2008年9月3日水曜日

何をしていいのかわからず・・・

最近、仕事で何をしていいのかわからず悩んでいます。しかもパソコンの調子が悪いです。


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金曜日に泊めてくれた同僚は来てなかった。骨折したのだろうか。気になる。息子が悪酔いしてしまった同僚もなんかバツが悪そうだった。

この日はまた別のベテラン職員と回った。30年近く保健省で働いているらしい。しかも、日本で言うところの薬剤師の資格も持っているようだ。比較的仕事のスタイルが似ていたのでやりやすかった。しかも彼はシャーガス病の担当でもあるらしい。マラリアについてもよく教えてくれた。かなり勉強になった一日だった。

パナマはパナマ運河の建設がマラリアによって遅れてしまったという歴史があるため、徹底的にマラリアやデング熱には対応するようだ。でもここチリキ県はコスタリカと国境が接しているためどうしでもマラリアが発生しやすいとのこと。調査方法もデング熱は一軒一軒の庭を見てボウフラが発生してないか調査するが、マラリアの場合はマラリア患者が出た地域の近隣の家で同様の症状を持っている人がいないが調査するらしい。蚊を媒介とする病気でも全く違うということがわかって勉強になった。

この日は肉じゃがを作った。食べ終わって皿を洗っていたらホストファザーが「いいにおいがする」と言っていた。あと何回か作っておいしい肉じゃがを作れるようになったらごちそうしよう。パナマはじゃが芋みたいな食材が多いので、こっちの食材を入れてみても美味しいかもしれない。


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前日と同じ同僚と回った。彼はサクサクと仕事を進めるタイプの人なので担当エリアは午前中で終わってしまった。他の同僚も早く終わってしまったらしく彼も合流して来たので余計に早く終わった。相変わらず日本と中国は違う言葉を話すのか?という質問が来たので全然違うと答えた。この答えは何回もしているのでスペイン語もこの部分だけはきれいに話せるようになってきた。最近は韓国語も違うと付け足すことにしている。みんな日本車か韓国車しか乗ってないのに何でわからないのだろうか。以前、車のことについて書いたが電化製品にしても日本製かもしくはサムスンしかない。パナマ運河の使用量順位も1位はアメリカだが次いで中国、日本、韓国と来る。中国人の精力的な働き方は見ていて心配になる程で、パナマ全土にあるミニスーペル(小さいスーパー、日本でいうところのコンビニに近いかも)はほとんど中国人の経営。これほどまでに東アジアの国が生活に入り込んでいるのに、こちらに向かって蔑んだ意味を込めて「チノ!」と言葉を投げかけるのはどういうことなのだろう。教育レベルの低さが窺える。別にひざまずけとは言わないけど。同期の教員養成大学配属隊員に期待したい。

今日、仕事が終わってからカウンターパートに「週2はオフィスで仕事、週2はシャーガス関連で外出、週1は任せる」という話をした。上司に聞いたら週1シャーガス、週2は蚊の調査に回れ、と言われたらしい。とりあえずスペイン語のこともあるししばらくはそれで我慢するが、もっとスペイン語が上達したらひっくり返す予定。それと、やはりこの事務所ではボランティア受け入れに対してどうしていいのかわかっていないということが改めてわかった。ということは自分でやりたいようにやっていいということなので自由に動きたい。今週いっぱいは彼らの言う通りに動いて、来週からは月が変わるので自分でスケジュールを作って動くことにする。


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今日はダビから車で2時間ほど行った場所にあるトレという町に行った。パナマにしては比較的きれい(と言ってもやはりゴミはたくさん落ちている)な町だった。授業の一環なのか高校生と思われる集団がごみ袋を持ってゴミ拾いをしていた。以前から考えていたことなのだがプロモーション部門や他の省庁と手を組んでボランティアを募って町のゴミ拾いを出来ないだろうか。町を歩いていたらセニョールが孫娘と馬に乗っていたのでパチリ。こちらでは普通に馬が歩いていたりします。

今日は今までとは別の職員と回った。配属先の部門では勤労意欲に欠ける人しかいないと思っていたが、今日一緒に回った担当者はやる気があったし、勉強もよくしていた。自分の行動や言動に裏付けをつければ、より一層周囲への啓発活動にも効果的だと言っていた。この職場でよくそこまでモチベーションを上げられるなと思った(もちろんいい意味で)。たぶん、カウンターパートもその上司もボランティアが来たということに満足していてどういう活動をするとかは全然考えてないようだ。来週からはとりあえず今までの活動データ(2年前から開始したらしいのでできれば2年前のものから)の収集と月間カレンダー作りを始めよう。

今日、日本から持ってきた本に書いてあったズッキーニのソテー(チーズ風味)を作ってみた。作ったと言ってもズッキーニを輪切りにして焼いて塩をかける、そして皿に盛ってからチーズを乗せるだけなのだが意外といけた。もっと精進して同期隊員のIさんにも振る舞えるようになりたい。


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この日は木曜日なのでシャーガスの日。カウンターパート、他の職員2人と合計4人で一緒に回った。8時過ぎに事務所を出発。フォルティーナという町に向かう。えらい遠い。結局11時過ぎに町の近くに着いた。そこから山道を徒歩で行かないといけないらしい。しかもこの日は噴霧もするとかで噴霧器(10キロくらいある)も1台持って来ていた。信じられない… 途中で噴霧器運搬を交代しながら山道を歩いた。30分くらい歩いたところで車が拾ってくれた。その車が来なかったら2時間くらいかけて行かなければならなかったので助かった。3軒くらいまわったところで帰る。帰り道の途中で大雨。たまたま店の前だったのでそこでお店の人と話しながら1時間半くらい待ったが雨が止む様子は全然なかった。その店には12歳くらいの娘がいたが折り鶴をあげた。結構ウケルのでこれからも折り鶴や手裏剣を作って持ち歩こうと思う。そこに先ほどの車が我々を拾いに来てくれた。

それにしてもやはり週に34軒くらいまわって十分というわけにはいかない。たぶん、JICAにアピールするためにめんどくさいけどまわっているのだろう。しかもわざわざ遠い所を選んで、遠いからなかなか回れなくてね、という言い訳を作っているようにしか思えない。アピールするための仕事ならいらない。それと写真を撮れ写真を撮れとほんとにうるさい。滝もダムも日本にあるので撮らないと言ったら納得していた。

2008年9月2日火曜日

大雨が降っています。

今、私が住んでいる街、ダビでは大雨が降っています。毎日降ります。なぜなら雨季だから。たまにスコールみたいなのもきます。そしてパナマ人は雨季のことを「冬」と呼びます。はい、日中に太陽が出てると30度くらいいきますけど何か?北海道に連れて行ってホントの冬を教えてやりたい気分です。

2008年9月1日月曜日

タイトル、つけ忘れてました(このタイトルは後付けです)

8月21日~8月24日までの日記です。

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8時に調整員さんが宿泊しているホテルに集合しボルカン(高地にある町)に向かた。先輩隊員がここで勤務している。彼女の職場を見せてもらった。彼女は作業療法士なのでてっきり保健省所属かとばかり思っていたが違う省庁所属だった。職場はきれいに片付いていた。彼女が配属になってから本格的にその施設が稼働し始めたらしい。何もかもが新しいことで大変だと思うが、同時に充実している様子だった。ちょっとうらやましかった。まさに協力隊みたいな感じだった。

その後、さらに上にあるセロプンタまで足を延ばしイチゴを堪能した。日本のイチゴのように甘くはなく酸っぱい。クリームをたっぷりつけて食べた。クリームは異常に甘かったが、イチゴが酸っぱいのでいい感じだった。家族にマーマレードのお土産を買った。セロプンタ、ボルカンは気温が20度を切っていた。ボルカン隊員が長袖の服を探すのに苦労した、とかセロプンタ隊員が常夏の国に来たのに長袖の生活なんて、と愚痴っていたのが理解できた。これで水シャワーでは厳しい。家に帰ってから洗濯をした。すぐにネットカフェに行こうと思ったが、ちょっと寝てしまった。結局、夕方4時ごろに家を出ようとしたときに雨が降ってきてしまったので家でおとなしくすることにした。5時半頃には雨が止んでいた。寝ないで3時半頃に家を出ればよかった。

この日はパナマに歴史上はじめてのオリンピック金メダルをもたらしたサラディノが帰国した。国際空港ではなく国内便のみの空港に到着していたので政府のチャーター機だろう。そのままセレモニーが始まってパナマシティから彼の実家のあるコロンまでパレードをしていた。この日、公務員は休暇。でもパナマシティ近郊の職員はパレードやセレモニーに駆り出されたことだろう。テレビもサラディノばかりだった。他の種目を見たい。

帰路で調整員さんから「チリキ保健省のトップのドクターとそちらの課のトップとの関係が微妙みたいだから気を付けてね」と言われた。む、難しい…

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今日は課の祭り。朝に教会に集合してミサに出席。その後、午前中はソフトボール、午後2時くらいから飲み会が始まった。ソフトボールは7年ぶりにやった。全然ダメだったが楽しかった。この日はうちの課のトップがやたらと気にかけてくれた。何故だろう。昨日、調整員さんが言った言葉が気にかかる。ドクターとだけ面接したからその分、何かをしないといけないと思ってるのだろうか。それか、うちの課に日本からボランティアが来てくれたんだよ、というのはいいアピールになるのかもしれない。

気になっていたことなのだが、こちらの人は飲むときにあまり物を食べない。日本の居酒屋みたいに食べて飲んで、という感じではない。当然悪酔いする。食べ物は出たが、それは弁当で、それも会が始まってずいぶん経ってからだった。ちょっと同僚の息子が悪酔いして警察沙汰になってしまった。

今日は同僚の家にお泊りすることになった。いいやつだ。

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同僚の家でオリンピックを見ながら朝食。新体操の選手は揃いも揃って美人ばかりだった。以前にも書いたかもしれないが、なぜかこの国では飛び込み種目が人気らしい。ほとんど毎日見ているような気がする。ちょっと放送するのではなく、ずっと放送している。観ている方も、「あ、これはいいね」とか言いながら観ている。かなり詳しい。そのくせバドミントンは知らない。オグシオを知らないなんてなんて不幸な人々なのだろう。特に潮田を知らないなんて。あんなにカワイイのに。

昨日泊めてくれた同僚の右手がパンパンに腫れていた。骨折してるかも、と言っていた。なぜ… 昨日のケンカかソフトボールか。いずれにしても心配だ。

午後、ネットカフェに行ったら新着メールが60通近く来ていた。ビックリ。次の隊次で来る隊員候補生からメールが来ていたし、来年6月に赴任になる予定の人からもミクシィ経由でメッセージが来ていた。まだ何もわからないけど、とりあえず先輩になるのだと実感した。

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昼食後、近くの空港まで走って行ってみた。たぶん2キロ弱くらいだろうか。空港までの道路はパナマにしては比較的きれいだった。途中、ゴミがたくさん落ちているところがあって少し気になったが、その他はなかなかよかった。今度、仕事から早く帰った時も走ってみようと思う。ランニング後、二日連続でネットカフェに。この日は1通もメールが来てなかった。たくさんあると凹むがなくても凹む。でもゆっくりブログをやったりミクシィをやったりできたのでよかったかも。駒ヶ根で同じ語学クラスだったMさんとスカイプでチャットもできたし。

2008年8月31日日曜日

だんだん愚痴が増えてきました。

活動が始まって3週目に突入した時の日記です(今はもう1ヶ月くらい経過してます)。だんだん仕事が見えてきて、愚痴が増えてきているところです。ちょっとテンションが下がりはじめ、写真の量も減ってきてます。

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朝から天気がよかった。洗濯もしたし、ジーパンとか靴も干した。やはり気持ちよかった。ネットカフェに行ったら閉まっていた。先週の日曜日は開いてたのに。ショック。片道
30分、往復1間歩いた。まぁ、いい運動になったと前向きに考えることにする。家に帰ってから縄跳びをした。運動と言える運動は久しぶりにした気がする。もっと縄跳びをしよう。

夕飯は家族とドミノピザ。その後、ひとりで近所のミニスーパーにビールを買いに行った。今日はおなかいっぱいなので350ml1本(右の写真、その名も「レッドドッグ」)だけ買ったら、いつものあんちゃんが「他には?」と聞いてきた。だんだん打ち解けてきた気がする。

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カウンターパートと今後の仕事について聞いてみた。そして隊員支援経費があって少し使えるという話もしたが、ちょっとしたことなら予算で賄えるみたいな感じだった。お金あるのか?一応、インク代として使ってもいいけど、何か新しいことに使ってみたいと言ったら、カウンターパートも賛成してくれた。

今日は書類の書き方を教えてもらいながら家をまわった。最後の方の家でおばあちゃんに、「あなたは日本人?中国人?」と聞かれたので日本人ですよ、と答えたら「私も日本人の知り合いがいるのよ、彼はボランティアで来てたの」と言ってきた。その家にも以前に協力隊員が下宿してたらしい。なんとなく親近感を覚えたし、ここでもまた協力隊の歴史に触れることができた。その人は1年延長したとのこと。みんなに愛されていたようだ。自分もその人のようになりたい。

今日、パナマ人選手がオリンピックの男子走り幅跳びで金メダルを獲得した。パナマ初の金メダルということでテレビもかなり盛り上がっていた。

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初めて遅刻した。前日の幅跳び選手のメダル授与がパナマ時間朝
6時半からやっていたためタクシーがほとんど走ってなかった。

今日も前日と同じ職員と一緒にまわった。書類の書き方をなんとなく覚えてきた。調整員のWさんが木曜日に来ることになった。

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なんと
821日が急きょ休日になることが決定。金メダルを取った幅跳び選手が帰国するため、パナマシティからコロンまでパレードをするらしい。みんな喜んでいたが、こんなの途上国でしかありえないことだ。急に一日休みになっても関係ない。その程度の仕事だと世間から思われてるとは考えないのだろうか。不思議でしょうがない。

調整員とのミーティングをやるかやらないかで連絡をたくさんとった。「来週でいいじゃないか」、「金曜日にやろう」・・・ アホか。調整員はそんなに暇じゃないんだよ。ここは遠いんだし。少なくともここの事務所の人はその程度のレベルだということがよくわかった。

夕飯は調整員とチリキ配属の隊員で食事会。中華に行ったあと、ホテルのレストランでもう少し飲んだ。家に帰ってからホストファザーに明日急に休みになった、と言ったら、「理解できない」と言っていた。彼は一般企業の営業をやっている。全く同感だった。

2008年8月25日月曜日

2日連続でネットカフェに来ちゃいました。

タイトルの通りです。2日連続でネットカフェに来ちゃいました。ということで今日もブログ更新です。

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今日、3ヶ月か半年くらいしたらボケテに引っ越してもっと集中的にシャーガス関係の仕事をしてみようかなと思った。今のままではなんとなく2年間が終わってしまうような気がする。確にダビのような街中の方が生活の便はいいが、仕事のことを考えるともっとシャーガス病の活動現場に近い方がいいと思う。今度、ボケテに保健省の事務所があるか聞いてみよう。ボケテにあったらそこの勤務に変えてもらって1週間か2週間に1回くらいダビに行って仕事の報告とか、毎週木曜日にボケテに行くようなのでその時に打ち合わせみたいな感じで仕事をしてみたいと思った。ついでに要請変更前に行くはずだった村にも1週間か2週間に1回くらい行って話したりアイデアを出したりしたら面白いかも、と勝手に思った。村落開発普及員だから自由に動いてみたい。この日は天気がよかったので右の写真を撮りました。

勤務後、近所のネットカフェに行った。ノートンが使いづらいからウィルスバスターを使うことにした。10000円近くかかってしまった。ノートンめ。しかもノートンが変なところに残ってしまっているらしくウィルスバスターのインストールがなかなかできなかった。ノートンを完全にアンインストールするソフトを一度ダウンロードして完全に削除してからウィルスバスターをインストール。かなり時間をくってしまった。

ミクシィでマイミクであり村落開発普及員の同期でもあるbScさんが日記で心にくる言葉を書いていた。「まわりの人が少しでも笑顔でいられるように。」そう、自分もこのために協力隊に参加したのだった。このことを忘れていた。初心に戻って頑張りたい。

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今日は週に回のシャーガスの日。パルミラという地区の保健所でシャーガスに関する講演会。お医者さんか博士(クトルと言っていたが役職はわからない)が話したあと、カウンターパートが話した。ちょっと手伝いをしだけ。プロモーション担当のおばちゃん(名前がわからず・・・)とカウンターパートが「彼(←俺)が持っている資料とかももっと使ってもっと内容を進化させてもいいかも」みたいな話をしていた。もちろんスペイン語はわからないので一部想像の訳が入っています。まだ活動の全体像が見えてこないし、一人で家をまわったりできないので何とも言えないが、やはりボケテに行って集中的に仕事をしたいと思った。ただし、他の部署の人とのコラボレーションも必要だし、まずは一人でまわれるようになるまでスペイン語を習得しないといけない。もうちょっと先の話だ。

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コスタリカとの国境沿いまで言って噴霧。今までは後ろでちょこちょこしてるだけだったが、今日は噴霧もした。かなり疲れる。みんな体格がいいのもうなずけると思った。手拭いをマスク代わりにして巻いていたら子供たちが真似してTシャツを頭巾のようにしてかぶっていた。かわいかった。食事のときに一緒にまわった担当者ががカウンターパートに「使い方は理解してるよ」と言っていたので近々噴霧のときだけでも一人で回れるかも。ボケテへの道を早く拓きたい。

国境沿いの場所にある保健省の建物と思われる物件のそばに中国人が経営する店があった。そこの中国人のムチャチャ(スペイン語で若い女性)がみんな気に入ったらしく、俺をダシに話しかけようとしていた。みんなかわいいかわいいと言っていたけど、それほどでもないと思った。彼女の後ろ姿だけ見てください。パナマ人ちょっと好みが違うのかな。ちょっとした時にふたりで話す機会があって、彼女は7年間パナマに住んでいるけど、正直な話パナマは嫌いと言っていた。なんとなくわかる気もする。二人の立場は違うのでなんとも言えないが。それにしてもみんな写真を撮れ、写真を撮れとうるさい。この角度からだとウサギがよく見えるぞ、とか。ウサギの写真とか別にどうでもいいし。

いままで考えていたことだが、やはり公務員としての働き方がイマイチわからない。一般企業で働いてきたのでその考え方が染みついている。そこのところに早く慣れないといけない。でも慣れすぎると日本に帰った時に苦労しそうなので、やはり目一杯働きたいと思う。

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休日だったので朝から部屋の掃除と洗濯をした。庭に干した。犬に噛まれないか不安だったが、今日は暑いこともあり日陰でおとなしくしていた。この家に来た初日に噛まれそうになったのでトラウマになっている。だってデカイんだもん。

前日の大雨でスニーカーが全体水につかってしまったので服と一緒に干したが乾かなかった。明日も干さないと。そして午後、ネットカフェに行くときに別のスニーカーで行ったが、結局雨に降られてその靴もびしょびしょ。明日はどうやって外出すればいいのだろうか。

協力隊同期で同じ語学クラスだったAとスカイプでチャットした。やはりいろいろと悩んでいるらしい。しかも彼女の国には同じ職種の人がいないらしく相談のしようもないらしい。パナマに彼女と同じ職種の人がいるので今度いろいろと聞いてみることにする。

そして協力隊同期で同じ生活班だったTさんに前日の815日に娘が生まれたとメールがあった。おめでとうございます!

2008年8月24日日曜日

8月9日~8月12日

8月9日から12日の日記です。ちなみに、今日8月23日で赴任してからちょうど2か月が経過しました。明日から3か月目に突入です。


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土曜日。でも休日出勤した。この振替休日はもらえるのだろうか。今度確認しないと。コスタリカ国境付近での噴霧とデング熱を媒介する蚊の調査に向かった。セルヒオと一緒に一区画を調査。2件で見つかった。これは噴霧の対象になるかもしれない。来週から仕事は何をするのだろうか。このまま毎日これをやるわけにもいかない。これならパナマ人を雇った方が数倍マシだ。カウンターパートやシャーガス担当者はとりあえず研修中だから、みたいなことを言っていた。早く自分の仕事を確立したい。

今日、髪を切りなさい、みたいなことを言われた。規律だから、とか言っていたけど、そんなの小学生じゃないんだから関係ない。ここで従うと後の仕事も向こうの言いなりになってやりにくくなりそうだから、反抗してみることにする。意外とここがポイントになるかもしれない。

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午前中に洗濯をした。チョレラで先生からもらったタオルを洗濯したらえらいことになった。編みこみが甘いのか大量のカスが出てきた。一緒に洗ったジーパンやタオルも結局もう一度洗い直すことになってしまった。なかなかいい柄のタオルだったがこれでは使い勝手が悪すぎるので捨てることにした。

午後、近くの(と言っても徒歩30分以上)ネットカフェに自分のPCを持ち込んで使っていいか聞いてみた。店員さんはめんどくさそうな顔をしながらも一応は快くOKを出してくれた。セキュリティソフトでノートンは使いずらいのでウィルスバスターを使うことにしたが、ノートンをうまくアンインストールできず、結局ウィルスバスターもインストールできなかった。ノートンはどこまで迷惑をかければ気が済むのか。

ここは3時間で1.5ドル。格安なので早く仕事から帰った日や週末に使うことにしよう。ただし、遅い時間になるとパソコンを持ち歩いているのは大変危険なので早い時間限定で行かないといけない。早く家にインターネットをつないでくれないかな。


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活動2週目がスタート。朝1時間ミーティングをやった後、担当職員と一緒にデング熱の蚊が発生していないか、一軒一軒回った。ここダビにもUTPがあることがわかった。いったい校舎はいくつあるのだろうか。ここはかわいい子が多かった気がする。自分の活動はいつ、どういう形で始めればいいのかよくわからない。今度、カウンターパートに相談しよう。今日も髪を切らないの?と言われた。小学生じゃないんだからそんな規律いらないだろ、と言ったら、まぁそうだけど、みたいな顔をして「ヘフェ(スペイン語で上司の意味)がね」みたいなことを言っていた。あのヒゲ野郎か。なんでヒゲはよくて髪はダメなんだ。しかも全然長くないし。

その後、給料の話になった。いくらもらっているんだ?と聞かれたので少ししかもらってないと答えた。彼は素直に金額を教えてくれたが、彼はJICAの資料の倍以上、教員の奥さんは3倍以上もらっているらしい。きっと、貨幣経済からはかけ離れた場所にいる原住民族の人数もいれた平均なのだろう。もっと生活費をあげてほしい。

事務所に帰ってからまた収入の話になって、日本では25万~27万くらいの月収だったと言ったら、おれたちの4倍くらいだとか日本でコーヒーはいくらなんだ?とかいう話になった。こっちではコーヒーは3040(≒30円~40円)センターボ、日本では安いところもあるけどだいたい2ドル(≒200円)くらい、ビールもこっちでは50センターボ(≒50円)だけど日本では一缶2ドル30セント(≒230円)くらいだ、と言ったらわいのわいのとやっていた。こういう身近な話題はみんな食い付きがいい。でも電化製品や車は日本とパナマでほとんど変わらない。電化製品なんて日本とパナマで1,000円もかわらない(例:デジカメ/日本で27千円くらい、パナマで279ドルくらいなど)と思う。収入格差を考えるとかなり高額な買い物になる。それにしても日本車が多い。日本車以外ではヒュンダイ。ようするに東洋の車しか走っていない。ビックリした。

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今日もデング熱対策の噴霧。といっても自分は後ろからちょこちょこと付いていくだけなので相変わらず仕事はしていないのと同じ状態だ。

今日はどうしてもナスとピーマンのオイスターソース炒めを食べたくなったのでスーパーマーケットに行った。ナスが売ってなかった。大ショック!!オイスターソースとレタス、玉ねぎを買って帰った。家に帰ってから野菜と肉でオイスターソース炒めを作った。ちょっとソースを入れすぎたがなかなかおいしかった。

仕事帰りにいつもの店でビールを買った。おそらく俺のために俺がいつも買う銘柄のビールを手前にだしてくれていた。ありがとう。

仕事で何をしたらいいのかわからないので先輩隊員に電話した。別に彼女が美人で話すきっかけがほしかったから電話したわけではない。参考になる話をしてくれた。よかった。

2008年8月17日日曜日

今回も4日分。写真もたくさん載せてます。

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今日はベテラン職員のセルヒオと一緒にデング熱を媒介する蚊
(スペイン語でAedes aegypty)の調査に出た。右の写真のように、水があるところを手当たり次第にチェックです。暑い中、何軒も回らないといけないので大変だと思ったが、もうちょっと回れるとも思った。今日だけだからだろうか。一般の会社と地方局勤務の公務員とではノルマが違うとは思うが。日本で仕事をしていたのと同じペースでやったら嫌われるよ、と言われたことがあるがなんとなく理解できた。一応、疲れたフリをして職場に戻った。水分がちょっと足りてなかったが、まだ余裕はあった。

驚いたことに、まわった家ではみんなすんなりと家に入れてくれた。日本だったらひと悶着ありそうな気がする。うちはそんなに汚くありません!みたいなおばちゃんが絶対にいるだろう。熱帯性の病気はみんな恐れているというのもあるし、みんなその調査を受け入れることで安全に生活できるから当然と思っているのだろう。

最後にまわった家でボウフラを発見した。セルヒオ、帰ろうとしていた… でも発見できてよかった。セルヒオを擁護するわけではないが、基本的にはマジメな人柄がにじみ出ているいいおっちゃんだ。ボウフラを発見した手柄もこっちに譲ってくれたし。きっとみんなこのゆっくりとしたスタイルで仕事をしているのだろう。

仕事の後、歩いてスーパーマーケットのREYまで行った。ちょっと道を勘違いしていたらしく、たぶん2キロくらいのところを4キロくらい歩いたと思う。ヘトヘトだったし、今日も買い物をしてしまったので、帰りはタクシーに乗った。金額は2ドル50センターボ。ちょっと節約してたのに全然関係なくなってしまった。でも方向をなんとなく覚えられたので、次回はもっと簡単に行ったり帰ったりできるだろう。パナマシティやチョレラと違って生活圏内にスーパーマーケットがないので結構不便だ。近所にミニスーパーはあるが、やっぱりREYみたいに大きいところの方が安心。歩く距離が伸びそうだ。靴も買わないと。ブーツとスニーカー。お金が…

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今日は殺
虫剤噴霧の日。みんな朝から若干テンションが高かった気がする。日本ならば5人乗りの車に7人で乗た。かなり乗りにくかった。サンタクルスという集落に行った。120軒くらいあるらしい。4人が噴霧、1人が説明係り、1人が車で巡回。俺は説明係の人と一緒に回った。途中で、彼は全然スペイン語が話せないから、と何回か言われてちょっとムッとした。ま、話せないけど。結構歩いて疲れたけど、大きな機械(左の写真参照)を持ってまわる係の4人はもっと疲れただろう。なんだか映画アルマゲドンみたいだった。誰一人名前を知らない。どうしよう。それにしてももうちょっと効率のいいやり方があるような気がする。そのあたりを考えるのも外部から来た自分のような人間の仕事だと思う。

今日、もっとムッとしたことがあって、商店をやっている店の娘の話になり、あそこは中国人か?日本人か?と聞かれた。こんな貧乏な国に来てまで日本人は商売をしない、と言いたかったがあえてそこは言わずに、あそこは中国人だよ、と答えた。その後、日本人と中国人は似てるね、というような話になった。そして1人アホな奴が「日本と中国の違いはチリキとサンチアゴの違いみたいなもんだろ?」と言っていた。そんなわけないだろ、バカ。今日は言い返せなかった。次からはしっかりと言おう。マジでムカついた。

デブが仕事終わりに飲もうと誘ってきた。今日はチリキ会があるから駄目だと言ったら何人女が来るんだ?と聞いてきた。知らないと答えておいた。その後、送ってくれることになったが、もう一緒には帰りたくないと思った。デブはわがままだ。しかも質問がよくわからなかった。「日本のスーパーにはなにが置いてあるんだ?」スーパーなんだから何でもあるよ、と答えておいた。

5時前にチリキ隊員が2名、荷物を取りに来る兼迎えに来てくれた。しばらく話し込んだあとタクシーで予約した中国料理店へ。タクシーの運転手のあんちゃんがアラブ語とスペイン語のバイリンガルらしく、そのことで我々と話があって盛り上がった。チリキ会は女性5人、男性1人(←俺)だった。チリキ会も楽しかった。が、6人中4人が同じ隊次であと半年くらいで帰ってしまう。その後2人になったら寂しい。おごってもらってしまった。ご馳走様でした。

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今日はじめて自分の本来の仕事であるシャーガス病の仕事現場を見せてもらった
。ボケテというチリキ県の首都ダビから車で2時間半くらいのところが現在の活動地らしい。何件かまわった。衛生状態はお世辞にもいいとは言えない。が、家を建て替えるなんてことはできないし、危ないので気を付けてくださいね、サシガメ(シャーガス病を媒介する虫)を見つけたら連絡してください、としか言えない状態になんとなくもどかしさを感じた。それにしても子供たちはめちゃくちゃかわいかった。ちょっとはにかむところが最高にかわいかった。

今日かなり重要なことがわかった。今、ダビの事務所で病害虫対策課に勤めているのは約20人。チリキ県内の地方局の人を足すと全体で65人くらいが病害虫対策課にいる。そのうちシャーガス病関連の業務を行うのは管理職を除くと3人、自分を入れても4人しかいないことが判明した。他の県ではどうなのだろうか。先輩隊員に聞いてみたいと思う。セルヒオもそのうちの一人らしい。で、他の二人は?と聞いたら今は休暇中とのことだった。そして毎週木曜日がシャーガス病対策の活動日らしい。ただし、この国ではマラリアとデング熱の対策が最重要課題であり、シャーガス病対策はその次にあたるため、マラリア、デンゲ関連の業務が入ったらそちらを優先するとのことだった。調整員さんからも言われているし、この国の現状を鑑みれば当然だと思う。週に1回、しかもない週もあるというこのシャーガス病関連の業務をいかに効率よく効果的に進めるか、というのを自分の仕事にしたいと思う。

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今日もデング熱対策の噴霧。今日はマヌエルと回った。相変わらずデブは質問の内容がはっきりとしないので適当にあしらっている。そして、「こっちに来い!」と言われたので「なんでだ?」と言ったらまた「こっちに来い!」と言われた。彼に命令される覚えはないし、こっちの質問にも答えてないのでシカトした。「お前はスペイン語が全然わからないのか?」と言われたところで知らないおばちゃんが話しかけてきたのでそこで終りになった。次からはもっとうまいこと言い返そう。

仕事の後、街に出てネットカフェに行った。日本語が読めず、店員と四苦八苦してるうちに30分がすぎてしまった。でも日本語が読めるパソコンがわかったし、インストールすれば日本語も書けることがわかったので、次回は交渉してみようと思う。その後、CDラジカセを買った。正直な話、カセットはいらないが、ついているのでしょうがない。場所をとるのでもっと小さい奴がよかったが諦めて普通のCDラジカセを買った。

夕飯には肉じゃがを作ってみた。まだ味の沁み込み方があまいが、肉じゃがを作るのは小学生の時以来ということを考えればまずまずだろう。この日の夕飯は肉じゃが、米、インスタントみそ汁。久しぶりに箸も使った。

2008年8月14日木曜日

今回は4日分をまとめて

ちょっと洒落たバーのメニューみたいなタイトルです。
前回のブログ更新に引き続き、今回は4日分をまとめてアップします。

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9時半にピックアップの車が来た。前日に言われていた通りの時間だったのでびっくりした。9時半から10時の間に来ると言われていたので11時くらいかな、と勝手に想像していた。おそらく前泊したのだろう。運転手が相当飛ばしてくれたおかげで3時半頃、目的地のダビに着いた。道も運転も粗いので、居眠りしていたら何回か衝撃を受けて首が痛かった。新しい家は以前にも隊員を受け入れていたことがあったので特別な説明がなくてもすんなりと入っていけた。こちらがまともに話すことができないのも知っていて、ゆっくり話してくれたので初日からうまくコミュニケーションをとることができた。協力隊の歴史を感じた瞬間だった。

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チョレラ(7月末まで生活していた首都パナマシティ近郊の町の名前)での生活の話をしているときに、ホストファミリーから「チョレラと言えばチチェメ(トウモロコシで作った甘いジュース)よね?」と言われた。そう言えば、以前チュートルのパトリシオから「チョレラはパイナップルで有名なんだよ」と言われたので「チョレラはチチェメとパイナップルだね」と言ったら、ホストファミリーも「やっぱりそうだね」と言っていた。日本から来た身としてはチチェメもパイナップルもパナマ名物だろうに、と思ってしまっていたが、パナマ人にとってはそれぞれの街に特徴があって、みんなそれを大事にしているということを改めて感じた。ちょっと手を抜いてしまっている自分に気付いて恥ずかしかったが、そのことに気付けて本当によかった。月曜日から始まる活動もこの気持ちを忘れずに取り組みたい。

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9時頃起床。起きたら家族はすでに出かけていた。朝食にサンドイッチを作って食べた。これから自炊の生活が始まるのだと実感した。午前中に洗濯を済ませ、昼過ぎから街に出た。タクシーやバスの乗り方も教えてもらったが何があるのか自分の目で見たかったので歩くことにした。片道1時間くらい歩いた。疲れたが今まで車の中からしか見たことのない風景を自分の足で見れたのはよかった。思ったよりも歩道が整備されているので自転車を買いたくなった。許可が下りるだろうか。水曜日に開催予定のチリキ会(チリキ県配属の隊員による飲み会)で聞いてみよう。帰りにスーパーで豚肉(バラ、ミンチ)を買った。玉ねぎとトマトも買った。今までほとんどない経験だったのでちょっとビビってたが、一度やればなんてことはないなと思った。ま、買うだけだし。メシを作るのはもっと大変だろう。2年後には本を見なくても簡単に料理を作れる男になりたい。

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出勤初日。この日が協力隊員として、本当の第一歩と言える日になるのだろう。初日なので一応協力隊の制服で出勤した。乗合タクシーで行けば町の中央まで35センターボと格安で行ける。バスでも30センターボ。時間のことを考えたらタクシーの方がよさそうだ。でもいろんな所を見たいので時間があったらバスでも行きたいと思う。帰りは運動も兼ねて歩きたい。

今日、今まで一番不安に思っていた質問を案の定ぶつけられた。「あなたは我々を助けるために何ができるの?」もともとの要請とは変更になってしまったため渋々来ました、とも言えず困ってしまった。パソコンを持ってくるために来たわけではないし、お金を落としに来たわけでもない。仕事をしに来た。でもここで、この職場で自分ができること、人助けになることとは一体何か。この答えも2年後には見つかっているのだろうか。きっと、何かがあるからここに来ることになったのだろうが、今はまだ見えていない。この根本的な問題を早く解決しないと仕事にならない気がする。これでは前の職場と同じだ。

職場のトイレに愕然とした。ホントに保健省の病害虫対策課のトイレなのか?ここが病害虫の発生源になっているんじゃないのか?というくらい汚かった。たぶん、ほんとに虫が湧いてると思う。きれいなトイレを早く省内で見つけないと。あんなところに二度と行きたくない。きれいにするよう、みんなに話しかけることの方が必要か。とにかく、衛生面でイニシアチブを取っていくべき人々の職場があれではイカン!

夕飯は豚肉とレタス、玉ねぎの肉野菜炒めを作った。思ったよりもうまくできた。炊飯器があるので、なんとか食事にった。ゴマ油を買ったのは正解だった。次にパナマシティに上京した時にもうちょっと買い足そう。味噌も買いたいが、高いしどうやって保存したらいいのかよくわからないのでやめておこう。以前、ホストマザーの職場でシニアの方が働いていたらしく、奥様がこっちでそろえられる食材で作れる日本食の本を作ってホストマザーに渡していた。これは使える!!このレシピも確認して、作れるものを作ろうと思う。どんどんレパートリーを増やしていきたい。肉の解凍、どうやったらいいのか。レンジで3分では長すぎたので、明日は1分半くらいでやってみることにする。

2008年8月11日月曜日

ずいぶん放置してしまいました。

すいません。ネット環境にたどり着けずずいぶん放置してしまいました。とりあえず7月30日から2日分アップします。

730

740分頃、同期隊員Iさんの迎えが来た。7時半から8時の間に来ると言っていたのでまさに時間どおりだった。午前中にはもう一人の同期隊員Wの迎えも来るというので、見送るために連絡所に残った。なかなか迎えの車が来ないので二人でグダグダしているところに先輩隊員のSさんが来た。何でも明日、先輩隊員門間さんの働いている病院で活動を手伝うので、そのための道具を作るという。二人とも暇だったので喜んで手伝わせてもらった。結局2時半頃になってやっと迎えの車が来た。Wを見送った後、事務所に顔を出し先輩隊員達の報告書を見た。

夕飯はスタッフ1名、シニア1名+奥様、隊員4名の合計7名でエルサルバドル料理食べた。トウモロコシの粉で作った皮の中にチーズ、豚肉、豆を入れたもので185センターボ、女性な2枚、男性でも3枚食べればおなかいっぱいになる大きさだった。それにビールを3本も飲んだ。2残ったのでありがたくいただいくことにした。結局、スタッフとシニアの方にほとんど出してもらってしまった。この日に出会ったシニアの方は、何歳かは聞いていないがまだかなり若い方だと思う。シニアで退してから来ている人ももちろんたくさんいるのだが、そうではなく働き盛りと言われる年代で来ている人の話をもっと聞きたいと思った。なぜキャリアを捨ててまで来たのか、それだけの価値があるのか。自分に対する疑問の答えにもなるのかもしれない。

パナマの隊員連絡所は引っ越し中で、現在は特別な用事がない隊員は宿泊禁止になっている。そのため、この日は30人近く泊まれる隊員連絡所に1人で泊まった。かなりブルーだった。しかもネットも満足につながらないし。やっとつながった!と思ったら連絡所同期で同じ生活班だったGさんから「スカイプでA(同期隊員で同じ生活班)とチャット中!」というメッセージが飛び込んできた。やった!と思ったが、結局ネットにつながったのはその一瞬だけで、その後2時間格闘したがダメだった。おとなしく寝ることにした。怖いので部屋の鍵も掛けて寝た。これがいけなかった。

731

この日は午後から先輩隊員Mさんの病院での活動の手伝い。午後2時からだというので、それまでに荷物の整理と調整員さんからもらった薬品の調合がうまくいくかを試すつもりだった。部屋から出て昨日の夕飯の残りを温めている間にシャワーでも浴びようと思って、部屋に戻ったがドアが開かない。鍵がかかってしまっている。どうやら鍵をちゃんと開け切らずにドアを閉めたためにまた鍵がかかってしまったらしい。カギは当然持っていない。管理人のおじさんに聞いてみたところ、彼もカギは持っていないらしい。一応、彼が持っているカギセットのカギを全部合わせてみたが、案の定開かない。そのうちドアを壊そうとしたので、彼を止めて事務所に連絡した。調整員さんがカギセットを持って来てくれたが、それでも開かない。なぜ… しょうがないので鍵屋を呼ぶことにした。鍵屋さんに連絡して2時間程してから鍵屋がやって来た。その間、調整員さんと話すことができたので結構有意義な時間だった。ぶらりと現れた鍵屋はなんてことはなく簡単にカギを開けてしまった。

なんとか病院での活動時間に間に合い、一緒に手伝わせてもらうことができた。ここではエイズで陽性の子供たちの治療を行っていて、Mさんは毎週木曜日の午後に子供達に紙芝居を読んだり一緒に踊ったり歌ったりしているらしい。一人、痩せていて車椅子で移動している子供がいた。エイズを発症しているとのこと。びっくりしてしまったが、今はエイズが発症しても治療ができるらしく、一緒に遊んでいた子供たちの中にも何人かエイズを発症したことがある子供たちがいるらしい。それがどの子かわからないくらいみんな元気だった。その子にも早く元気になってほしいと思う。みんな人懐っこくてほんとにかわいかった。少し元気をもらった気がする。疲れたけど。現地の大学の学生もボランティアで来ていた。さすがにスペイン語だとみんな理解が早いなと思った。ネイティブにはなれないが、早く一人前のスペイン語が話せるようになりたい。みんなで踊ったり歌ったりするのは日本と同じだが、こっちはもっとリズミカルというか、さすがラテン、みたいな感じだった。そして、先輩隊員はここでみんなからとても信頼されていることもわかった。嬉しかったし、自分もそうなりたいと思った。

夕飯は一緒に活動を行った先輩隊員2人と現地日本語学校の先生1人、そして俺の合計4人でベネズエラ料理を食べた。ここは先ほど活動を行った病院で治療を受けている子供の親が経営するレストランらしい。カウンターを覗いたらさっきまで元気いっぱいに遊んでいた子供が疲れ果てて寝ていた。かわいい。料理はすごくおいしかった。ベネズエラのビールも飲んだ。なかなかの味だった。日本のビールに近い気がする。夕食後、別の先輩隊員が参加するコンサートを観に国立劇場まで行った。国立だけあって劇場はなかなか豪勢な作りだったが、チケットの番号は手書きだし、チケット売り場での販売数管理も手書きだった。ここは改善したほうがいいと思う。コンサート後、まっすぐ連絡所に帰り、出発の準備をして寝た。

2008年7月30日水曜日

画像アップします。

遅くなりましたが、パナマビエホの画像アップします。歴史を勉強してから行ったので、心に染みるものがありました。

2008年7月29日火曜日

スカイプすごい。

今日、なんとなくネットを見ていたらスカイプのチャットメッセージが! なんと中米の別の国で活動中の駒ヶ根訓練所の同じ班だった同期隊員から。久しぶりにメッセージのやり取りをしていたらもうひとつ別のメッセージ。なんとその人とは別の同じ班の人からもチャットメッセージが入ってきました。最後には3人で同時に通話もできました。任地の情報や駒ヶ根情報を話し、2時間以上話してしまいました。久しぶりに落ち着いた気持ちになりました。明日からまた頑張ります。まだオリエンテーション中なので特に頑張ることはありませんが。

前回のブログにて

前回のブログで、世界遺産のパナマビエホの画像をアップすると書きましたが、ネットの通信状況が悪く、画像アップができません。今しばらくお待ちください。

2008年7月28日月曜日

語学研修終了

一昨日の725日に無事、語学研修が終了した。最後はデスペディーダ(日本語では送別会)をやった。手作り感満載だったが、そこそこによかったと思う。 途中、パナマの伝統的な踊りを踊った。何日間か練習したがちょっと失敗してしまった。とういか、そんなに人前で踊りたいとも思わないし、本当のところはか なりいやだった。なんでそんなものを強制されなければいけないのか、気に入らなかった。

昨日、荷造りを終えてからパナマへ移動。隊員連絡所で先輩隊員たちから歓迎会を開いてもらった。みなよさそうな人で安心した。ジャグリングを披露したが、また失敗した。もっと練習しよう。今は隊員連絡所が引っ越し中のため、不便なことも多いがやはり自分たちの家なので気楽にできる。飲みすぎて今日はちょっと二日酔いで頭が痛かった。

先日、パナマに6つある世界遺産のうちのひとつ、パナマビエホに行きました。とても美しかったので画像をアップします。

2008年7月25日金曜日

1ヶ月経過

今はパナマ時間で7月24日。パナマに来てから1ヶ月が経過しました。長いようで短い1ヶ月。全てのことが新しく、なかなか消化しきれない部分もあったし、自分に妥協してしまう部分もあって十分な成果が上げられたとは思えないが、とりあえずは1ヶ月無事に過ごすことができた。

最初は新鮮に思えたことも段々と当たり前になってきている気がする。それでは俺がここにいる意味がない。パナマ人の生活に入り込むことは大事だが、同時に外国人の目で見ることにより、現地の人が見つけられないポイントを探し出すのも協力隊員の重要な役目だと思う。

これから、常に新鮮な気持ちを持って取り組みたいと思う。

2008年7月21日月曜日

オルケスタデラルス

そう、あのサルサバンドのオルケスタデラルスです。

先日、ホストマザーが「この人たちは日本人よ。でもホントに上手だわ」(←一部想像の日本語訳です。ご了承ください)と言っていました。誰かと尋ねたら帰ってきた答えがタイトルにあるオルケスタデラルスだったのです。聞けば中南米全体で名の知れた人気バンドだとのこと。異国で頑張る日本人に励まされた気持です。

スペイン語を勉強してオルケスタデラルスが「光のオーケストラ」という意味であることが初めてわかりました。いい名前だと思いました。言葉を勉強すると、その言語と意外なところで出くわすのが楽しいです。これが言語を学ぶことの醍醐味の一つだと思いました。

お役に立てずに申し訳ない

今日、ホストファザーが車の修理をしていました。パナマ運河で働く技師なので自分でやっちゃうのでしょう。でも、今日はうまくできなかったらしい。あ~、俺が自動車整備隊員だったら直せるのにな、と思いました。そういえば、パナマに一緒に来ている同期隊員の理学療法士はうちに遊びに来た時にホストマザーとそのお姉さんにマッサージを施してすごく喜ばれていた。もう一人の同期隊員の小学校教諭はスペイン語での授業の練習を兼ねて近所の子供に算数を教えているらしい。ムムム、俺は飯を食ってるだけだなぁ・・・ ここではお返しできないが、仕事でこの国恩返しできるように頑張りたいと強く思った。

2008年7月20日日曜日

なんで!?

7月17日、18日で職場訪問があった。カウンターパートが17日にJICA主催の会議に出席するためパナマシティに来るという。調整員の方から連絡があり、「明日は会議に出て、その後、チリキ(7月末から働く場所の地名)に行ってください」とのこと。それならばカウンターパートも一緒なので安心。楽ちんと思ってたのが大間違いでした。

まず、会議は早くに終わる予定だったのが4時過ぎ終了に。協力隊員は夜間移動が禁止されており、チリキはパナマからバスで約7時間の場所なので、当初は1時くらいには抜けてチリキに向かう予定だったが、カウンターパートも一緒だから大丈夫だろうということで最後まで会議に出席。4時45分にバスターミナル着。次のバスは? ・・・5時45分・・・ 1時間待ちました。そこでやっと乗車。常夏のパナマで真冬並み(大袈裟です)に冷えたバスで移動。途中、30分の休憩を挟みながら順調に進みました。途中までは。途中で検問がありIDを見せろとのこと。パスポートの原本を持ち歩くのは危ないからやめた方がいいと忠告されていた私は迷わずコピーを提出。検査官がちょっと見てから、バスを降りろとの指示。え~?マジ?結局カウンターパートの人にも降りてもらい、バスを待たせるわけにもいかないので先に行かせました。最近、中国人の不法入国が多いとのこと。日本人も中国人も見分けはつかないでしょう。日本人はパナマに300人しかいないし。しかもビザが入国後30日間有効のもので、発行日は5月28日。実際には6月24日に入国したのでまだ不法滞在ではないのだが、パスポートのオリジナルを持っていないので入国日を証明することができず。結局、カウンターパートが一筆書いてくれてその場はなんとか収まりましたが、今度はチリキに行くバスがない!もう夜中のことなのでタクシーも流してないし。結局、30分くらい待って次のバスが来たので、それに乗せてもらいました。

チリキの県都、ダビッドに着いたのが午前1時半、それから予約したはずのホテルに行ったのですが、なんと予約がないし、部屋も空いてないという。どうやら、ネットで調べたのは別のホテルだったらしい・・・ そこからホテルを探し、なんとか夜中2時過ぎにホテル確保。それからすぐ寝て朝、久しぶりのお湯シャワーを楽しんでから待ち合わせして職場へ。

みんな何言ってるのかわかりませんが、とりあえずいい人そうだ。ま、地方局とはいえ国の省庁に努める役人なのだからみんないい人だし、きっと優秀なのだろう。隣の局に美人がいて、ラッキー!と思ったがすでに結婚していると聞かされ若干のショックを受ける。ホームステイ先の候補2件を回り、職場で簡単な打ち合わせ。そこで核心に触れてみました。「俺に何を期待している?」 答えは、「みんなが持っている知識や経験をお前は持っていない。だからこれからみんなで教える。でもお前しか持っていない経験もたくさんある。一般企業で務めてきた経験をここで活かして、みんなに教えてほしい」とのこと。なかなか難しい。でもやりがいのある仕事だと思った。

午後2時にチリキを出発。6時間半かけてチョレラへ。結局、移動時間の方がチリキ滞在時間よりも短かったが、それなりに内容はしっかりした出張だったと思う。

チリキの空はきれいだったので写真を撮りました。見て下さい。

2008年7月17日木曜日

なぜ?

先日、ミクシィでパナマ運河について書いたら2件のコメントがあった。数日後、パナマでタコ焼きを作ったことを書いたら7件もコメントがあった。人の心はわからないと感じた。

右側通行

ここパナマでは車は右側通行です。
頭では理解しているつもりなのですが、バスを待っているときに車を見ると、「あ、あの車、コーナーでふくらみすぎだ!危ない!!」とか、「あ、両方とも右側行っちゃってる。どこで交差するんだろう、危ないなぁ」とか考えてしまいます。でも最近やっと、道路を渡るときに左側から見れるようになりました。

常夏じゃん!

パナマでは雨期のことを「冬」と呼ぶらしいです。あ、そうは言っても毎日25度オーバーでみんな半そで短パンにサンダルです。ちなみに冬は4月後半~12月まで、1年の大半が「冬」ということらしいです。あ、みんな半そでですよ。で、残りの季節が夏で気温は30度くらい、マックスで33度くらいまでいくそうです。常夏じゃん、とか言わないでください。俺もそう思うけど、パナマ人はそう言うんです。

ここまで書いて気づいた方も多いかと思いますが、日本の夏は35度~40度の気温が毎日続きます。そうです、日本の方が過酷な状況です。パナマ人に「日本の夏は35度~40度くらいあって、毎年何人か暑さのために亡くなってしまうんだよ」と言ったら、「エ~ッ!! パナマジャソンナノアリエマセ~ン」みたいな顔をされました。

日本から、「東京は連日30度を超えて、この前は35度でした。でもパナマの方が暑いよね?」とメールをもらうたびに申し訳なくなる今日この頃です。

2008年7月16日水曜日

最近思うこと

ここのところ、特に変わったことはない平凡な一日を送っています。記載するべきこともないので、最近思ったことを書きます。

①足が臭くなった気がする。
あくまでも「気がする」です。水シャワーなのでゆっくりできないからさっさとあがっちゃいます。なんか臭いような気がする。あくまでも気がするです。

②水は大切
ここチョレラではたまに水が止まります。ちょろちょろの水を手に掬ってから身体にかけて汗を流すのは結構切ないです。アフリカ隊員に比べたらまだまだ水も電気も安定していて、恵まれた環境にいるのはわかっているのですが・・・ 水や電気は生活に欠かせないものだと身にしみました。

③最近ずっと眠い
最近ずっと眠いです。そのままです。たぶん、わかる部分はスペイン語で考えてるからいつもより頭を使っているので疲れやすいのかと。早くスペイン語に慣れたいです。

④早くも帰りたい
ま、3週間経ったので、そんな日もあるでしょう。日本の居酒屋が恋しい今日この頃です。

この前、たこ焼きを作ったので画像アップします。

2008年7月13日日曜日

どこでもいっしょ

今日、ホストファザーが2歳7か月になる娘を背中に乗せてお馬さんごっこをしていました。これは世界中、どこでも一緒なんだな、と思いました。

あ、訂正があります。
先日、親戚の娘をmonikaと訂正しましたが、やっぱりmonicaでした。改めて訂正申し上げます。

2008年7月12日土曜日

パナマ運河

今日、語学訓練で「パナマの文化を知る」という名目のもと、パナマ運河に行きました。あくまでもパナマの文化を知ることが目的です。長距離バス(と言っても1時間くらい)にも初めて生徒(同期隊員のことです)だけで乗りました。緊張しました。

パナマ運河は全長約80キロの人工の運河です。途中、3つの水門がありそこで水位を調節して船を上げたり下げたりして船を通します。左の写真を見てください。水門の右と左で水位が違うのわかりますか?こうやって世界の経済が支えられているのだと目で確認できたのはよかったです。ちなみに、この運河の使用量ナンバーワンはアメリカ、2位が中国で3位が日本。4位か5位に韓国がきます。それなのにこの国の人は「日本と中国は違う国なのか」とか言ったり、韓国製品を指さして「日本製は最高だな」とか言ったりします。ま、確かに遠いししょうがない。前の日記でも書きましたが、我々もカメルーン人とナイジェリア人の見分けはつきません。でもなぁ、という感じです。

船が通っているところの写真も撮りたかったのですが、人がたくさんいすぎて撮れませんでした。悔しいので、パナマ運河に群がる人々の写真を撮りました。見て下さい。

帰りに首都のバスターミナルからバスに乗るとき、乗車料金の他にいくらかお金を払わないといけないのですが、25センターボ(=25セント)だと思ったら5センターボだけでした。ただでさえ言葉が通じないんだからちゃんと調べないといけないと思いました。

チョレラに戻ってからホストファミリーと映画を観ました。カンフーパンダ。面白かったけどスペイン語は相変わらずわからない。そしてまたおごってもらってしまった・・・

2008年7月11日金曜日

ダンスダンスダンス!!

今日はホストファミリーの親戚のMonicaが泊まりに来ている。以前にも書きましたが15歳で日本の中学生に当たると思います。で、何やら俺が間借りしている部屋に入りたいとのこと。部屋の奥でごそごそ何かを探していたのですが、奥のスーツケースから出てきたのはなんと緑のスカート。pollera(右の写真参照のこと)というパナマの民族衣装だそうです。なんでも明日、学校で伝統的な踊りの授業があるとか。で、お父さん(39歳)がyou tubeでパナマの伝統的な踊りを探してみんなで踊ってました。今まで、そんなに踊るパナマ人を見たことはなかったのですが、みんなうまかったです。みんな学校で習うみたいです。あ、さっきも書きましたね。本当に文章が下手でごめんなさい。

色つきのスカートは奥様方がエプロンみたいな感じで使うみたいです。で、白いのが祭り用。娘のMaddisonも子供用のpolleraを来て踊っていました。日本ではどんな踊りをするの?と聞かれたのでyou tubeで東京音頭を見せました。微妙な反応でした。ちなみに昨日は国家の話になって君が代独唱しました。

今日の夕方、パナマに来て初めてスコールというものを体験しました。もの凄かった。で、30分くらいでやみましたが、おじいちゃんはしばらく気付かずにハンモックに揺られてたので焦って呼びに行きました。

2008年7月10日木曜日

今日はちょっと…

昨日、会議で頭を使った為か(全然内容は理解してませんが、何か?)、今日はちょっと疲れ気味だった。先生にも反抗的な態度をとってしまった。大人げないと思った。でもわからなかったからしょうがない。わからなかったらわからないとはっきり言わないと、わからないまま進んでしまう。

昨日、会議から帰るときに家が近い人に送ってもらった。その人は子供の誕生日とかでケーキを買っていた。ケーキを注文して出てくるまでの間に、水が溜まっていそうな穴とか缶とかを見ていた。なんでも蚊がデング熱やマラリアを媒介するので、ボウフラが発生してないか確認しているという。ここまでくると職業病だなと思った。同時に、ここまで真剣に仕事をしているプロの人たちに対して、自分が何をできるのか、ちょっと悩んでいる。ちなみに昨日の会議ではみんなパワーポイントを使ってプレゼンしていた。俺よりもパソコンの技術があるし、感染症対策の知識も経験もある。とは言っても今さら何かを得たりはできないし、辞めるなんてことは考えてないので、自分のできることを目いっぱいやれるように、今は語学を頑張ろうと思う。

2008年7月9日水曜日

慣れてきました

今日思ったこと。

だんだん水シャワーに慣れてきた。ちょっとだけパナマ人になった気分です。

今日は会議でした。

本来なら今日も語学訓練のために大学に行かなければならなかったのですが、昨日のお昼に調整員の方から電話があり、自分が関係する職場の人が集まる会議があるからパナマシティまで来るようにとの連絡が入りました。今住んでいるチョレラという町にも保健省の地方局があり、そこのスタッフが迎えに来てくれることに。チョレラの地方局には先輩隊員もいらっしゃったので安心です。

朝、7時15分に近くのスーパーの前で待ち合わせをして出発。実際には10分くらい遅れて来ましたがあまり気にしません。8時半から始まる会議には時間前に到着。でもみんな挨拶したり話したり遅刻したりでちょっと遅くに始まりました。

最初の挨拶があってから次に話す人も挨拶なのかな、と思ったらずいぶん長く話していたのでやっと、「あっ、プレゼンが始まってる!」とわかりました。自分のスペイン語能力の低さに情けなくなります。その後、何組かプレゼンがあったのですが、案の定まったくわかりません。しかも、住民参加型の手法の先生が、「ペアを作って5分間話した後にみんなでお互いに紹介し合いましょう」とか言う始末。もちろんこの説明もわかってませんが。片言のスペイン語で話したらなぜかみんな拍手をしてくれました。恥ずかしい。

今日の会議で思ったことなのですが、パナマ人は話好きみたいです。とにかくみんな話す話す。もう時間だって言ってるのにまだ話し足りない感じ。まだ俺がうまくスペイン語を話せないのでそんなにコミュニケーションを取れてませんが。もうちょっと頑張らないと。

それと、英語を話せる人も結構いるけど、英語を話す機会が少ないので話したがっている。スペイン語がダメなら英語で話しかけてみよう、という人がたくさんいます。英語で話すと、スペイン語がさらにごちゃごちゃになりますが、こっちも英語を忘れたくないので英語で話します。早くスペイン語と英語をうまく使い分けられるようになりたいな。

そして、今日突然言われたのですが、10月に広域研修ということでホンジュラスに行くみたいです。今は申請中だけども、行く方向で準備するように言われました。まだ職場の雰囲気もわからないのに・・・ ま、とにかく仕事を頑張るだけです。

2008年7月8日火曜日

意外でした。

日本で車を運転する時、「ハンドルを切る」と言いますが、スペイン語でも「切る」という意味の「cortar」という単語を使うようです。まったく違う言語なのに同じ使い回しがあって面白いと思いました。

訂正があります。

今までのブログで何点か訂正があるので書きます。

①7月4日の日記
親戚の名前 ×monica→○monika

②7月4日の日記
パートナーの名前 ×patricia→○patricio

③7月5日の日記
近所の美人の名前 ×raya(ラジャ)→○yara(ジャラ)

④バスを降りるときの掛声 ×バラーダ→○パラーダ

謹んで訂正申し上げます。

2008年7月7日月曜日

聞かされていたことですが・・・

何を聞かされていたのかというと、「協力隊の男性隊員は例外なく痩せる」ということです。男性はストレスが溜まると食欲がなくなるから痩せるんだとか。

でも俺は逆に食べたくなる。だから俺は太るんだろうなぁ、と考えていました。高校時代は部活もバンバンやっていて太らなかったんだけど、それ以降、一気に体質が変わって太りやすくなってしまった。酒もたくさん飲むし。パナマ飯は炭水化物や油を大量に摂取するから太りやすいし。

と思っていて、家にある体重計に乗ったら3キロくらい痩せていた。駒ヶ根であんなに頑張っても痩せなかったのに。ま、その体重計が正確ならばという前提ですが。毎日お腹いっぱい食べてるのに。あまり食べてなくてもお腹いっぱいになってしまっているのだろうか。やっぱりちょっとナーバスになっているのかなと思いました。

2008年7月6日日曜日

お誕生日。

今日はホストファミリーの親戚の子(5歳)の誕生日だというので一緒に行ってお祝いをしてきました。

最初に駒ヶ根で習ったジャグリング(注:もちろん他の生徒からという意味。こんな授業はありません)を披露。失敗したがそこそこウケた。その後、日本から持参した剣玉も披露。こちらはさらにウケて、子供達も奪い合っていた。その後は質問攻めにあった。日本と中国は違う国なのか?とか日本でも中国語を話すのか?とか言われた。まだまだ日本は知られてないと実感した。都市部でこうなのだから、田舎に行ったらもっとすごいだろう。というか、日本という国名すら知らないかも。ただ、我々もガボンの人とカメルーンの人を見分けられるのか?と言われたら、そんなことできない。他には野球とかアニメとかの質問も多かった。

日本の誕生日と違って友人や親戚の人をたくさん招くものだった。お金をかけるというわけではないけど、とても満たされた気持になった。ちなみに右の写真はピニャータ(だったと思う)という人形で中にお菓子が入っています。これを叩き壊すのが習慣らしい。写真で叩いているのは先日のブログで書いた親戚のmonicaです。なかなかいいスイングをしています。中には飴がたくさん入っていて、壊れた瞬間にみんなで駆け寄って奪い合います。

日本とは違った習慣を経験できて、非常に有意義な一日でした。

2008年7月5日土曜日

3日分、しかもかぶってます。

7月1日から7月3日までの日記アップします。しかも7月1日アゲインです。でも内容は違うので見てやってください。

7月1日(続き)

明日、プレゼンがある。全然準備してないが、なんとかなるだろう。なぜならPatricioとお父さんがパナマ運河の情報をたくさんくれた。これをくっつければ立派なプレゼンになる。お父さんもPatricioも熱心に教えてくれた。パナマ運河はパナマ人の誇りなんだということを実感した。

家に帰ってから、大学で何を勉強したのか?という話になった。そこから流れて仕事の話になった。今までvendedorという単語を使っていたのだが、それは「営業」ではなく「販売員」という意味らしい。なぜ販売員が啓発活動?という風に思っていたらしい。営業だからプレゼンは多少慣れていますよ、ということをやっと理解してもらえた。言葉は難しいと感じた。でもここが語学の楽しさや美しさなんだと思う。

7月2

プレゼンはそこそこうまくいった。営業だったので人前で話すのは多少慣れているのが功を奏した。でもそれはスペイン語の能力ではないし、実際にはたくさん直された。動詞の活用がどうしても覚えられない。

昼メシにパナマ名物のbollo(トウモロコシの粉をこねたものに鶏肉を入れた料理)を食べた。家に帰ったら、お母さんが今日はパナマ料理よ、といって同じものを出してくれた。笑顔で食べた。結婚して、昼にカレーを食べて夕飯にカレーが出ても笑顔を作れると確信した。お父さん帰宅後、魚の話になった。中南米では魚はあまり食べないと聞いていたがパナマではけっこう食べるらしい。30を過ぎてから魚好きになったのでうれしい話だ。

ブラウニー(右の写真参照のこと)は高いところが苦手らしい。いたずらしようと思って持ち上げたら腰を痛めてしまった。悪いことをすると自らに返ってくると実感した。

73

近所の美人の名前が判明した。Raya(ラジャ)。やったね。あとバスを降りるときに「バラータ」と叫ぶこともわかった。今日はたくさんのことを覚えた。宿題もやったし。早めに寝るとしよう。


以上です。

2008年7月4日金曜日

4日分。ごめんなさい。

とりあえず6月28日~7月1日の日記アップします。長いですが見てやってください。


6
28

ホテル8時発。パナマシティを出て語学訓練のためにチョレラへ向かう。初めてのホームステイ。少し心配。ホテルには語学講師のElvia、パナマオフィススタッフが来てくれた。領収書の件で若干もめたがなんとかなった。

チョレラではまず語学訓練を行うUTP(大学名です)に行く。そこでチュートルと合流。チュートルとは「家庭教師」という意味ですが、ここでは家庭教師というよりパートナーという感じです。パートナーの名前はPatricia18歳。長身で船に関する何かを勉強しているらしい。スペイン語がもっとできれば理解できるのだが… でもそのためにUTPにきているのでしょうがない。その後、ホストファミリーが大学まで迎えに来てくれた。Jabiel, Melva夫妻と娘のMaddison。事務所では4人家族と聞いていたが3人だった。ま、あまり細かいことは気にしない。

ドナドナのようにパナマ派遣の同期隊員3人が順番に分かれていく。俺は2番目。今までは結構楽しかったけども、一人になるとかなり寂しくなる。

ホームステイ先ではトイプードルのブラウニーが出迎えてくれた。すごくかわいい。靴を食べたり脚を噛んだりするがそこも気にしない。餌の横に置いてある飲み水の中でよく水浴びをしているので狂犬病ではないようだ。

昼食はパナマレストランで食べた。おごってもらった。かなり美味しかった。食事的にはパナマに適応できそうだ。しかし、油が多いし、魚や野菜をあまり食べないので体重のコントロールには気をつけないと。

夕食後、家族で「Wall E」という映画を観た。なかなかいい映画だと思うが、案の定スペイン語は全く理解できない。もっと勉強しよう。家に帰ってからお父さん(と言っても39歳なのでむしろお兄さん)とビールを飲む。美味しい。彼はパナマ運河で働く技師だという。国の中枢というと言いすぎかもしれないが、この国では重要な仕事である。

629

朝食後、家族でプールに。大人は一人3ドル。おごってもらってしまった。ちゃんとお金を払わないと… 昼食をパナマレストランで。またおごってもらった…

この日はホストファミリーの親戚の家をたくさん回った。もう何軒行ったのか、誰がいたのか、全く覚えられなくて困った。この日もスペイン語の未熟さを痛感した。パナマ人は気さくに話しかけてくれるのに、自分からは話しかけられない。もっと姿勢を変えないといけない。

夕方、同期隊員のホストファミリーの家に行く。色々と話した後に、同期隊員がインターネットをしたいとのこと。我が家(もちろんホストファミリーの家)で出来るので彼を招待。その後、夕食も一緒に食べた。ビールも飲んだ。そう言えば、ビールを飲んだ後にお父さんは運転していた… 確か昨晩、飲んで運転して捕まったら体罰があると言っていた。ま、一杯だし、大丈夫。

同期隊員を送った後に親戚の家で誕生日パーティ。誰の親戚かわからないがたぶんお母さん(というよりはお姉さん)の親戚。帰りに、15歳のmonicaも一緒に車に乗って家に来た。15歳にしては色っぽい。以上。

630

昨日は色っぽいと思ったmonicaだが制服を着るとやはり15歳だった。朝食後、お母さん、ホストシスターのmaddison(しつこいようだが27か月なので娘でもおかしくない)に大学まで送ってもらった。一回25セント。2台乗り継ぐので合計50セント。ここではアメリカの貨幣をつかっているが、通貨は独自のものがあるので、セントとは呼ばずにセンターボという。今の俺にとってはかわりはない。もっと長くパナマにいたら愛着がわいてセントとセンターボを使い分けるようになるだろう。

大学では最初3人一緒に、その後に保健省配属組(俺を含む2名)と教育省配属組(1名)に分かれて授業が始まった。駒ヶ根でも外国人の先生だったのでそんなに変わりはないが、2人なのでやはり寂しい。先生が紙を大量に取り出して見せたのでびっくりした。どうやらここのトイレには紙がないらしい。明日から持って行こう。そしてゲーターレイドみたいなドリンクを先生が自分で持ってきた水に入れて飲んでいた。ジュース自体は着色料が大量に入っていて毒々しいくらいの赤だが水と混ぜるとちょうどよい感じに見えた。先生が赤い水を飲んでいると、なんとなく似合う。特にコメントはない。さっそく宿題が出た。そしてプレゼンもやらないといけなくなった。語学訓練の為に来たのだからしょうがない。

授業後にチュートル達と会った。Patricioはなかなか好青年だ。しかもパナマシティで2位に入るほどのバスケのチームの選手らしい。すごい。アニメも好きだと言っていた。日本のことを出来る限り彼に教えよう。みんなで食事。日本人はきれいに食べていたがパナマ人はそうでもなかった。全部食べると太るから、これからは少し残すようにしよう。食後、バスで送ってもらう時に手ぬぐいをあげた。喜んでくれたと思う。

家に戻るとmelvaのお父さんのjose(お祖父さんにあたるが、本当の父親より年下)が待っていてくれた。色々と話した。こういう時間が大切な勉強時間になるのだろう。結構楽しかった。

夕方5時ごろにお父さんとmonicaが帰ってきた。その後、家族みんなとブラウニーで近所の競技場へ行きちょっと走ったり歩いたりした。久しぶりに走って気持ちよかった。maddisonもブラウニーも大喜びだった。ここの家族は若いし恐らくパナマの中でもいい生活をしている方なのだろう。パナマ運河で働いているのでアメリカの影響も強く受けていると思うし、なかなかアメリカナイズ(いい意味で)されていると思う。俺にとっては快適だ。

帰ってきたらタンクが壊れて水が出ないとの事。お父さんが自力で治してしまっていた。さすが技師、というかパナマではこれが標準なのかもしれない。眠くて宿題をさぼってしまった。初の宿題なのに…

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昨日は早くに寝たので目覚めも早かった。だんだん時差がなくなってきた。いいことだ。でも昼間にあくびが出てしまう。これは時差のせいにしている。先生ごめんなさい。今日は動詞の活用とパナマのフィエスタ(祭りとかパーティとか)について。日本で活用をたくさん勉強したのに、案の定忘れてしまっていた。駒ケ根の先生ごめんなさい。

休憩を兼ねて先生、保健省組の3人で大学のカフェテリアに来た。パタコン6枚とパイ、ペプシで85センターボ。かなり安い。やはり学食は世界中でそういうものなのだろう。しかも美味しかった。カフェテリアでは大学まで一緒に来た(送ってもらったが正しい表現かもしれないが、彼女も授業があったので「一緒に来た」にする)近所の学生と会った。かなり美人で色っぽい。英語でいうところのスパンキーだ。でも名前を忘れてしまった。大失敗。どうやって聞き出すか考えないと。

 授業が終わったのは11時半だが、チュートルのPatricioの授業が終わるのは12時半。コンピュータールームでインターネットをやった。横に美人が座っていたが、そのパソコンでは日本語は使えないので、泣く泣く日本語が使えるパソコンに移動。メールを見て、ミクシィをやっている間にPatricioが来た。どうやら早めに授業が終わったらしい。ちなみにパソコンルームのスタッフ(彼の名は多分Felix)もよくしてくれている。日本人ボランティア達は無料で使わせてもらえることになっている。ありがたい。少しでもこの国に恩返ししないと。ネットが終わってからPatricioにパナマ運河について少し教えてもらった。彼は将来パナマ運河で働きたいとのことなので非常にわかりやすく説明してくれた。

どうやら今は試験期間らしく、忙しい合間を縫ってチュートル達は付き合ってくれている。今は中間試験みたいだ。ここパナマでは最初の学期と次の学期の間で2週間の休み、年末に3か月の休みがあるらしい。年度の開始は11日のようだ。このほうがわかりやすくていい。みんなと離れて一人でバスに乗って帰った。そう言えばバスから降りるとき、なんて言うんだっけ。忘れた。たまたま運転席が近かったので運転手のおじさんの肩を叩いて降ろしてもらった。後でmelvaに確認しないと。

4日分、一気にアップしました。長い。ごめんなさい。

2008年7月3日木曜日

パナマについて

6月24日から28日まで5日間、パナマ共和国の首都パナマシティで生活しました。生活と言ってもホテル住まいですが。あ、その前に日記のくせに1週間も前の話でごめんなさい。パナマに着いてからブログのことを思い立った上に、なかなかインターネットにアクセスできないのでこれからも遅延すると思いますが許してください。

パナマシティは都会です。新宿とか池袋ほどではないけど。100万人くらい住んでいるらしい。左の写真のように高層ビルが立ち並んでいます。車もビュンビュン走ってます。でも車の運転が発展途上国独特の勘と反射神経に頼ったものなので危ないです。

JICA事務所でもスタッフの方と話したのですが、パナマでは飢餓で死ぬ人はいないらしい。むしろ糖尿病に罹る人も多いとのこと。それは炭水化物に頼った食事をしているからなのですが。とりあえず人々は衣食住をこなしている。そんな状況のこの国でいったい何ができるのか、ちょっと悩んだりしています。

また駒ケ根の青年海外協力隊訓練所にいたときから悩んでいたことなのですが、国際協力とは一体何なのか、よくわからなくなっています。独りよがりなのではないかと。もうここまで来てしまったので、今更戻ることはもちろんできません。活動の中で何か見えてくるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。時の流れに身を任せることにしました。

で、パナマの生活に戻りますが、パマナ人は早起きです。朝7時ころに朝飯を食べようとフラフラしていたらもうたくさんの人が街中を行ったり来たり。車もビュンビュン走ってます。今、チョレラという町で語学訓練中なのですが、授業は朝7時半から始まります。勝手に、パナマの人はそんなに働かないんだろうなぁ、などと思っていたのですが、そうでもないみたいです。というか人によるのでしょうがかなり真面目に働きます。ますます自分が何をしに来たのかわかりません。

食事はこんな感じです。上記しましたが、炭水化物に依存した食事形態です。それに豆と肉。食べかけの写真でごめんなさい。

パナマは暑いのでビールもたくさん飲みます。ビールに関してはもう少し情報を得てから掲載します。乞うご期待。

それとやはり水は大きな問題みたいです。パナマでは水道水を飲んでも問題ありません。レストランで出る水も大丈夫。私は水が好きなのでガブガブ飲んでいますがお腹の具合は快調です。でも水道水の供給に若干問題があり、たまにストップするみたいです。雨はよく降るので、日本みたいにダムの水がなくなって断水、というわけではなさそう。まだ街のハード面が追いつかないようです。

ここパナマは熱帯性気候なので蚊も多い!マラリアやデング熱に気を付けて、と言われたけどどうしたらいいのかさっぱりわかりません。とりあえず虫よけスプレーを付けてと蚊取りマットを使用して寝ています。アフリカ隊員はかなり厳重にやらないといけないみたいですが、パナマでは大丈夫そう。というか、勝手にそう想像してます。実際には蚊帳も渡されていますが。保健担当のスタッフに申し訳ない・・・

とりあえず今日はこんな感じで。あ、今は語学訓練中です。パナマシティを離れてチョレラというパナマシティ近郊の町に住んでいます。ここは比較的マナーのよい町で人々も快く接してくれます。早くパナマでの生活に慣れて一人前の隊員になれるように頑張ります。