2009年10月22日木曜日

4月6日(月)思いきって入ってみました。

仕事が終わってから食材の買い出し。その後、近所のネットカフェへ。今まで使っていたのは、先日帰国した同じ市内に住んでいた先輩隊員のオススメだった。ただ、今の家により近い所にネットカフェがあったので行ってみた。外から見ると真っ暗な感じで入りづらかったのだが、思いきって入ってみたら店内も明るくきれいなところで、非常にいい印象だった。これから使おう。

2009年10月15日木曜日

4月5日(日)遅ればせながら…

今日の昼ご飯にテンプラを作った。揚げ物は初挑戦だったが、予想外にうまくできた。先日首都で買ったそばを茹でて食す。引越しそば。1週間経ってしまったが一応やっておいた。

午後は引っ越してからまだ走ってなかったのでコース探しを兼ねて外に出ようかと思ったが結局昼寝してしまった。

4月4日(土)久しぶりにゆっくり

久しぶりに週末をゆっくり家で過ごす。というか、この乾季は遊びすぎ+引っ越しでお金が全然ないので家で過ごさざるを得ない。午前中は久しぶりにカサエスペランサに行き子供たちと触れ合った。まだスペイン語がうまく操れない。もっと勉強しないとなぁ。

4月3日(金)エルサルでは1週間で終わらせたらしいのですが・・・

カウンターパートにいつシャーガス病調査に行くのか聞いてみたところ、ディーゼルがないからしばらくは行けないかも、という答えが。う~ん、困ったなぁ。基礎調査のカレンダーを作ってみたところ、週に1回調査に出れるとして帰国前の来年4月いっぱいまではかかりそうだということがわかった。その予定表を作ったのは3月初めだが、結局3月は1回も調査に出れてない。このままでは自分がいる間に基礎調査が終わらないかも。エルサルである隊員がいる地域では1週間でほぼ全市町村を回っていた。自分が作ったカレンダーではかなり端折っている。それでも1年以上かかる。なんか恥ずかしい気分だった。

4月2日(木)このときの予感は今となっては現実のものとなっています。

昨日からカウンターパートが出勤していた。代わりにボスが休暇。カウンターパートはここ数年間、休暇を取ってなかったらしく結局4か月休んでいた。その間、たまに出勤はしていたものの、これだけの長期休暇を取ってしまうところはすごいなと思う。そしてボスはいつまで休みなのかと聞いたら7月1日から出勤という答え。えっ、3か月?困った。カウンターパートは実直な人柄で好きだが、トップではないので判断を下すことはできない。シャーガス病の活動は彼らにとって新しい活動なのでその都度、新しい判断を求められるのだが、ボスがいなければ誰も判断できない。またしても活動が停滞しそうな気がしてきた…

今月の活動予定表を作成するとき、先住民自治区に1週間くらい出張に行きたいと言った。パナマに5つある先住民自治区の1つ、ノベブグレ自治区はうちの事務所の管轄下にある。確実にここには大量にサシガメがいると思われるし、まだほとんど調査はしてないけど、いる可能性が高いから早く来てくれと先住民自治区保健省事務所の担当者からも言われていた。それに、最初の要請では先住民自治区のある村に行く予定でもあったので、非常に興味があった。とりあえず再来週の出張が楽しみだ。

4月1日(水)近いので安心です。

大使館職員の家から朝帰りし連絡所へ。洗濯やメールチェックを済ませ再び大使館職員と合流。隊員がよく行く中華料理店へ。彼女は行ったことがないということだった。そこの餃子はおいしいのでぜひ食べましょうということでみんなで誘った。

昼食後、みんなと別れてターミナルへ。バスに乗って一路ダビヘ向かう。夜10時前に到着。前の家であればここからまたタクシーの運転手と交渉して家まで行くところだが、新居は徒歩10分で行ける。しかも、家までずっと夜でも人通りが多い道をいけるので安心だ。引っ越してよかった。

2009年10月7日水曜日

3月31日(火)本当に今日はスイマセン

今日は昼間は暇だったので連絡所でブラブラしていたら職員一行が新しい署長を連れて隊員連絡所へやってきた。実は、国内移動届を出し忘れていたのだ。正確には出し忘れたのではなく、配属先事務所のネットがつながらなかったため出せなかった。いずれにせよ出していないという事実は変わらないので素直に謝った。

夜は4月4日で帰国する大使館職員の家で送別会。先日、後輩隊員が働くトゥルーという村に一緒に行った職員だ。彼女の家で夜中まで話し込み、結局みんなで泊ってしまった。スイマセン。

3月30日(月)俺はコバヤシじゃない!

今日から、新居からの出勤。以前はタクシーを使って20分くらい。ただし、タクシーがすぐにつかまるとは限らない。たまに30分以上待たなければならないこともあった。それを思えば徒歩15分というのは本当にありがたいなと思う。

朝、職場のボスに聞いてみたところ、今週もシャーガス病の生息調査には出れそうになかったので火曜、水曜と休みをもらうことにした。ホンジュラスからのシャーガス隊員に会うため、そして31日に予定されている大使館職員の送別会に出席するため。休みの許可ももらい、そろそろ出ちゃおうかな、と思っていた2時半頃に同僚がパワーポイントで教えてほしいという。彼女がパワポで資料を作っていたのは気づいていたが、まさかこの時間に言われるとは… 結局3時に事務所を出る予定が4時になってしまった。これじゃ首都に着くのは11時過ぎだ。

そして今日の仕事中にもうひとつ、同僚に文句を言ったことがあった。いつも彼は「コバヤシ!」と自分に向って呼んでくる。どうやら昔のボクサーの名前らしい。が、おれはそんな名前じゃない。名前や国籍は個人のアイデンティティだから、間違うのは失礼だし、ましてや意図的に違う名前で呼ぶ何で言うのは論外だ。だが、彼はそのことに気付いていないらしい。だから今日からお前はホセだ!と言ったらムッとした感じで「俺はホセじゃない!」と言ってきた。俺もコバヤシじゃない、と言ったら「でもそれは日本人の名前だろ?」とまたしても言い返してきた。だったらホセだってパナマ人の名前じゃないか?自分がどれだけ失礼なことをしているかわかったか?と言ったら彼は素直に謝ってきた。これからもしっかりと自分の主張は通さないといけないなとわかった。

結局11時半頃、首都の隊員連絡所に到着。ホンジュラスのシャーガス隊員は起きて待っていてくれた。そこから2時間近く話し込み就寝。

3月29日(日)なんとか片づけ終了。

昨日の続きで部屋の片づけ。昼過ぎにはなんとか形になった。

今日、ホンジュラスからシャーガス病対策の隊員が任国外旅行でパナマにやってくる。彼が広域研修を企画してくれたおかげで今の自分の活動があるといっても過言ではない。来週暇であれば、休みをもらって会いに行こうとふと思い立った。

3月28日(土)恥ずかしながら、この年齢で本格的な一人暮らしは初めてです。

ついに引越しの日がやってきた。朝、荷物を詰めて家を出る準備をしている間にお父さんは出勤してしまった。お母さん、娘と3人で火曜日に帰国した先輩隊員からもらった栗のお菓子を食べる。好評だった。お茶も出した。お母さんは栗との組み合わせが絶妙だとべた褒めだったが、娘はだめだったらしい。甘いお茶でないと飲めないと言っていた。


家を出る前に先日買ったホットサンドメーカーを渡した。喜んでくれるか不安だったが、以前にも買ったことがあったが壊れてしまったとのこと。娘の弁当にちょうどいいと喜んでくれた。


タクシーに荷物を積み込み新しい家へ。途中、タクシーが故障するというアクシデントがあったものの、無事新居へ到着。荷物を広げてみたものの、なかなか納まらない。結局夜までかかっても片付かなかったので諦めた。

3月27日(金)いよいよ明日!

今日、スーツケースを持って職場に行ったら、みんなが「日本に帰るのか?」と聞いてきた。いや、まだ13ヶ月もあるから。


ついに明日、この家を出る。8か月、お世話になりました。

2009年10月1日木曜日

3月26日(木)上司というのは大変だ

ボスが来週からコクレ県での会議に出席するための資料を作った。休暇中のカウンターパートと秘書も出勤。大変だ。途中で本当に眠くなってしまった。

ボスが終業後、荷物を持って大変そうに見えたのか新しい家まで連れて行ってくれた。部下の家の様子を知ることも仕事の一つなのだろう。やはり上司というのは大変だ。

3月25日(水)サイアク…

仕事が終わってからいつもどおり、今度引っ越す家に荷物を持ち込んだ。その後、家電屋さんに行き、家を出るときにプレゼントとして渡すホットサンドメーカーを買った。喜んでくれるだろうか。

部屋で荷物の整理をしていたら湿気取りを倒してしまった。中には水がたっぷり。サイアク… 湿気取りを通して集めた水なので、特殊な薬品が含まれてるせいかトイレットペーパーではふきとれない。捨てる予定だったTシャツでふき取った。最後、家を出るときに雑巾代わりに使う予定だったのに。

3月24日(火)やっぱりわからんか…

職場に行ったらみんなが「優勝おめでとう」と言ってくれた。これで日本と韓国と中国は違う国だと多少はわかっただろうか。残念なことだが、彼らにはわからないだろう。これで日本と韓国と中国は違う国だとわかった?と質問したところ、案の定、「わかったよ。昨日、日本と中国はいい戦いをしたね!」と答えてきた。がっくし。

今日で9ヶ月間お世話になった18年度3次隊が帰国。入れ替わりに20年度4次隊がパナマに到着。18-3は12人、20-4は2人。1月にも9人が帰国して1人が赴任。年初に40名いたパナマ協力隊は20名になってしまった。さみしい。

3月23日(月)原はかっこいい

帰国する隊員に挨拶を済ませ、午前9時過ぎに連絡所を出発。今住んでいる家に、以前ホームステイしていた帰国する隊次の隊員が挨拶に来るということだったので急いで帰宅。彼女を囲んで夕食会。とても楽しかった。

夕食後、夜中12時過ぎまでWBC決勝を観戦。無事優勝。2連覇。素晴らしいことだ。原はかっこいいと思った。

2009年9月16日水曜日

3月22日(日)素晴らしい!!

朝食を済ませてから滝へ出発。高さ100m以上の滝で眺めは壮観と聞いていた。多くの隊員が訪れているので楽しみにしていたが、ついにこの時がきた。滝近くまで馬で行かせてもらった。馬に乗るのは初めて。慣れないと疲れる。要請変更がなければ毎日馬で移動していたのかと思うと、大変なところだったんだなと思う。1時間近く馬に乗り、その後30分くらい歩いて滝に到着。今は乾季なので水が少ないとは言っていたが、非常に素晴らしい眺めだった。太陽の光が差し込んだ時に滝が下に見えた。すごいと思ってよく見たら滝が二重に見えてダブルで感動した。最後は崖のようなところをロープを使って降りて滝壺に到着。ちょっと感動した。例の犬がついてきていたのだが、この犬は水が大嫌いということだったが、誰かがいたずらして滝壺に投げ込んだ。かわいそうに慌てていたが、臭かったのがおさまったのでよかったと思う。大使館の職員の方は真のパナマを発見できただろうか。

午後2時ごろにバスが出るということだったが、結局午後5時半過ぎに出発。今日はダビに帰らず、首都の隊員連絡所に泊まることにした。18年度3次隊が帰ってしまうので最後の挨拶。この日はWBC準決勝アメリカ戦。連絡所に着いた時はちょうど終了間際でみんな盛り上がっていた。無事勝利。やった!

3月21日(土)後輩の任地訪問with大使館職員(美人)

朝10時半に先輩隊員の家を出発してペノノメのバス停で大使館の職員と合流。彼女はもうすぐ帰ってしまうのだが、村に行ってみたいという。今回の目的は新しいパナマ発見だと言っていた。地元に住む隊員が、11時頃発予定のバスがあると言っていたのだが満席だった。午後1時ころにもバスがあるということなので、食事を済ませてからそのバスに乗ろうということになった。ところがそのバスが待てど暮らせどやってこない。結局、午後3時ころに途中まで行けるバスに乗って、そこからは3時間ほど山道を歩こうということになった。3時間ほど歩いてようやく村へ到着。みんなが待っていてくれた。事前に来るという情報は入れていたのだが、いつもより到着が遅いので来るかどうかわからず、夕飯をそれから準備したためちょっと遅い夕食となった。とても美味しい食事で、また行きたいと思った。村に行くと、なぜか歴代の隊員になついている犬が、今回もここで働く後輩隊員にまとわりついていた。面白かった。夜は4人で色々と話して盛り上がった。

3月20日(金)いや~、わかってはいるけどね、イライラしちゃうんですよ。

イライラした一日だった。なんでパナマ人は他人を待たせても何とも思わないんだろうか。信じられない。細かくは書かないが、ホントにイライラした。みんなもっと頭を使えよ!

地方で講演を終えてから事務所に戻るとき、水曜日から金曜日まで予定されていた他地区の媒介虫対策課との会議が中止になったといわれた。割と忙しい予定だったのだが、その会議がなくなるとヒマになる。18年度3次隊が火曜日に帰るので月曜日を休ませてもらうことにした。仕事が終わってからすぐにダビからバスで5時間ほどの町(=首都からはバスで約2時間)、ペノノメへ向かった。明日から後輩隊員が働いているトゥルーという村で滝を見に行く。ペノノメに住む先輩隊員の家に泊めさせてもらった。

3月19日(木)一人で行っても、そりゃつまらんわな。

昨日、仕事中に「明日(つまり今日)は休みだよ」と言われた。ダビ市の聖人の日ということだった。ラッキー。午前中は洗濯や掃除。午後は荷物を新しい家に持ち込んだ後にネットカフェに行き、その後フェリアに行った。祭りに一人で行ってもつまらないと再確認した。

3月18日(水)正社員と契約社員の差はここパナマでも大きいです。

殺虫剤散布とマラリア検査の採決の様子を写真撮影するように言われた。一日車に乗って学校を回って散布の様子を写真を撮ったが、久しぶりに外に出たらやっぱり疲れた。昼は一緒にまわった同僚の家で食べさせてもらった。

仕事が終わってから職場の上司の誕生日会。大きい庭にたくさんの招待客。途中でバンドも来た。ビックリした。酔った同僚から飲めとか踊れとか言われたが無視した。近くに住む同僚と一緒に帰った。タクシーが迎えに来てくれたのだが、驚いたことに昼飯をごちそうしてくれた同僚だった。確か彼は正職員ではないはず。やはり契約社員だと保健省からの給料では足りないようだ。

3月17日(火)もうすぐ新しい生活が始まります。

仕事が終わってから色々な店を見て回った。新し家に入ってから必要そうなものがわかってきた。食器や調理器具も貸してくれるということだったが、セットで買ってしまえば安いので買ってしまおうと思う。新しい生活だし、新しく買い揃えたい。その他にもカーテンなども必要そうだ。そしてなんといっても電子レンジ。できればオーブントースターも買いたい。けっこうな出費になりそうだが、まだ1年以上あるし、帰る前に後輩隊員にあげればいいので買ってしまおうと思う。

3月16日(月)助かります。

3月28日に今住んでいるホームステイ先から引っ越す予定。今月24日に帰国する先輩隊員が住んでいた家に引っ越すのだが、表敬訪問等の関係で彼女は昨日に家を引き払った。荷物が多いのでちょっとずつ持ち込ませてもらうことにした。家に入ると、先輩隊員が残してくれたものがけっこうあった。ホントに助かる。

3月15日(日)気をつけて

午前11時に村を出発。1時間ほどしてインテルアメリカーノハイウェイに出た。ここで彼らとお別れ。気を付けてお帰りください。

ダビについてからよく行く中華屋さんで昼食。テレビでWBCの日本対キューバ戦を見ながら食べていたら、お店の人が「昨日、あなたの友達が来たわよ。彼女、もうパナマを離れるらしいわね。」と言われた。そう、ダビ市内には3人、チリキ県内では全体で6人の協力隊員がいるのだが、そのうち4人が今月の24日で任期を終えて帰国する。ダビ市内ではたった一人の隊員となってしまった。急に寂しくなった。

2009年9月9日水曜日

3月14日(土)先住民自治区初潜入!

朝5時にホテル発。バス停で後輩隊員と合流し5時20分に出発。バスでしばらく平たんな道を行ったが、途中から山道。昨日、飲みすぎた上に遅くまで話していたので眠いしちょっと気持ち悪いし便意は催すしで大変だった。なんとか全てを乗り切り先輩の村に到着。

彼は先住民自治区で働いているが、任期の最後にお世話になった皆さんに料理を振舞いたいのと、持ち帰らない品を村人に売ってその収益を保健所に寄付したいということで、その手伝いをした。要請変更前は先住民自治区に入る予定だったので、初の先住民自治区入りにちょっと楽しみだった。

料理を村人と作る彼は楽しそうだったし、とても愛されている様子が伝わってきた。右の写真はみんなで蒸した鶏の肉をほぐしているところです。夜は男3人で星を見ながら語り合った。電気がないので、星は本当に美しかった。おっさん3人で見たのが残念だった。1晩だけなら楽しいが、2年もの間、電気のない中での生活は大変だったと思う。

3月13日(金)そりゃ、来るわけないよね

今日は朝からフェリア入り。保健省のブースで待っていたが、人が全く来ない。フェリアは昨日から3月22日まで11日間やるのだが、24時間開きっぱなし。ということだった。聞けば、平日の昼間から来るやつはいないとのこと。そりゃそうだろう。だって、みんな働いてるんだもの。結局、午後3時まで、同僚の娘と折り紙をして過ごした。

終業後はサンチアゴへ行きホテル泊。サンチアゴで先輩隊員と合流。明日は彼の村へ行く。

3月12日(木)すいません、これは昨日の話です。

今日からダビでフェリアというお祭りが始まった。パナマ国内でも有数の大きさのお祭りということだった。前日に突然保健省のブースでイベントをやるから出席するように言われた。そのイベントは夜8時からだったが、場所もよくわからないし、会場も大きいので中でも迷うだろうと思って早めに行った。

なんとか8時にはブースに来れたが、待てど暮らせど始まらない。9時を過ぎてしまい、横のディスコでも大音量で音楽を流し始めた。結局9時15分頃から始まったのだがわけのわからんスピーチと小学生以下の見世物みたいなものを見せられた挙句、変な感じで終了。食べ物を出していたが、人もたくさんいたし、時間も遅かったのですぐに帰った。行く必要があったのだろうか。いや、ない。損をした気分だった。

3月11日(水)全部、俺が悪いんです。他人のせいじゃありません。

保健所でシャーガス病講演。のはずだったが、車があるとかないとか朝からもめている。そんなの前から言っておいただろうが!保健所になんとか行ったらドクターが出てきて「前にそちらの事務所に連絡したら、いつになるのかわからないって言うから宣伝もしてないのよ」みたいなことを言われた。確かに、前にこの連絡があったことは聞いた。そして、電話を取ったおっさんに、3月11日にやるよと言っておいた。そして、この保健所に連絡を入れる必要があるかどうかも聞いたが、「大丈夫だよ」、という返事だった。その程度の電話対応もできないのかと思うと寂しくなった。

3月10日(火)やっぱり自宅はいいものです。

午前中に洗濯を済ませ午後一で隊員連絡所を出た。夜10時ころ自宅に着いた。隊員連絡所のベッドマットはいいものを使っているのだが、やはりみんなで寝ているので落ち着いて眠れない。久しぶりに家でゆっくり眠れた。

3月9日(月)そして今日もお手伝い

午前、午後各2時間ずつ日本文化紹介の手伝い。土曜日ほどではないが、なかなかの入りだった。目の前にすごい美人が座ったので、楽しいひと時を過ごせた。

夕飯はJICAスタッフの家でごちそうになった。まだ4歳と1歳半の子供がいるスタッフさん。子供に癒された。

3月8日(日)大掃除、歓送迎会

朝から隊員総出で隊員連絡所の大掃除。半年使った連絡所をきれいに。気持ち良くなった。ただし、本の整理でもめた。本を取っておきたい人ともう捨てちゃっていいんじゃない?という人が出て、結局ここだけはきれいにしきれなかった。

夜7時から、3月24日に帰国する平成18年度3次隊の送迎会兼1月に来た平成20年度3次隊の歓迎会を行った。涙あり笑いありの楽しい会だった。

3月7日(土)内容の濃い一日

朝から頭痛。昨日、あまりお腹にものを入れずに酒を飲んだのが悪かったのだろうか。たまたま、もうすぐ帰る隊員から胃腸薬をもらったのでそれを飲んで1時間半くらい寝た。よくなったので軽く昼食を済ませ、日本大使館主催の日本文化紹介イベントへ参加。JICAが移動の車を出してくれた。隊員連絡所まで車で迎えに来てくれた。先輩の女性隊員と同乗。車にはスタッフとドライバー、そして初対面の人がいた。誰だろうと思っていたら、先輩隊員も「誰?」と小声で聞いてきた。それに気づいたのか彼女から自己紹介をしてくれた。新しい隊次の人らしい。彼女は2か月ちかくパナマにいるはずだが初対面。やはり地方都市にいるとなかなか新しい人に会えない。

日本文化紹介イベントは大盛況だった。午前中は隊員有志によるよさこい披露。午後から折り紙と日本語の授業。隊員は折り紙を手伝った。午前中から踊っていた隊員に合流し折り紙を手伝ったが、人が多すぎて大変だった。

夜は大使公邸で夕食会。バーベキューやカレーなどを食べた。男性隊員はジーパンにポロシャツのような簡単な服だったが、女性隊員は着飾っていた。女性は大変だなと思った。そして普段はあまり化粧をしていない隊員もこの日は化粧もばっちり。化粧でずいぶん変るもんだなと思った。同期隊員は浴衣で来ていた。最初は「おっ!」と思ったが、ビュッフェスタイルで食事を取っている様子はビジネスホテルの朝食を食べるサラリーマンにしか見えず笑ってしまった。

隊員連絡所に帰ってから夜中までみんなと話した。社会人時代の社内恋愛の話をした。みんな大爆笑だった。ちょっと話しすぎた。

2009年8月23日日曜日

3月6日(金)普段7時間のところが9時間以上も

今日はパナマシティへ移動。明日の午後から大使館主催で日本文化紹介をするので、その手伝いをする。JICA事務所から配属先の事務所へ連絡を前もって入れてもらっていたので堂々と休んだ。

ちょっとゆっくり家を出たため、12時半ダビ発のバスにしか乗れなかった。まぁ、これならば午後8時くらいには首都の連絡所に着けると思うので首都で夕食を食べようと思っていた。1時間くらい走ったところで休憩所ではないところでなぜか休憩。その後、また20分くらい走ったところで別のターミナルで止まってしまった。どうやらバスのエアコンが壊れてしまったらしい。窓が開くタイプのバスならばそのまま窓を開けて行くのだろうが、残念ながらこのバスは窓が開かないタイプ。2時間以上代わりのバスを待ってやっと出発。連絡所に着いた時はもう夜10時。しょうがないので軽く飲んで寝た。

3月5日(木)昨日走った結果として・・・

昨日走った結果、今日は一日中ひどい筋肉痛だった。情けない…

3月4日(水)よくわからんのです。

何カ月か前に腕時計が壊れてしまった。ボタンを押してもうんともすんとも言わない。曜日を示す部分の表示がおかしくなった。ただし、時間と日付は正確に示しているので普通に使っている。そんな時計を使っているので、最近よく何曜日かわからなくなることが多い。もうぼけてきた。

仕事が終わってから久しぶりに走った。やはり走ると気持ちいい。

3月3日(火)衝撃の一言

日本大使に昼食をごちそうになった。割りと柔らかい人で楽しいひと時だった。そして衝撃の一言。「昨日のレセプションって何だったの?」 えっ?俺もうちのトップに来いって言われたから行っただけなのでよくわからないっす、と答えた。なんだそりゃ?

チリキ県に住む隊員が呼ばれたが今日は4人が出席。このうち2人はもうすぐ帰ってしまう。大使と別れた後にそんなことを話していたら無性にさみしくなってしまった。

夕飯に豚肉の生姜焼きを作った。とても美味しくできた。写真を撮り忘れた。失敗。

3月2日(月)大使がいらっしゃいました。

以前に日本から配属先の地方保健局に寄付があったらしく、日本大使が来ることになっており、うちの部署とは関係ないのだが地方保健局トップからそのレセプションに参加するように言われた。そして今日がそのレセプションの日。

大使一行は別の場所でも式典があったらしく、直
前に会場へ滑り込み。大使の服装はチノパンにお洒落なシャツ、ノーネクタイ… クールビズじゃん。俺、ジャケットまで着てたのに。

地域で一番のホテルのホールで無事にレセプション終了。大使たちは足早に立ち去って行った。ほかにある国連機関の中米地区担当者も来ていたのだが、彼女も日本人。色々と話をできてとてもよかった。そして国連でボランティアをしているペルー人の女性とも仲良くなった。彼女は大学生なのだが立派だなと思った。

2009年7月21日火曜日

3月1日(日)楽しい週末でした。

朝8時ころ起床。昨日、遅くまで話していたのでまだ眠い。チェックアウトは12時なので午前中はまたプールで楽しんだ。午後はダビに戻り中華レストランで食事をして別れた。眠かったので帰宅後は昼寝。かなり楽しめた週末だった。

2月28日(土)チリキ会送別会

チリキ県内で活動するボランティアは6名。そのうち4名が3月下旬に活動を終えて帰ってしまう。ということで送別会を泊まりで行うことに。ラス・オラスというリゾート地で一泊の予定。プールバーなどもついているような場所だが、一泊30ドル。パナマ人にしては高級だが、日本人からすると信じられないような安い値段で楽しめる。施設もきれいで本当に楽しかった。別の隊員もチリキに来ることがあったら誘いたい。

夜は食事を終えてから部屋で話した。帰国する隊員4名のうち2名しか参加できなかったのだが、彼女たちにプレゼントを贈った。以前から欲しいと言っていたものを準備したのだが、予想外に喜んでもらえた。夜は3時過ぎまで話した。

2月27日(金)今となっては全然予定通りに進んでません。

県内のシャーガス病調査カレンダーを作ってみた。県内の市は全てまわる。本来ならば市の下にあたる集団でも調査をしないといけないのだが、そこまでは回れないので代表的な集落を一つないし二つまわって行く予定でカレンダーを作成。上司に見せたところ何箇所が修正が入ったが、だいたいはこんな感じでいけそうだ。このカレンダーどおりに勧められれば3ヶ月くらい残して県内のリスクマップができあがる。そうすれば最後にパイロット地区での監視体制の構築まで取り組めるので頑張りたい。

2月26日(木)なんでピッタピタなの?

カルナバル明けで久しぶりに出勤。まだ若干カルナバル疲れがあったがあと2日間働いたら週末に入るので頑張ろう。職場に行ったら職員が少ない。どうやらこの2日間も休日にあてているようだ。

デスクでやることリストを作ってみた。意外とたくさんある。これは頑張らないと。

仕事が終わってから以前にネクタイとワイシャツをクリーニングに出したので取りに行った。お気に入りのネクタイを受け取ったらピッタピタにアイロンがかけられて形が崩れてしまっていた上に汚れも取れてなかった。ショック… こんなものは着けられないので泣く泣く捨てた。

2月25日(水)家電の値段は日本と同じなのです。

午前中に洗濯を済ませ、午後買い物に。充電器を買うことはできたがなんと70ドル!まぁそんなもんなんだろうけど、生活費が少ないので本当に厳しい出費となってしまった。眼鏡を買いたかったし、来月には引っ越しでお金もかかるのに…

2月24日(火)そら止まるわ

シニア隊員の家で朝食をごちそうになり、もう一度チトレの町へ。明るい中で町の様子を見るとまた違う感じだった。カルナバルの水かけをやる地区に入ったら放水車が10台以上あった。これは水も止まるだろうと納得した。

昼前にチトレを出てサンチアゴへ。サンチアゴへ向かうバスで他の先輩隊員と会った。サンチアゴでもう一人の同期隊員と合流して昼食。この時間からダビに戻って買い物してもパソコンの充電器は買えないだろうから、サンチアゴで買うことに。だが、残念ながら店は開いてなかったので諦めてバス停へ。バス停では難なくバスを捕まえることができた。ラッキー!

ダビに着いたのは午後7時過ぎ。ダビの店が閉まるのはだいたい午後7時なのでやはり今日もパソコンの充電器は買えない。結局家にまっすぐ帰った。

2月23日(月)この日もびっちょびちょ

朝、バス停で先輩隊員と合流してラスタブラス半島にある町、チトレへ。ここにはシニア隊員が住んでいる。先日、エルバジェで出会ったシニア隊員に泊めてもらうことに。シニア隊員の家に行くのは初めてだったが、3LDKのきれいな家だった。一人暮らしということなのでさみしくないのかな、とは思ったが、よく隊員が遊びに来るということなのでさみしさもまぎれるのだろう。夏は水が止まるということで、この時も水は出てなかった。

朝10時頃に家を出発して、11時にラスタブラスへ到着。昼食を食べてる時に、シニア隊員がカギを失くしてしまったことに気付いた。とりあえず、一緒に向かった4人で水浴び祭りを楽しんだが、彼は先に自宅へ。残った3人は午後2時過ぎまで水を浴びたりビールを飲んだりして楽しんだ。もう大変な騒ぎなのだが、このときにデジカメをすられそうになった。寸前のところで気がついたので事なきを得たが、今後はもっと気をつけようと思った。

帰ろうとしたところに別の隊員3人と出会って色々と話した。彼らと別れてシニア隊員の家に。大家さんは不在。どうにかして大家さんに連絡を取ったがあと1時間は帰ってこれないということだった。家の外で4人で話した。午後5時ころに大家さんが帰宅。鍵も無事に開けてもらい中に入ることができた。

夕食には天ぷらをごちそうになった。久しぶりに天ぷらを食べて満足。深夜にチトレの町に出た。祭りのレイナ(女王様)のパレードを見る。奇麗だった。子供たちのパレードもあったが、その子たちも可愛かった。

2月22日(日)びっちょびちょ

午前中にダビを出発し同期の住む町、サンチアゴへ。今日は同期の家に泊まり、明日の朝にアスエロ半島に向かう予定。この連休は全国各地でカーニバルが行われる。水かけ祭。特にアスエロ半島のラスタブラスという町がすごいらしいので行くことに。

サンチアゴは長距離バスの休憩があるため、休憩所には降り立ったことが何回もあるが、町に出るのは初めて。サンチアゴ市があるベラグアス県には隊員が多く派遣されており、話には何回か聞いたことがある。ここがみんなでよく飲む店だよ、とかここがいつも話してる場所だよ、などと同期隊員に教えてもらいながら町をまわった。サンチアゴでも中心部で水かけをやっており、それを見たらかなりの水かけっぷりだった。ラスタブラスではもっとすごいだろう。あわてて短パンとサンダルを買った。

夜は同期隊員と控えめに飲んでおとなしく寝た。

2009年7月6日月曜日

2月21日(土)ぼったくり(1ドルだけですが)

今日から水曜日まで5連休。今日はとりあえず家で過ごす。午前中は掃除と洗濯。3月末に家を引っ越す予定なのでちょっと念入りに掃除した。午後はネットカフェと美容院へ。ネットカフェでインターネットをしていたら突然電源を切られた。もうすぐ閉店時間だからだろうか。なんか嫌な感じだな、と思いながら美容院に行った。美容院ではなんの希望も聞かれずにどんどん髪を切られる。もみあげは切られたくなかったがバシバシ切られた。なんだよ、と思った。値段を聞いたら3ドル。相場は2ドルなのでちょっと高いなぁと思いながらレジの店員に5ドル札を渡したら3ドルのおつりが返ってきた。つまり、普段は2ドル。髪を切った店員は適当に切った上にぼったくろうとしたのだ。もうあそこの店には行かない。

家に帰ってパソコンを立ち上げたら、パソコンの充電が進まない。どうやらネットカフェで嫌がらせをされたのではなく、こちらの充電器が壊れてしまったようだ。新しく買わないと。

2月20日(金)まだまだ改善の余地はたくさんあります。

同僚向け講義の最終回。San Felixという町に向かった。7時半過ぎに出発。また遅れてしまいそうだ。どうやら連絡がうまくいかなかったらしく20人弱の参加者に終わってしまった。ちょっと残念。内容は、まぁそこそこに。講演を行うのは彼らなので、落ち着いたときに一緒に反省会をしたいと思う。日本人的には段取りが良くない部分や、意図がつかみにくい部分も多かった。しかし彼らの満足具合から見るに、今までのものと比べると格段によかったのだろう。でもまだたくさんよく出来る部分がある。これを伝えるスペイン語力がないのがもどかしい。

2月19日(木)寂しくなってしまいました。

友人を空港まで送る。彼女はこれからドミニカ共和国に行くらしい。語学クラスは全員が仲がよく、彼女に会ったらみんなに会いたくなった。ちょっと疲れてきてる時期なのかもしれない。彼女を見送った後、連絡所に帰り仕度をしてダビへ戻る。明日の仕事がなければ、と思いつつも最終回の講義なので頑張ろうと思った。

2月18日(水)ようこそパナマへ!

友達を迎えに空港に。道路が混んでいて遅刻してしまった。本当にごめんなさい。彼女は以前にプライベートでパナマに来たことがあるので今回は1泊2日だけの滞在。パナマ運河には行ったことがあるが、パナマビエホには行ったことがないというので案内した。パナマビエホには隊員が入っているので彼に色々と教えてもらいながら回ったらかなり楽しかった。エルバジェの時も思ったが、やはり専門の人と回ると楽しい。

夕飯は隊員がよく行く中華へ一緒に行った。美味しい餃子に舌鼓を打っていると他の隊員も偶然来た。その中に、療養の為に一時帰国していた先輩隊員もいた。久しぶりに会えてほっとした。

2月17日(火)大失敗の巻

今までの調査内容を基に県内のシャーガス病リスク地図を作ってみた。まだまだほとんどの場所を調査してないので何とも言えないが、目に見えてわかるのでこれでいいと思う。調査カレンダーも自分で作ることにした。何とか年内に全個所を回るためには自分で進めるしかない。協力隊の活動としては自分でやるよりも協働の方がいいのだろうが、後任隊員も来ないし、ある程度キリをつけるためには自分で進めないとダメだと思った。

午後はちょっと早めに仕事を切り上げパナマシティへ。明日、駒ケ根で同じ語学クラスだった人がパナマに来てくれる。かなり楽しみだ。

パナマシティには夜10時半頃ついた。いつものバスで行こうかと思ったがスーパーで買い物をしたかったので別のバスに。どこで降りたらいいかわからず乗っていたらとんでもない場所に出てしまった。結局そこからタクシーで連絡所へ。大失敗した。

2月16日(月)お金がないわけではない。

同僚向け講義第三回目。今日はいつものダビ事務所を離れ、車で約1時間のプエルトアルムエルジェ事務所を訪ねた。講義の最後の方でドクターが「もっと配布用資料を作ってくれ」と言ってきた。それは俺に依頼することではない。JICAはもう払わない、自分たちで何とかしろと言った。彼らは金がないわけではない。本当に金がないのなら色々な部分を節約してでもお金を作りだせばいい。援助は永遠に入るものではない。彼ら自身がそのことに気付かなければならない。これをスペイン語で説明できない自分が恥ずかしい。

2月15日(日)ばかばかしくなりやめてしまいました。

家でゆっくりしようと思ったが、冷蔵庫を見たら食べるものがない。職場のインクも切れているし町に出て買い物することに。ついでに乾燥剤や洗剤なども買った。明日の為に資料を完成させようと思ったが、彼らはなんで自分で勉強しないんだろうとか思ったらばかばかしくなってきてやめてしまった。

2月14日(土)バレンタイン?あっしにはなんのことやらさっぱり・・・

午前中はカサエスペランサへ。行ったら子供が抱きついてきた。愛おしくなった。先週はエルバジェに行っていたため来れなかったが、今日行ったら新しい人がいた。話を聞くと、彼女は以前は小学校の先生だったが今はもう定年して週末にここで手伝いをすることにしたという。先週から来始めたらしい。頼もしい。

午後はネットカフェへ。自分のパソコンを持ち込んでネットカフェに行くのは久しぶりだったのでずいぶん長居してしまった。

2月13日(金)ようやく固まってきた!

シャーガス病の生息調査。前回とは別の町へ。ようやく調査の方向性が自分の中で決まってきた。今までずっと同じ場所で調査をしてきたが、今は基礎調査の段階。一つの町は2回~3回程度で終わらせ、どの程度のリスクがあるかを把握して、危険度が高い地域に関しては改めて細かい調査をしたりすればいいと思い、他国の専門家に尋ねたところ、その方法で問題ないという返答をもらった。同時に、調査先の保健所を訪ね、講演の予定もどんどん入れていき、啓発活動も並行して行う。職場の上司も同じ考えでいたらしく、賛同してくれた。これで活動の3本柱が基礎調査、啓発活動、マニュアル作りとしっかり決まった。基礎調査は今年中に終わらせ、来年からはリスクの高い地域を数か所ピックアップし住民監視体制のパイロット地区にして活動したい。

2月12日(木)かなりの混乱

来週の月曜日に同僚向け講演の第三回目がある。ここでリューシマニア症の講義をするには今日中に資料を仕上げないといけない。が、なかなか進まない。インターネットも自分が使っているパソコンとつながっているわけではなく、他の人が使っているパソコンにつながっているので、その人がいないすきに調べないといけないのだが、日本語では大した資料もなくしょうがないので英語やスペイン語で調べる。もう頭が混乱してきた。

結局、全然終わらなかった。

同僚たちはシャーガス病の講義を受けているが、いつも同じメンバーが調査に出るため、その知識を使う場所がない。今はカウンターパートが長期休暇の為におらず、別の上司がシャーガス病を担当しているので、彼に色々な人と行って同僚たちに実践する機会を与えようと言った。半分は本当、もう半分はデブと一緒にやりたくないということだったが、なんとか受け入れてもらえた。

夕食は調整員、他のチリキ県派遣隊員と。1月に新しい調整員が2名着任したのだが、そのうちの一人ともうすぐパナマを離れる調整員が引き継ぎできた。ピザを食す。美味しかった。18年度3次隊のメンバーがもうすぐ帰ってしまう。チリキ隊員6名のうち4名が帰ってしまう。さみしい。

2月11日(水)とりあえずやってみるか。

所属する媒介虫対策課ではマラリア、デング熱、シャーガス病に加えてリューシマニア症、ハンターウィルスの対策も行っている。今度、リューシマニアについても資料を作ってほしいという依頼を受けたのでネットで調べてみた。なんとなくはわかったが、やはり難しい。シャーガス病の場合はJICAに歴史があるし他国に専門家や先輩隊員もいるので色々と質問できるが、リューシマニア症に関しては尋ねようがない。でもとりあえずやってみることにした。

2月10日(火)デブが働きません。

シャーガス調査。先週に引き続き同じ地区での調査。今回も職場のデブが同行してきたが、こいつが本当に働かない。しかも間違った情報を住民に与えている。問題だ。

2月9日(月)俺がやった方が速いのに・・・

前に上司から借りたマラリアのマニュアルをようやくコピーできた。コピー機の番人みたいな職員がいるのだが、彼が所用で席を外しているとコピーができない。彼がいても仕事が多いからと言われて断られることも多い。俺がやった方が早いのに、とは思うが郷に入っては郷に従えなのでしょうがない。今度、このマニュアルを基にシャーガス病のマニュアルを作りたい。任期は残り1年半近くあるので、試行期間を入れてもある程度形のあるものにできると思う。
仕事が終わってからスーパーで買い物。その後ネットカフェへ。

2月8日(日)今日も山登り

昨日は飲みすぎたが、思ったよりも二日酔いはひどくなかった。今日も朝からおいしいパンをいただき、昨日上った山とは別の山へ。今日は動植物園の職員の方も一緒に登ったのだが、やはり植物のプロと山を登ると色々な草花の話を聞かせてもらえてとても有意義だった。午前中に蘭センターに戻り昼食を済ませてペノノメへ。そこで先輩隊員の職場をちょっと見せてもらってからバスでサンチアゴへ向かう。偶然、そのバスに首都から戻る途中の隊員もいて、ちょっと話した。サンチアゴで他の隊員と別れて一人ダビ行きのバスへ乗る。やはりチリキは遠い。