2008年8月31日日曜日

だんだん愚痴が増えてきました。

活動が始まって3週目に突入した時の日記です(今はもう1ヶ月くらい経過してます)。だんだん仕事が見えてきて、愚痴が増えてきているところです。ちょっとテンションが下がりはじめ、写真の量も減ってきてます。

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朝から天気がよかった。洗濯もしたし、ジーパンとか靴も干した。やはり気持ちよかった。ネットカフェに行ったら閉まっていた。先週の日曜日は開いてたのに。ショック。片道
30分、往復1間歩いた。まぁ、いい運動になったと前向きに考えることにする。家に帰ってから縄跳びをした。運動と言える運動は久しぶりにした気がする。もっと縄跳びをしよう。

夕飯は家族とドミノピザ。その後、ひとりで近所のミニスーパーにビールを買いに行った。今日はおなかいっぱいなので350ml1本(右の写真、その名も「レッドドッグ」)だけ買ったら、いつものあんちゃんが「他には?」と聞いてきた。だんだん打ち解けてきた気がする。

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カウンターパートと今後の仕事について聞いてみた。そして隊員支援経費があって少し使えるという話もしたが、ちょっとしたことなら予算で賄えるみたいな感じだった。お金あるのか?一応、インク代として使ってもいいけど、何か新しいことに使ってみたいと言ったら、カウンターパートも賛成してくれた。

今日は書類の書き方を教えてもらいながら家をまわった。最後の方の家でおばあちゃんに、「あなたは日本人?中国人?」と聞かれたので日本人ですよ、と答えたら「私も日本人の知り合いがいるのよ、彼はボランティアで来てたの」と言ってきた。その家にも以前に協力隊員が下宿してたらしい。なんとなく親近感を覚えたし、ここでもまた協力隊の歴史に触れることができた。その人は1年延長したとのこと。みんなに愛されていたようだ。自分もその人のようになりたい。

今日、パナマ人選手がオリンピックの男子走り幅跳びで金メダルを獲得した。パナマ初の金メダルということでテレビもかなり盛り上がっていた。

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初めて遅刻した。前日の幅跳び選手のメダル授与がパナマ時間朝
6時半からやっていたためタクシーがほとんど走ってなかった。

今日も前日と同じ職員と一緒にまわった。書類の書き方をなんとなく覚えてきた。調整員のWさんが木曜日に来ることになった。

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なんと
821日が急きょ休日になることが決定。金メダルを取った幅跳び選手が帰国するため、パナマシティからコロンまでパレードをするらしい。みんな喜んでいたが、こんなの途上国でしかありえないことだ。急に一日休みになっても関係ない。その程度の仕事だと世間から思われてるとは考えないのだろうか。不思議でしょうがない。

調整員とのミーティングをやるかやらないかで連絡をたくさんとった。「来週でいいじゃないか」、「金曜日にやろう」・・・ アホか。調整員はそんなに暇じゃないんだよ。ここは遠いんだし。少なくともここの事務所の人はその程度のレベルだということがよくわかった。

夕飯は調整員とチリキ配属の隊員で食事会。中華に行ったあと、ホテルのレストランでもう少し飲んだ。家に帰ってからホストファザーに明日急に休みになった、と言ったら、「理解できない」と言っていた。彼は一般企業の営業をやっている。全く同感だった。

2008年8月25日月曜日

2日連続でネットカフェに来ちゃいました。

タイトルの通りです。2日連続でネットカフェに来ちゃいました。ということで今日もブログ更新です。

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今日、3ヶ月か半年くらいしたらボケテに引っ越してもっと集中的にシャーガス関係の仕事をしてみようかなと思った。今のままではなんとなく2年間が終わってしまうような気がする。確にダビのような街中の方が生活の便はいいが、仕事のことを考えるともっとシャーガス病の活動現場に近い方がいいと思う。今度、ボケテに保健省の事務所があるか聞いてみよう。ボケテにあったらそこの勤務に変えてもらって1週間か2週間に1回くらいダビに行って仕事の報告とか、毎週木曜日にボケテに行くようなのでその時に打ち合わせみたいな感じで仕事をしてみたいと思った。ついでに要請変更前に行くはずだった村にも1週間か2週間に1回くらい行って話したりアイデアを出したりしたら面白いかも、と勝手に思った。村落開発普及員だから自由に動いてみたい。この日は天気がよかったので右の写真を撮りました。

勤務後、近所のネットカフェに行った。ノートンが使いづらいからウィルスバスターを使うことにした。10000円近くかかってしまった。ノートンめ。しかもノートンが変なところに残ってしまっているらしくウィルスバスターのインストールがなかなかできなかった。ノートンを完全にアンインストールするソフトを一度ダウンロードして完全に削除してからウィルスバスターをインストール。かなり時間をくってしまった。

ミクシィでマイミクであり村落開発普及員の同期でもあるbScさんが日記で心にくる言葉を書いていた。「まわりの人が少しでも笑顔でいられるように。」そう、自分もこのために協力隊に参加したのだった。このことを忘れていた。初心に戻って頑張りたい。

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今日は週に回のシャーガスの日。パルミラという地区の保健所でシャーガスに関する講演会。お医者さんか博士(クトルと言っていたが役職はわからない)が話したあと、カウンターパートが話した。ちょっと手伝いをしだけ。プロモーション担当のおばちゃん(名前がわからず・・・)とカウンターパートが「彼(←俺)が持っている資料とかももっと使ってもっと内容を進化させてもいいかも」みたいな話をしていた。もちろんスペイン語はわからないので一部想像の訳が入っています。まだ活動の全体像が見えてこないし、一人で家をまわったりできないので何とも言えないが、やはりボケテに行って集中的に仕事をしたいと思った。ただし、他の部署の人とのコラボレーションも必要だし、まずは一人でまわれるようになるまでスペイン語を習得しないといけない。もうちょっと先の話だ。

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コスタリカとの国境沿いまで言って噴霧。今までは後ろでちょこちょこしてるだけだったが、今日は噴霧もした。かなり疲れる。みんな体格がいいのもうなずけると思った。手拭いをマスク代わりにして巻いていたら子供たちが真似してTシャツを頭巾のようにしてかぶっていた。かわいかった。食事のときに一緒にまわった担当者ががカウンターパートに「使い方は理解してるよ」と言っていたので近々噴霧のときだけでも一人で回れるかも。ボケテへの道を早く拓きたい。

国境沿いの場所にある保健省の建物と思われる物件のそばに中国人が経営する店があった。そこの中国人のムチャチャ(スペイン語で若い女性)がみんな気に入ったらしく、俺をダシに話しかけようとしていた。みんなかわいいかわいいと言っていたけど、それほどでもないと思った。彼女の後ろ姿だけ見てください。パナマ人ちょっと好みが違うのかな。ちょっとした時にふたりで話す機会があって、彼女は7年間パナマに住んでいるけど、正直な話パナマは嫌いと言っていた。なんとなくわかる気もする。二人の立場は違うのでなんとも言えないが。それにしてもみんな写真を撮れ、写真を撮れとうるさい。この角度からだとウサギがよく見えるぞ、とか。ウサギの写真とか別にどうでもいいし。

いままで考えていたことだが、やはり公務員としての働き方がイマイチわからない。一般企業で働いてきたのでその考え方が染みついている。そこのところに早く慣れないといけない。でも慣れすぎると日本に帰った時に苦労しそうなので、やはり目一杯働きたいと思う。

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休日だったので朝から部屋の掃除と洗濯をした。庭に干した。犬に噛まれないか不安だったが、今日は暑いこともあり日陰でおとなしくしていた。この家に来た初日に噛まれそうになったのでトラウマになっている。だってデカイんだもん。

前日の大雨でスニーカーが全体水につかってしまったので服と一緒に干したが乾かなかった。明日も干さないと。そして午後、ネットカフェに行くときに別のスニーカーで行ったが、結局雨に降られてその靴もびしょびしょ。明日はどうやって外出すればいいのだろうか。

協力隊同期で同じ語学クラスだったAとスカイプでチャットした。やはりいろいろと悩んでいるらしい。しかも彼女の国には同じ職種の人がいないらしく相談のしようもないらしい。パナマに彼女と同じ職種の人がいるので今度いろいろと聞いてみることにする。

そして協力隊同期で同じ生活班だったTさんに前日の815日に娘が生まれたとメールがあった。おめでとうございます!

2008年8月24日日曜日

8月9日~8月12日

8月9日から12日の日記です。ちなみに、今日8月23日で赴任してからちょうど2か月が経過しました。明日から3か月目に突入です。


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土曜日。でも休日出勤した。この振替休日はもらえるのだろうか。今度確認しないと。コスタリカ国境付近での噴霧とデング熱を媒介する蚊の調査に向かった。セルヒオと一緒に一区画を調査。2件で見つかった。これは噴霧の対象になるかもしれない。来週から仕事は何をするのだろうか。このまま毎日これをやるわけにもいかない。これならパナマ人を雇った方が数倍マシだ。カウンターパートやシャーガス担当者はとりあえず研修中だから、みたいなことを言っていた。早く自分の仕事を確立したい。

今日、髪を切りなさい、みたいなことを言われた。規律だから、とか言っていたけど、そんなの小学生じゃないんだから関係ない。ここで従うと後の仕事も向こうの言いなりになってやりにくくなりそうだから、反抗してみることにする。意外とここがポイントになるかもしれない。

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午前中に洗濯をした。チョレラで先生からもらったタオルを洗濯したらえらいことになった。編みこみが甘いのか大量のカスが出てきた。一緒に洗ったジーパンやタオルも結局もう一度洗い直すことになってしまった。なかなかいい柄のタオルだったがこれでは使い勝手が悪すぎるので捨てることにした。

午後、近くの(と言っても徒歩30分以上)ネットカフェに自分のPCを持ち込んで使っていいか聞いてみた。店員さんはめんどくさそうな顔をしながらも一応は快くOKを出してくれた。セキュリティソフトでノートンは使いずらいのでウィルスバスターを使うことにしたが、ノートンをうまくアンインストールできず、結局ウィルスバスターもインストールできなかった。ノートンはどこまで迷惑をかければ気が済むのか。

ここは3時間で1.5ドル。格安なので早く仕事から帰った日や週末に使うことにしよう。ただし、遅い時間になるとパソコンを持ち歩いているのは大変危険なので早い時間限定で行かないといけない。早く家にインターネットをつないでくれないかな。


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活動2週目がスタート。朝1時間ミーティングをやった後、担当職員と一緒にデング熱の蚊が発生していないか、一軒一軒回った。ここダビにもUTPがあることがわかった。いったい校舎はいくつあるのだろうか。ここはかわいい子が多かった気がする。自分の活動はいつ、どういう形で始めればいいのかよくわからない。今度、カウンターパートに相談しよう。今日も髪を切らないの?と言われた。小学生じゃないんだからそんな規律いらないだろ、と言ったら、まぁそうだけど、みたいな顔をして「ヘフェ(スペイン語で上司の意味)がね」みたいなことを言っていた。あのヒゲ野郎か。なんでヒゲはよくて髪はダメなんだ。しかも全然長くないし。

その後、給料の話になった。いくらもらっているんだ?と聞かれたので少ししかもらってないと答えた。彼は素直に金額を教えてくれたが、彼はJICAの資料の倍以上、教員の奥さんは3倍以上もらっているらしい。きっと、貨幣経済からはかけ離れた場所にいる原住民族の人数もいれた平均なのだろう。もっと生活費をあげてほしい。

事務所に帰ってからまた収入の話になって、日本では25万~27万くらいの月収だったと言ったら、おれたちの4倍くらいだとか日本でコーヒーはいくらなんだ?とかいう話になった。こっちではコーヒーは3040(≒30円~40円)センターボ、日本では安いところもあるけどだいたい2ドル(≒200円)くらい、ビールもこっちでは50センターボ(≒50円)だけど日本では一缶2ドル30セント(≒230円)くらいだ、と言ったらわいのわいのとやっていた。こういう身近な話題はみんな食い付きがいい。でも電化製品や車は日本とパナマでほとんど変わらない。電化製品なんて日本とパナマで1,000円もかわらない(例:デジカメ/日本で27千円くらい、パナマで279ドルくらいなど)と思う。収入格差を考えるとかなり高額な買い物になる。それにしても日本車が多い。日本車以外ではヒュンダイ。ようするに東洋の車しか走っていない。ビックリした。

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今日もデング熱対策の噴霧。といっても自分は後ろからちょこちょこと付いていくだけなので相変わらず仕事はしていないのと同じ状態だ。

今日はどうしてもナスとピーマンのオイスターソース炒めを食べたくなったのでスーパーマーケットに行った。ナスが売ってなかった。大ショック!!オイスターソースとレタス、玉ねぎを買って帰った。家に帰ってから野菜と肉でオイスターソース炒めを作った。ちょっとソースを入れすぎたがなかなかおいしかった。

仕事帰りにいつもの店でビールを買った。おそらく俺のために俺がいつも買う銘柄のビールを手前にだしてくれていた。ありがとう。

仕事で何をしたらいいのかわからないので先輩隊員に電話した。別に彼女が美人で話すきっかけがほしかったから電話したわけではない。参考になる話をしてくれた。よかった。

2008年8月17日日曜日

今回も4日分。写真もたくさん載せてます。

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今日はベテラン職員のセルヒオと一緒にデング熱を媒介する蚊
(スペイン語でAedes aegypty)の調査に出た。右の写真のように、水があるところを手当たり次第にチェックです。暑い中、何軒も回らないといけないので大変だと思ったが、もうちょっと回れるとも思った。今日だけだからだろうか。一般の会社と地方局勤務の公務員とではノルマが違うとは思うが。日本で仕事をしていたのと同じペースでやったら嫌われるよ、と言われたことがあるがなんとなく理解できた。一応、疲れたフリをして職場に戻った。水分がちょっと足りてなかったが、まだ余裕はあった。

驚いたことに、まわった家ではみんなすんなりと家に入れてくれた。日本だったらひと悶着ありそうな気がする。うちはそんなに汚くありません!みたいなおばちゃんが絶対にいるだろう。熱帯性の病気はみんな恐れているというのもあるし、みんなその調査を受け入れることで安全に生活できるから当然と思っているのだろう。

最後にまわった家でボウフラを発見した。セルヒオ、帰ろうとしていた… でも発見できてよかった。セルヒオを擁護するわけではないが、基本的にはマジメな人柄がにじみ出ているいいおっちゃんだ。ボウフラを発見した手柄もこっちに譲ってくれたし。きっとみんなこのゆっくりとしたスタイルで仕事をしているのだろう。

仕事の後、歩いてスーパーマーケットのREYまで行った。ちょっと道を勘違いしていたらしく、たぶん2キロくらいのところを4キロくらい歩いたと思う。ヘトヘトだったし、今日も買い物をしてしまったので、帰りはタクシーに乗った。金額は2ドル50センターボ。ちょっと節約してたのに全然関係なくなってしまった。でも方向をなんとなく覚えられたので、次回はもっと簡単に行ったり帰ったりできるだろう。パナマシティやチョレラと違って生活圏内にスーパーマーケットがないので結構不便だ。近所にミニスーパーはあるが、やっぱりREYみたいに大きいところの方が安心。歩く距離が伸びそうだ。靴も買わないと。ブーツとスニーカー。お金が…

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今日は殺
虫剤噴霧の日。みんな朝から若干テンションが高かった気がする。日本ならば5人乗りの車に7人で乗た。かなり乗りにくかった。サンタクルスという集落に行った。120軒くらいあるらしい。4人が噴霧、1人が説明係り、1人が車で巡回。俺は説明係の人と一緒に回った。途中で、彼は全然スペイン語が話せないから、と何回か言われてちょっとムッとした。ま、話せないけど。結構歩いて疲れたけど、大きな機械(左の写真参照)を持ってまわる係の4人はもっと疲れただろう。なんだか映画アルマゲドンみたいだった。誰一人名前を知らない。どうしよう。それにしてももうちょっと効率のいいやり方があるような気がする。そのあたりを考えるのも外部から来た自分のような人間の仕事だと思う。

今日、もっとムッとしたことがあって、商店をやっている店の娘の話になり、あそこは中国人か?日本人か?と聞かれた。こんな貧乏な国に来てまで日本人は商売をしない、と言いたかったがあえてそこは言わずに、あそこは中国人だよ、と答えた。その後、日本人と中国人は似てるね、というような話になった。そして1人アホな奴が「日本と中国の違いはチリキとサンチアゴの違いみたいなもんだろ?」と言っていた。そんなわけないだろ、バカ。今日は言い返せなかった。次からはしっかりと言おう。マジでムカついた。

デブが仕事終わりに飲もうと誘ってきた。今日はチリキ会があるから駄目だと言ったら何人女が来るんだ?と聞いてきた。知らないと答えておいた。その後、送ってくれることになったが、もう一緒には帰りたくないと思った。デブはわがままだ。しかも質問がよくわからなかった。「日本のスーパーにはなにが置いてあるんだ?」スーパーなんだから何でもあるよ、と答えておいた。

5時前にチリキ隊員が2名、荷物を取りに来る兼迎えに来てくれた。しばらく話し込んだあとタクシーで予約した中国料理店へ。タクシーの運転手のあんちゃんがアラブ語とスペイン語のバイリンガルらしく、そのことで我々と話があって盛り上がった。チリキ会は女性5人、男性1人(←俺)だった。チリキ会も楽しかった。が、6人中4人が同じ隊次であと半年くらいで帰ってしまう。その後2人になったら寂しい。おごってもらってしまった。ご馳走様でした。

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今日はじめて自分の本来の仕事であるシャーガス病の仕事現場を見せてもらった
。ボケテというチリキ県の首都ダビから車で2時間半くらいのところが現在の活動地らしい。何件かまわった。衛生状態はお世辞にもいいとは言えない。が、家を建て替えるなんてことはできないし、危ないので気を付けてくださいね、サシガメ(シャーガス病を媒介する虫)を見つけたら連絡してください、としか言えない状態になんとなくもどかしさを感じた。それにしても子供たちはめちゃくちゃかわいかった。ちょっとはにかむところが最高にかわいかった。

今日かなり重要なことがわかった。今、ダビの事務所で病害虫対策課に勤めているのは約20人。チリキ県内の地方局の人を足すと全体で65人くらいが病害虫対策課にいる。そのうちシャーガス病関連の業務を行うのは管理職を除くと3人、自分を入れても4人しかいないことが判明した。他の県ではどうなのだろうか。先輩隊員に聞いてみたいと思う。セルヒオもそのうちの一人らしい。で、他の二人は?と聞いたら今は休暇中とのことだった。そして毎週木曜日がシャーガス病対策の活動日らしい。ただし、この国ではマラリアとデング熱の対策が最重要課題であり、シャーガス病対策はその次にあたるため、マラリア、デンゲ関連の業務が入ったらそちらを優先するとのことだった。調整員さんからも言われているし、この国の現状を鑑みれば当然だと思う。週に1回、しかもない週もあるというこのシャーガス病関連の業務をいかに効率よく効果的に進めるか、というのを自分の仕事にしたいと思う。

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今日もデング熱対策の噴霧。今日はマヌエルと回った。相変わらずデブは質問の内容がはっきりとしないので適当にあしらっている。そして、「こっちに来い!」と言われたので「なんでだ?」と言ったらまた「こっちに来い!」と言われた。彼に命令される覚えはないし、こっちの質問にも答えてないのでシカトした。「お前はスペイン語が全然わからないのか?」と言われたところで知らないおばちゃんが話しかけてきたのでそこで終りになった。次からはもっとうまいこと言い返そう。

仕事の後、街に出てネットカフェに行った。日本語が読めず、店員と四苦八苦してるうちに30分がすぎてしまった。でも日本語が読めるパソコンがわかったし、インストールすれば日本語も書けることがわかったので、次回は交渉してみようと思う。その後、CDラジカセを買った。正直な話、カセットはいらないが、ついているのでしょうがない。場所をとるのでもっと小さい奴がよかったが諦めて普通のCDラジカセを買った。

夕飯には肉じゃがを作ってみた。まだ味の沁み込み方があまいが、肉じゃがを作るのは小学生の時以来ということを考えればまずまずだろう。この日の夕飯は肉じゃが、米、インスタントみそ汁。久しぶりに箸も使った。

2008年8月14日木曜日

今回は4日分をまとめて

ちょっと洒落たバーのメニューみたいなタイトルです。
前回のブログ更新に引き続き、今回は4日分をまとめてアップします。

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9時半にピックアップの車が来た。前日に言われていた通りの時間だったのでびっくりした。9時半から10時の間に来ると言われていたので11時くらいかな、と勝手に想像していた。おそらく前泊したのだろう。運転手が相当飛ばしてくれたおかげで3時半頃、目的地のダビに着いた。道も運転も粗いので、居眠りしていたら何回か衝撃を受けて首が痛かった。新しい家は以前にも隊員を受け入れていたことがあったので特別な説明がなくてもすんなりと入っていけた。こちらがまともに話すことができないのも知っていて、ゆっくり話してくれたので初日からうまくコミュニケーションをとることができた。協力隊の歴史を感じた瞬間だった。

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チョレラ(7月末まで生活していた首都パナマシティ近郊の町の名前)での生活の話をしているときに、ホストファミリーから「チョレラと言えばチチェメ(トウモロコシで作った甘いジュース)よね?」と言われた。そう言えば、以前チュートルのパトリシオから「チョレラはパイナップルで有名なんだよ」と言われたので「チョレラはチチェメとパイナップルだね」と言ったら、ホストファミリーも「やっぱりそうだね」と言っていた。日本から来た身としてはチチェメもパイナップルもパナマ名物だろうに、と思ってしまっていたが、パナマ人にとってはそれぞれの街に特徴があって、みんなそれを大事にしているということを改めて感じた。ちょっと手を抜いてしまっている自分に気付いて恥ずかしかったが、そのことに気付けて本当によかった。月曜日から始まる活動もこの気持ちを忘れずに取り組みたい。

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9時頃起床。起きたら家族はすでに出かけていた。朝食にサンドイッチを作って食べた。これから自炊の生活が始まるのだと実感した。午前中に洗濯を済ませ、昼過ぎから街に出た。タクシーやバスの乗り方も教えてもらったが何があるのか自分の目で見たかったので歩くことにした。片道1時間くらい歩いた。疲れたが今まで車の中からしか見たことのない風景を自分の足で見れたのはよかった。思ったよりも歩道が整備されているので自転車を買いたくなった。許可が下りるだろうか。水曜日に開催予定のチリキ会(チリキ県配属の隊員による飲み会)で聞いてみよう。帰りにスーパーで豚肉(バラ、ミンチ)を買った。玉ねぎとトマトも買った。今までほとんどない経験だったのでちょっとビビってたが、一度やればなんてことはないなと思った。ま、買うだけだし。メシを作るのはもっと大変だろう。2年後には本を見なくても簡単に料理を作れる男になりたい。

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出勤初日。この日が協力隊員として、本当の第一歩と言える日になるのだろう。初日なので一応協力隊の制服で出勤した。乗合タクシーで行けば町の中央まで35センターボと格安で行ける。バスでも30センターボ。時間のことを考えたらタクシーの方がよさそうだ。でもいろんな所を見たいので時間があったらバスでも行きたいと思う。帰りは運動も兼ねて歩きたい。

今日、今まで一番不安に思っていた質問を案の定ぶつけられた。「あなたは我々を助けるために何ができるの?」もともとの要請とは変更になってしまったため渋々来ました、とも言えず困ってしまった。パソコンを持ってくるために来たわけではないし、お金を落としに来たわけでもない。仕事をしに来た。でもここで、この職場で自分ができること、人助けになることとは一体何か。この答えも2年後には見つかっているのだろうか。きっと、何かがあるからここに来ることになったのだろうが、今はまだ見えていない。この根本的な問題を早く解決しないと仕事にならない気がする。これでは前の職場と同じだ。

職場のトイレに愕然とした。ホントに保健省の病害虫対策課のトイレなのか?ここが病害虫の発生源になっているんじゃないのか?というくらい汚かった。たぶん、ほんとに虫が湧いてると思う。きれいなトイレを早く省内で見つけないと。あんなところに二度と行きたくない。きれいにするよう、みんなに話しかけることの方が必要か。とにかく、衛生面でイニシアチブを取っていくべき人々の職場があれではイカン!

夕飯は豚肉とレタス、玉ねぎの肉野菜炒めを作った。思ったよりもうまくできた。炊飯器があるので、なんとか食事にった。ゴマ油を買ったのは正解だった。次にパナマシティに上京した時にもうちょっと買い足そう。味噌も買いたいが、高いしどうやって保存したらいいのかよくわからないのでやめておこう。以前、ホストマザーの職場でシニアの方が働いていたらしく、奥様がこっちでそろえられる食材で作れる日本食の本を作ってホストマザーに渡していた。これは使える!!このレシピも確認して、作れるものを作ろうと思う。どんどんレパートリーを増やしていきたい。肉の解凍、どうやったらいいのか。レンジで3分では長すぎたので、明日は1分半くらいでやってみることにする。

2008年8月11日月曜日

ずいぶん放置してしまいました。

すいません。ネット環境にたどり着けずずいぶん放置してしまいました。とりあえず7月30日から2日分アップします。

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740分頃、同期隊員Iさんの迎えが来た。7時半から8時の間に来ると言っていたのでまさに時間どおりだった。午前中にはもう一人の同期隊員Wの迎えも来るというので、見送るために連絡所に残った。なかなか迎えの車が来ないので二人でグダグダしているところに先輩隊員のSさんが来た。何でも明日、先輩隊員門間さんの働いている病院で活動を手伝うので、そのための道具を作るという。二人とも暇だったので喜んで手伝わせてもらった。結局2時半頃になってやっと迎えの車が来た。Wを見送った後、事務所に顔を出し先輩隊員達の報告書を見た。

夕飯はスタッフ1名、シニア1名+奥様、隊員4名の合計7名でエルサルバドル料理食べた。トウモロコシの粉で作った皮の中にチーズ、豚肉、豆を入れたもので185センターボ、女性な2枚、男性でも3枚食べればおなかいっぱいになる大きさだった。それにビールを3本も飲んだ。2残ったのでありがたくいただいくことにした。結局、スタッフとシニアの方にほとんど出してもらってしまった。この日に出会ったシニアの方は、何歳かは聞いていないがまだかなり若い方だと思う。シニアで退してから来ている人ももちろんたくさんいるのだが、そうではなく働き盛りと言われる年代で来ている人の話をもっと聞きたいと思った。なぜキャリアを捨ててまで来たのか、それだけの価値があるのか。自分に対する疑問の答えにもなるのかもしれない。

パナマの隊員連絡所は引っ越し中で、現在は特別な用事がない隊員は宿泊禁止になっている。そのため、この日は30人近く泊まれる隊員連絡所に1人で泊まった。かなりブルーだった。しかもネットも満足につながらないし。やっとつながった!と思ったら連絡所同期で同じ生活班だったGさんから「スカイプでA(同期隊員で同じ生活班)とチャット中!」というメッセージが飛び込んできた。やった!と思ったが、結局ネットにつながったのはその一瞬だけで、その後2時間格闘したがダメだった。おとなしく寝ることにした。怖いので部屋の鍵も掛けて寝た。これがいけなかった。

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この日は午後から先輩隊員Mさんの病院での活動の手伝い。午後2時からだというので、それまでに荷物の整理と調整員さんからもらった薬品の調合がうまくいくかを試すつもりだった。部屋から出て昨日の夕飯の残りを温めている間にシャワーでも浴びようと思って、部屋に戻ったがドアが開かない。鍵がかかってしまっている。どうやら鍵をちゃんと開け切らずにドアを閉めたためにまた鍵がかかってしまったらしい。カギは当然持っていない。管理人のおじさんに聞いてみたところ、彼もカギは持っていないらしい。一応、彼が持っているカギセットのカギを全部合わせてみたが、案の定開かない。そのうちドアを壊そうとしたので、彼を止めて事務所に連絡した。調整員さんがカギセットを持って来てくれたが、それでも開かない。なぜ… しょうがないので鍵屋を呼ぶことにした。鍵屋さんに連絡して2時間程してから鍵屋がやって来た。その間、調整員さんと話すことができたので結構有意義な時間だった。ぶらりと現れた鍵屋はなんてことはなく簡単にカギを開けてしまった。

なんとか病院での活動時間に間に合い、一緒に手伝わせてもらうことができた。ここではエイズで陽性の子供たちの治療を行っていて、Mさんは毎週木曜日の午後に子供達に紙芝居を読んだり一緒に踊ったり歌ったりしているらしい。一人、痩せていて車椅子で移動している子供がいた。エイズを発症しているとのこと。びっくりしてしまったが、今はエイズが発症しても治療ができるらしく、一緒に遊んでいた子供たちの中にも何人かエイズを発症したことがある子供たちがいるらしい。それがどの子かわからないくらいみんな元気だった。その子にも早く元気になってほしいと思う。みんな人懐っこくてほんとにかわいかった。少し元気をもらった気がする。疲れたけど。現地の大学の学生もボランティアで来ていた。さすがにスペイン語だとみんな理解が早いなと思った。ネイティブにはなれないが、早く一人前のスペイン語が話せるようになりたい。みんなで踊ったり歌ったりするのは日本と同じだが、こっちはもっとリズミカルというか、さすがラテン、みたいな感じだった。そして、先輩隊員はここでみんなからとても信頼されていることもわかった。嬉しかったし、自分もそうなりたいと思った。

夕飯は一緒に活動を行った先輩隊員2人と現地日本語学校の先生1人、そして俺の合計4人でベネズエラ料理を食べた。ここは先ほど活動を行った病院で治療を受けている子供の親が経営するレストランらしい。カウンターを覗いたらさっきまで元気いっぱいに遊んでいた子供が疲れ果てて寝ていた。かわいい。料理はすごくおいしかった。ベネズエラのビールも飲んだ。なかなかの味だった。日本のビールに近い気がする。夕食後、別の先輩隊員が参加するコンサートを観に国立劇場まで行った。国立だけあって劇場はなかなか豪勢な作りだったが、チケットの番号は手書きだし、チケット売り場での販売数管理も手書きだった。ここは改善したほうがいいと思う。コンサート後、まっすぐ連絡所に帰り、出発の準備をして寝た。