2009年8月23日日曜日

3月6日(金)普段7時間のところが9時間以上も

今日はパナマシティへ移動。明日の午後から大使館主催で日本文化紹介をするので、その手伝いをする。JICA事務所から配属先の事務所へ連絡を前もって入れてもらっていたので堂々と休んだ。

ちょっとゆっくり家を出たため、12時半ダビ発のバスにしか乗れなかった。まぁ、これならば午後8時くらいには首都の連絡所に着けると思うので首都で夕食を食べようと思っていた。1時間くらい走ったところで休憩所ではないところでなぜか休憩。その後、また20分くらい走ったところで別のターミナルで止まってしまった。どうやらバスのエアコンが壊れてしまったらしい。窓が開くタイプのバスならばそのまま窓を開けて行くのだろうが、残念ながらこのバスは窓が開かないタイプ。2時間以上代わりのバスを待ってやっと出発。連絡所に着いた時はもう夜10時。しょうがないので軽く飲んで寝た。

3月5日(木)昨日走った結果として・・・

昨日走った結果、今日は一日中ひどい筋肉痛だった。情けない…

3月4日(水)よくわからんのです。

何カ月か前に腕時計が壊れてしまった。ボタンを押してもうんともすんとも言わない。曜日を示す部分の表示がおかしくなった。ただし、時間と日付は正確に示しているので普通に使っている。そんな時計を使っているので、最近よく何曜日かわからなくなることが多い。もうぼけてきた。

仕事が終わってから久しぶりに走った。やはり走ると気持ちいい。

3月3日(火)衝撃の一言

日本大使に昼食をごちそうになった。割りと柔らかい人で楽しいひと時だった。そして衝撃の一言。「昨日のレセプションって何だったの?」 えっ?俺もうちのトップに来いって言われたから行っただけなのでよくわからないっす、と答えた。なんだそりゃ?

チリキ県に住む隊員が呼ばれたが今日は4人が出席。このうち2人はもうすぐ帰ってしまう。大使と別れた後にそんなことを話していたら無性にさみしくなってしまった。

夕飯に豚肉の生姜焼きを作った。とても美味しくできた。写真を撮り忘れた。失敗。

3月2日(月)大使がいらっしゃいました。

以前に日本から配属先の地方保健局に寄付があったらしく、日本大使が来ることになっており、うちの部署とは関係ないのだが地方保健局トップからそのレセプションに参加するように言われた。そして今日がそのレセプションの日。

大使一行は別の場所でも式典があったらしく、直
前に会場へ滑り込み。大使の服装はチノパンにお洒落なシャツ、ノーネクタイ… クールビズじゃん。俺、ジャケットまで着てたのに。

地域で一番のホテルのホールで無事にレセプション終了。大使たちは足早に立ち去って行った。ほかにある国連機関の中米地区担当者も来ていたのだが、彼女も日本人。色々と話をできてとてもよかった。そして国連でボランティアをしているペルー人の女性とも仲良くなった。彼女は大学生なのだが立派だなと思った。

2009年7月21日火曜日

3月1日(日)楽しい週末でした。

朝8時ころ起床。昨日、遅くまで話していたのでまだ眠い。チェックアウトは12時なので午前中はまたプールで楽しんだ。午後はダビに戻り中華レストランで食事をして別れた。眠かったので帰宅後は昼寝。かなり楽しめた週末だった。

2月28日(土)チリキ会送別会

チリキ県内で活動するボランティアは6名。そのうち4名が3月下旬に活動を終えて帰ってしまう。ということで送別会を泊まりで行うことに。ラス・オラスというリゾート地で一泊の予定。プールバーなどもついているような場所だが、一泊30ドル。パナマ人にしては高級だが、日本人からすると信じられないような安い値段で楽しめる。施設もきれいで本当に楽しかった。別の隊員もチリキに来ることがあったら誘いたい。

夜は食事を終えてから部屋で話した。帰国する隊員4名のうち2名しか参加できなかったのだが、彼女たちにプレゼントを贈った。以前から欲しいと言っていたものを準備したのだが、予想外に喜んでもらえた。夜は3時過ぎまで話した。

2月27日(金)今となっては全然予定通りに進んでません。

県内のシャーガス病調査カレンダーを作ってみた。県内の市は全てまわる。本来ならば市の下にあたる集団でも調査をしないといけないのだが、そこまでは回れないので代表的な集落を一つないし二つまわって行く予定でカレンダーを作成。上司に見せたところ何箇所が修正が入ったが、だいたいはこんな感じでいけそうだ。このカレンダーどおりに勧められれば3ヶ月くらい残して県内のリスクマップができあがる。そうすれば最後にパイロット地区での監視体制の構築まで取り組めるので頑張りたい。

2月26日(木)なんでピッタピタなの?

カルナバル明けで久しぶりに出勤。まだ若干カルナバル疲れがあったがあと2日間働いたら週末に入るので頑張ろう。職場に行ったら職員が少ない。どうやらこの2日間も休日にあてているようだ。

デスクでやることリストを作ってみた。意外とたくさんある。これは頑張らないと。

仕事が終わってから以前にネクタイとワイシャツをクリーニングに出したので取りに行った。お気に入りのネクタイを受け取ったらピッタピタにアイロンがかけられて形が崩れてしまっていた上に汚れも取れてなかった。ショック… こんなものは着けられないので泣く泣く捨てた。

2月25日(水)家電の値段は日本と同じなのです。

午前中に洗濯を済ませ、午後買い物に。充電器を買うことはできたがなんと70ドル!まぁそんなもんなんだろうけど、生活費が少ないので本当に厳しい出費となってしまった。眼鏡を買いたかったし、来月には引っ越しでお金もかかるのに…

2月24日(火)そら止まるわ

シニア隊員の家で朝食をごちそうになり、もう一度チトレの町へ。明るい中で町の様子を見るとまた違う感じだった。カルナバルの水かけをやる地区に入ったら放水車が10台以上あった。これは水も止まるだろうと納得した。

昼前にチトレを出てサンチアゴへ。サンチアゴへ向かうバスで他の先輩隊員と会った。サンチアゴでもう一人の同期隊員と合流して昼食。この時間からダビに戻って買い物してもパソコンの充電器は買えないだろうから、サンチアゴで買うことに。だが、残念ながら店は開いてなかったので諦めてバス停へ。バス停では難なくバスを捕まえることができた。ラッキー!

ダビに着いたのは午後7時過ぎ。ダビの店が閉まるのはだいたい午後7時なのでやはり今日もパソコンの充電器は買えない。結局家にまっすぐ帰った。

2月23日(月)この日もびっちょびちょ

朝、バス停で先輩隊員と合流してラスタブラス半島にある町、チトレへ。ここにはシニア隊員が住んでいる。先日、エルバジェで出会ったシニア隊員に泊めてもらうことに。シニア隊員の家に行くのは初めてだったが、3LDKのきれいな家だった。一人暮らしということなのでさみしくないのかな、とは思ったが、よく隊員が遊びに来るということなのでさみしさもまぎれるのだろう。夏は水が止まるということで、この時も水は出てなかった。

朝10時頃に家を出発して、11時にラスタブラスへ到着。昼食を食べてる時に、シニア隊員がカギを失くしてしまったことに気付いた。とりあえず、一緒に向かった4人で水浴び祭りを楽しんだが、彼は先に自宅へ。残った3人は午後2時過ぎまで水を浴びたりビールを飲んだりして楽しんだ。もう大変な騒ぎなのだが、このときにデジカメをすられそうになった。寸前のところで気がついたので事なきを得たが、今後はもっと気をつけようと思った。

帰ろうとしたところに別の隊員3人と出会って色々と話した。彼らと別れてシニア隊員の家に。大家さんは不在。どうにかして大家さんに連絡を取ったがあと1時間は帰ってこれないということだった。家の外で4人で話した。午後5時ころに大家さんが帰宅。鍵も無事に開けてもらい中に入ることができた。

夕食には天ぷらをごちそうになった。久しぶりに天ぷらを食べて満足。深夜にチトレの町に出た。祭りのレイナ(女王様)のパレードを見る。奇麗だった。子供たちのパレードもあったが、その子たちも可愛かった。

2月22日(日)びっちょびちょ

午前中にダビを出発し同期の住む町、サンチアゴへ。今日は同期の家に泊まり、明日の朝にアスエロ半島に向かう予定。この連休は全国各地でカーニバルが行われる。水かけ祭。特にアスエロ半島のラスタブラスという町がすごいらしいので行くことに。

サンチアゴは長距離バスの休憩があるため、休憩所には降り立ったことが何回もあるが、町に出るのは初めて。サンチアゴ市があるベラグアス県には隊員が多く派遣されており、話には何回か聞いたことがある。ここがみんなでよく飲む店だよ、とかここがいつも話してる場所だよ、などと同期隊員に教えてもらいながら町をまわった。サンチアゴでも中心部で水かけをやっており、それを見たらかなりの水かけっぷりだった。ラスタブラスではもっとすごいだろう。あわてて短パンとサンダルを買った。

夜は同期隊員と控えめに飲んでおとなしく寝た。

2009年7月6日月曜日

2月21日(土)ぼったくり(1ドルだけですが)

今日から水曜日まで5連休。今日はとりあえず家で過ごす。午前中は掃除と洗濯。3月末に家を引っ越す予定なのでちょっと念入りに掃除した。午後はネットカフェと美容院へ。ネットカフェでインターネットをしていたら突然電源を切られた。もうすぐ閉店時間だからだろうか。なんか嫌な感じだな、と思いながら美容院に行った。美容院ではなんの希望も聞かれずにどんどん髪を切られる。もみあげは切られたくなかったがバシバシ切られた。なんだよ、と思った。値段を聞いたら3ドル。相場は2ドルなのでちょっと高いなぁと思いながらレジの店員に5ドル札を渡したら3ドルのおつりが返ってきた。つまり、普段は2ドル。髪を切った店員は適当に切った上にぼったくろうとしたのだ。もうあそこの店には行かない。

家に帰ってパソコンを立ち上げたら、パソコンの充電が進まない。どうやらネットカフェで嫌がらせをされたのではなく、こちらの充電器が壊れてしまったようだ。新しく買わないと。

2月20日(金)まだまだ改善の余地はたくさんあります。

同僚向け講義の最終回。San Felixという町に向かった。7時半過ぎに出発。また遅れてしまいそうだ。どうやら連絡がうまくいかなかったらしく20人弱の参加者に終わってしまった。ちょっと残念。内容は、まぁそこそこに。講演を行うのは彼らなので、落ち着いたときに一緒に反省会をしたいと思う。日本人的には段取りが良くない部分や、意図がつかみにくい部分も多かった。しかし彼らの満足具合から見るに、今までのものと比べると格段によかったのだろう。でもまだたくさんよく出来る部分がある。これを伝えるスペイン語力がないのがもどかしい。

2月19日(木)寂しくなってしまいました。

友人を空港まで送る。彼女はこれからドミニカ共和国に行くらしい。語学クラスは全員が仲がよく、彼女に会ったらみんなに会いたくなった。ちょっと疲れてきてる時期なのかもしれない。彼女を見送った後、連絡所に帰り仕度をしてダビへ戻る。明日の仕事がなければ、と思いつつも最終回の講義なので頑張ろうと思った。

2月18日(水)ようこそパナマへ!

友達を迎えに空港に。道路が混んでいて遅刻してしまった。本当にごめんなさい。彼女は以前にプライベートでパナマに来たことがあるので今回は1泊2日だけの滞在。パナマ運河には行ったことがあるが、パナマビエホには行ったことがないというので案内した。パナマビエホには隊員が入っているので彼に色々と教えてもらいながら回ったらかなり楽しかった。エルバジェの時も思ったが、やはり専門の人と回ると楽しい。

夕飯は隊員がよく行く中華へ一緒に行った。美味しい餃子に舌鼓を打っていると他の隊員も偶然来た。その中に、療養の為に一時帰国していた先輩隊員もいた。久しぶりに会えてほっとした。

2月17日(火)大失敗の巻

今までの調査内容を基に県内のシャーガス病リスク地図を作ってみた。まだまだほとんどの場所を調査してないので何とも言えないが、目に見えてわかるのでこれでいいと思う。調査カレンダーも自分で作ることにした。何とか年内に全個所を回るためには自分で進めるしかない。協力隊の活動としては自分でやるよりも協働の方がいいのだろうが、後任隊員も来ないし、ある程度キリをつけるためには自分で進めないとダメだと思った。

午後はちょっと早めに仕事を切り上げパナマシティへ。明日、駒ケ根で同じ語学クラスだった人がパナマに来てくれる。かなり楽しみだ。

パナマシティには夜10時半頃ついた。いつものバスで行こうかと思ったがスーパーで買い物をしたかったので別のバスに。どこで降りたらいいかわからず乗っていたらとんでもない場所に出てしまった。結局そこからタクシーで連絡所へ。大失敗した。

2月16日(月)お金がないわけではない。

同僚向け講義第三回目。今日はいつものダビ事務所を離れ、車で約1時間のプエルトアルムエルジェ事務所を訪ねた。講義の最後の方でドクターが「もっと配布用資料を作ってくれ」と言ってきた。それは俺に依頼することではない。JICAはもう払わない、自分たちで何とかしろと言った。彼らは金がないわけではない。本当に金がないのなら色々な部分を節約してでもお金を作りだせばいい。援助は永遠に入るものではない。彼ら自身がそのことに気付かなければならない。これをスペイン語で説明できない自分が恥ずかしい。

2月15日(日)ばかばかしくなりやめてしまいました。

家でゆっくりしようと思ったが、冷蔵庫を見たら食べるものがない。職場のインクも切れているし町に出て買い物することに。ついでに乾燥剤や洗剤なども買った。明日の為に資料を完成させようと思ったが、彼らはなんで自分で勉強しないんだろうとか思ったらばかばかしくなってきてやめてしまった。