みたいだから気を付けてね」と言われた。む、難しい…

822

今日は課の祭り。朝に教会に集合してミサに出席。その後、午前中はソフトボール、午後2時くらいから飲み会が始まった。ソフトボールは7年ぶりにやった。全然ダメだったが楽しかった。この日はうちの課のトップがやたらと気にかけてくれた。何故だろう。昨日、調整員さんが言った言葉が気にかかる。ドクターとだけ面接したからその分、何かをしないといけないと思ってるのだろうか。それか、うちの課に日本からボランティアが来てくれたんだよ、というのはいいアピールになるのかもしれない。

気になっていたことなのだが、こちらの人は飲むときにあまり物を食べない。日本の居酒屋みたいに食べて飲んで、という感じではない。当然悪酔いする。食べ物は出たが、それは弁当で、それも会が始まってずいぶん経ってからだった。ちょっと同僚の息子が悪酔いして警察沙汰になってしまった。

今日は同僚の家にお泊りすることになった。いいやつだ。

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同僚の家でオリンピックを見ながら朝食。新体操の選手は揃いも揃って美人ばかりだった。以前にも書いたかもしれないが、なぜかこの国では飛び込み種目が人気らしい。ほとんど毎日見ているような気がする。ちょっと放送するのではなく、ずっと放送している。観ている方も、「あ、これはいいね」とか言いながら観ている。かなり詳しい。そのくせバドミントンは知らない。オグシオを知らないなんてなんて不幸な人々なのだろう。特に潮田を知らないなんて。あんなにカワイイのに。

昨日泊めてくれた同僚の右手がパンパンに腫れていた。骨折してるかも、と言っていた。なぜ… 昨日のケンカかソフトボールか。いずれにしても心配だ。

午後、ネットカフェに行ったら新着メールが60通近く来ていた。ビックリ。次の隊次で来る隊員候補生からメールが来ていたし、来年6月に赴任になる予定の人からもミクシィ経由でメッセージが来ていた。まだ何もわからないけど、とりあえず先輩になるのだと実感した。

824

昼食後、近くの空港まで走って行ってみた。たぶん2キロ弱くらいだろうか。空港までの道路はパナマにしては比較的きれいだった。途中、ゴミがたくさん落ちているところがあって少し気になったが、その他はなかなかよかった。今度、仕事から早く帰った時も走ってみようと思う。ランニング後、二日連続でネットカフェに。この日は1通もメールが来てなかった。たくさんあると凹むがなくても凹む。でもゆっくりブログをやったりミクシィをやったりできたのでよかったかも。駒ヶ根で同じ語学クラスだったMさんとスカイプでチャットもできたし。