2008年10月26日日曜日

10月9日(木) カリブ海デビュー

木曜日なのでシャーガスの日だが、なんかあったらしくシャーガスには行かなかった。なんとなくごまかされてる気がする。被害妄想だろうか。本当にシャーガスの危険性が高いところにはまだ行っていない。遠いから。彼らの仕事だということをどうやったら理解させられるのだろうか。遅くとも2014年にはシャーガス病の新規患者を中断することを世界保健機構が宣言しており、パナマ政府もそれに賛同している。ということは2014年にはJOCVもこのプロジェクトから引き揚げるが、まだまだ調査以外にもやらないといけないことが山ほどある。もちろん彼らの職域から外れてしまうこともあるのだが、他部署と媒介役の協力隊ボランティアがいなくなったらそこで全部おしまいではあまりにも情けない。
今日からまたマラリアに一部職員が出かける。その準備中、同僚の一人がガソリンを詰めたドラム缶とドラム缶の間に指をはさんで切断してしまった。大変なことになった。ちょっと浮かない気持で一日が始まった。日本でこの種の事故が起きるだろうか。もちろん起きるのだろうけども、確率は低いと思う。必ずしもマニュアルが絶対ではないが、マニュアルの大切さや危機管理の大切さを考えさせられた。
シャーガスに行かないようだったのでどうしようか考えていたら同僚の一人がボカスデルトロ(チリキ県とは山を挟んで反対側にある県、カリブ海に接している)に行こうと誘ってきた。ディーゼルを入れる契約をしているガソリンスタンドがチリキ県にはなく、ボカスデルトロ県かベラグアス県に行かないといけないらしい。せっかくだし行くことに。車に乗ってから何時間かかるか聞いたら、「片道4時間だよ」との返事。じゃ、帰ってくるの4時まわるじゃん。失敗した。まぁ、ヒマだし。行きは順調。山を越えダムを超えボカスの保健省地方保健局まで3時間半でついた。途中、カリブ海も目にすることができた。思わぬ形でカリブ海デビュー。GSでディーゼルを入れまたチリキへ。ところが途中で渋滞。どうやら橋の近辺で何かあったらしい。1時間近く待たされた。その間、前の車に乗っていた子供に折り鶴を折ってあげた。
帰りは雨、霧、運転している同僚の眠気(ホントに怖かった)と戦いながら帰宅。予定より1時間以上遅くなった。帰りにカウンターパートの車とすれ違った時に朝ケガをした同僚のことを聞いたらやはり切断せざるを得なかったらしい。ちょっと気持ちが落ちてしまった。
家まで送ってもらった時、家の前がえらいことになっていた。こちらは大雨だったらしく、ちょっとした池になっていた。車で送ってもらったので濡れずに済んだが、そうじゃなかったらびちょびちょになるところだった。

10月8日(水) これでも少ないらしい

今日もデング熱調査。相変わらずスペイン語が上達しない。ま、勉強してないし。早くスペイン語を上達させて自分がやりたいと思っている活動に入れるようにしたい。

以前からパナマはゴミがたくさん落ちていていやだなぁ、と思っていたがなぜ彼らがゴミを捨てても気にしないのかわかった。よく言われる説は、昔は熱帯の人は食べカスを捨てても土に帰っていったからその名残でビニールでもペットボトルでも捨てるというものだが、それだけではない。学生時代、隣国のコスタリカで勉強したという人と一緒に回ったとき、パナマと日本ではどちらがいい?という話になった。やはり日本がいい、という話をした後、彼が俺はコスタリカとパナマならパナマかな、なぜならゴミが落ちてないから、と言っていた。つまり、他国と比べるとまだゴミが少ない状態だから捨ててもいい、と思っているようだ。ゴミが落ちてないから、と言われた時に、あなたの目の前にKFCの紙コップが落ちてますよ、と突っ込みたくなったが我慢した。下ではなく上を見ないといけない、それをどうやって伝えればいいのか、ちょっと悩んだ。

昼休み、レストランで子供たちにあげるために折り鶴を折っていたら店の女の子が食いついてきた。その娘のお母さんが教えてほしいと言ってきたので喜んで教えた。お客さんもそれを見て私にも教えてと言ってきた。喜んで… スペイン語… 結局上手に教えられなかった。

10月7日(火) 水溜り?


デング熱調査。いつも買い物をするスーパーの近くで活動だったので調査後、職場に戻らずそのままスーパーで買い物を済ませ直帰。帰宅後まだ早かったのでネットカフェへ。多くの方から誕生日のメッセージをもらってうれしかった。
ちょうどネットカフェに入った時から雨が降り始めた。大雨。10月と11月が特に雨が多く、その後パナマ人が言うところの「夏」になるらしい。要するに乾季。家の前の水溜りがすでに水溜りの域を超え、池のようになっていた。

10月6日(月) 追いつき追い越せ

事務所で仕事。他国で活動した過去のシャーガス隊員の資料を見る。改めて自分がやらないといけないことがなんとなくわかってきたような気がする。そしてまだまだ自分には足りない部分が多くて、本当に彼らに追いつき、願わくば追い越すことができるのか不安になる。
パナマシティから持ってきたボールペンなどを同僚やプロモーション課、衛生課などに配って回った。プロモーション課の人が今度パタコン(プラタノを揚げた料理)をごちそうしてあげる、と言ってくれた。なんか距離が近い。仲よくなってくると距離が近くなるものなのだろうか。

10月5日(日) くっせー

朝7時半に起床し洗濯を済ませメールチェックなどをした。11時くらいには連絡所を出たかったが、雨が降っていたため出れず。しかも連絡所に置いてあるマンガも面白く結局12時半頃に連絡所を出発。日本から送ってもらった荷物を手にダビまで戻る。今日のバスはエアコンがきつく、しかもトイレ近くの席だったので臭くて大変だった。次回からは絶対に上着を忘れないようにしないと。ホントに風邪をひいてしまう。

10月4日(土) 漏れてる~!!!

朝から何かピチャピチャと音がするので、何かと思ったら男子部屋併設のトイレの上水が溢れて、部屋の方まで来てしまっていた。朝7時から床の水を拭き取り、濡れてしまったベッドマットを乾かして。二日酔いに寝不足が重なった最悪の体調だったがなんとか終えた。もう一眠りしようかとも思ったが、なんとなく眠気も覚めてしまったのでそのままグダグダしていた。男子隊員が味噌汁を作ってくれたので便乗していただき朝食をすます。やはり二日酔いには味噌汁だなぁ、とつくづく思った。
午後、日本食が売っているスーパーに行き豆腐と鰹節を購入。今晩はどうしても冷奴を食べたかったので同期隊員を誘って買いに行った。1切れ15セント。安いし、美味しかったので次回はもう少したくさん買おう。
夕食は韓国料理を食べ、その後連絡所に戻って冷奴を食べながらビールを飲んでいたら他の隊員がケーキを買ってきてくれた。誕生日を祝っていただき、本当にうれしかった。ありがとうございました。この日も夜中3時近くまで夜更かししてしまった。首都に上がってくると夜更かししてしまっていけない。

10月3日(金) 誕生日

日本文化紹介当日。そして33回目の誕生日。もう誕生日が来たからうれしいという年齢でもないがメールなどでメッセージをもらうとやはり嬉しい。

本番では記録係を担当。動画や静止画で写真を撮りまくった。一日にこんなにたくさんの写真を撮ったのは初めてだろう。でも動画って難しい。近づきすぎても遠すぎてもだめだし、どのタイミングで撮り始めたらいいのかわからないし。

この日は隊員が中心となって様々な催しを行った。習字や折り紙、箸の使い方教室から日本の伝統的な遊び(独楽、剣玉等)、日本語教室、原爆展、浴衣着付けなど。どれも大盛況。加えて、時間を別に設け空手、踊り(盆踊り、よさこい等)、合気道、茶道、弓道など経験者の隊員がそれぞれの技も披露。多くの人に訪れてもらった。少しでも日本とパナマの交流の懸け橋になれればうれしい。しかもこの会で他の隊員ともかなり打ち解けてきた。参加してよかった。

撤収後、隊員連絡所の近くのバーで飲み、さらに連絡所に帰ってからもさらにもう1杯。結局この日も3時近くまで夜更かししてしまった。

2008年10月19日日曜日

10月2日(木) 腰痛・・・

今日はシャーガス。そして終業後にまっすぐパナマシティへ向かう予定。勤務先から長距離バスターミナルは目と鼻の先。家に帰っていたらパナマシティへの到着が夜中になってしまうので早く行きたい。でもシャーガス病の調査先は事務所から2時間くらいかかるところにしかないため、遅くなったらいやだなぁと思っていた。しかも前日あたりから持病の腰痛がまた発症。困った… シャーガスの調査中も腰が痛くて痛くて大変だった。調査地はボケテよりももっと上に行ったところ。帰り際、ボケテはいちごの産地としても有名なので男4人でいちごアイスを食べた。そういえば普段は来ない管理職の人も来ていた。そしてその店で彼は家族にケーキを買っていた。そういうことか。まぁ、どんな理由であれ管理職がシャーガス調査に加わってくれることは今後の為にもありがたい。
業務終了後、すぐにバスターミナルへ。2時半くらいにターミナルに着いたので3時くらいのバスには乗れるかな、と思ったがバスは満員で3時45分のバスしか乗れないとのこと。1時間以上待ち時間があったので家に帰って長袖の上着を持ってこようかと思ったがめんどくさいのでやめた。ちなみにパナマの長距離バスはエアコンがガンガンに効いていて、長袖の上着なしではかなり厳しいのだが、この日は持ってくるのを忘れてしまっていた。大丈夫だろうとは思うけど。そうこうしてるうちに3時くらいになった。なんか呼び出しているがスペイン語がよくわからないなぁ、と思っていたら5番バス、出発します!みたいなことを言っている。自分のチケットを見たらバス番号5番!なんで?と思いつつバスに飛び乗り出発。どうやら時間前でもバスのチケットが全部売れたら繰り上げで出発してしまうものらしい。腰痛を抱えたまま7時間の長距離移動。バスの中で映画が見れるので、それを見ながらいけばいいか、と思っていたら途中から放映をやめてしまった。なんで?もうすぐクライマックスだったのに… 無事パナマシティに到着しまっすぐ隊員連絡所へ。同期隊員がビールを買って待っていてくれたので乾杯。
今回の状況の目的は翌日にパナマ大学で開催する日本文化紹介の手伝い。首都に住んでいる隊員が中心になって企画調整しこの日を迎えた。大変な苦労だったと思う。実際、午後10時半に隊員連絡所に着いた時もまだ準備中だった。
久しぶりに会う人も多く、話し込んでいるうちに夜中5時近くになってしまったので慌てて寝た。

10月1日(水) 普通の1日(手抜きではありません)

今日もデング熱調査。いつも通り。明日からパナマシティへ行くのでちょっと楽しみ。

2008年10月13日月曜日

9月30日(火) どこに行ったの?

昨日申し出た通り、今日は調査に。いつも通りに作業を進めていたが、お昼時になってから一緒にまわっていた同僚が銀行に行きたいから街の中心に戻ろうと言ってきた。待つのもなんなので一緒に街まで戻ることに。そういえば、昨日Cable & Wirelessが閉まっていたけど、この時間なら開いているだろうと思い自分はCable & Wirelessへ。やはり閉まっている。どこへ行ってしまったのだろうか。

9月29日(月) 受動的になっています

オフィスで10月以降のスケジュール作成。10月は3日と24日に用事があって上京する旨を説明。了承を得る。その後、駒ケ根でもらったシャーガス虎の巻CDを見る。過去の活動例を見て、みんな色々と苦労しながらも活動を進めてきている。なんとなく受動的になっている自分に気付く。
9月になってから月・火とオフィスでの仕事(と言っても特に何もしていない)にあててきたが、スペイン語を上達させるためにはもっと話す必要があると思い、10月以降は月曜日オフィス、火曜日はその時によってオフィスか調査、水曜日~金曜日は調査というスケジュールでいきたいと申し出た。
業務後、パナマでも大手(だと思う)Cable & Wirelessという電話会社のビルに向かう。もちろんネットの接続に関して相談するため。ところがシャッターが全部下りている。まだ午後3時半、閉まる時間ではないだろう。なぜだろうか。

9月28日(日) 布団を干していい気持ち

朝から快晴だったので洗濯をして、ついでに布団と枕も干した。スーツも干そうと思って手に取ったら若干カビていた。まだ干したばかりなのに。恐ろしい。濡れ雑巾で拭き取り再び干す。それと先週に塩素系の洗剤も買ったのでトイレとか風呂の床とか洗面所とかも掃除。シャワーカーテンもカビを落としていい気持ち。
洗濯物を取り入れ昼食を済ませてから週末の日課となっているネットカフェへ。徒歩で約30分。タクシー(35セント)やバス(30セント)もあるが、週末の午後はつかまりにくいのと運動も兼ねて歩いて行く。確かにメールやミクシィを見るだけならこのペースでかまわないが、仕事で調べ物をしたくてもできない状況なので家でネットをやりたい。でも今はホームステイという名の居候で他人の家なので有線で引っ張ってくるのはちょっと難しい。ワイヤレスでできないだろうか。そもそもワイヤレス接続とは一般にルーターとPC間がワイヤレスなのは知っているがルーターとサーバーはどうなってるんだ?くっ、無知すぎる。明日、町にある電話会社に聞いてみよう。

9月27日(土) 向こう側はコスタリカ

二週連続の休日出勤。仕事をしているうちに道の反対側に見慣れない看板があることに気付く。同僚から「この道を渡るとコスタリカだよ」と言われた。どうりで見慣れない看板だなと。走ってる車のナンバープレートもパナマと違うし。行ってみたかったが、立場上やめておいた。でもこんなに簡単に国境越えできてしまうとは。完全に島国である日本に住んでいたので不思議な光景だった。いろいろな問題を国内だけで解決できない難しさを感じた。

9月26日(金) 暑くて大変

コスタリカ国境付近の街でデング熱調査。今日は天気が非常によく、その分大変だった。明日、もう一度ここに来て噴霧するらしい。貴重な土曜日… しかも2週連続。土曜日が仕事になると洗濯とか掃除とか布団を干したりとかできなくなるので辛い。

9月25日(木) 故人のご冥福をお祈りいたします

木曜日なのでシャーガスの日、と思っていたが事務所に行くとなぜかみんな慌ただしい。どうやら昨日、同僚のお母様が亡くなられたらしくドタバタしていた。急きょ調査は中止になり全員で葬式に参加。教会での式終了後、車に棺を乗せ墓地近くまで移動。墓地の1キロくらい手前から全員で歩いて墓地まで向かう。キリスト教の人が多い国(8割以上)なのでキリスト教式に土葬だった。棺を埋めるところまでを見届けて帰社。キリスト教だろうと仏教だろうと故人の冥福を祈る気持ちに変わりはない。合掌。
ところでこういうことがあると、どうしても宗教の話になる。正直な話をすると、宗教の話はあまり好きではない。なぜならよく知らないから。そして人々は宗教をめぐって戦争をするから。死後の世界があるから大丈夫、だから自爆テロをしても大丈夫となってしまう。自分は仏教徒だと答えるようにしているが、そんなに熱心な宗教とではない、と答えると「じゃ、どの神様を信じてるんだ?」となる。いや、どの神様もあんまり… と答えてもあまり理解ができないらしい。信じていないわけではない。だって自分は仏教徒だけど、仮に聖書が落ちていてそれを踏めるか、と言ったらなんとなく踏めないし。派遣前訓練や技術補完研修(派遣前訓練の前の訓練)でも宗教の話は言われたし、前に外国で生活していたことがあるのでわかってはいるが、やはりなかなか難しい。埋葬の最中に同僚から「日本ではどうやって埋葬するの?」という話になった。焼いて小さい瓶に入れて墓地に入れる、家族全員が入る、という話をしたらなんとなくみんな納得したような顔だった。
墓地に向かう前、事務所で時間があったので同僚と話しているときに、なぜパナマに来たんだ?という話になった。他の国の人々を助けたいのでボランティアをしたい旨をJICAに伝え、試験を受けて受かったらJICAから「パナマに行ってシャーガス病をなくしてこい」と言われたと伝えた。事実、その通りだし。そしたらなぜシャーガス病なんだ?という話に。シャーガス病は、書くと長くなってしまうので端折るが要するに貧困層と言われる人々が罹患する確率が高い病気で、しかも感染すると40%近い確率で死んでしまう(マラリアは1%前後)という恐ろしい病気だが、あまり知られていない。この病気にかかれば当然医療費はかかるし、一家の大黒柱が亡くなってしまったら家族は文字通り路頭に迷うしかない。JICAの目標の一つに貧困の削減という項目があって、その為に来た、と言ったら理解してもらえた。この行のスペイン語は慣れてきた。
終業後、スーパーまで行く道中でおっさんから「チノ!」と言われた。慣れてきたが何回言われても気分が悪い。最近なんとなく気づいたことだが、職業的にいわゆる「負け組」みたいな人が言うことが多いと思った。街中で蔑視を込めて呼ぶ人の社会的な地位は明らかに低い。たぶん、自分より下を見つけたいのだろう。でも人に上も下もないし。教育レベルが低いのだろう、と考えるようにしている。そうすると我慢できる。その日1日は気分が悪いが。

9月24日(水) あぁ、恐ろしい

デング熱調査。いつも通りの一日。帰宅して洗濯。洗濯中、20分くらい仮眠するつもりが1時間半も寝てしまった。せっかく早く帰宅したのにネットカフェにも行けなかった。でも今、外では雨が降ってるし行かなくて正解かも。
今日、次の隊次の隊員がパナマに着いたようだ。まだスペイン語も片言だし仕事も全然わからないが先輩隊員になってしまった。恐ろしい。

9月23日(火) マラリア殺虫剤噴霧(見てるだけ)

前日に言われた通り、マラリアの活動を行っている地域へ。調査ではなく噴霧の方を見た。見た、というか写真を撮ってという依頼だったので噴霧の写真撮影をした。デング熱の蚊とは違う殺虫剤、噴霧器を使っていた。しかもマラリア用だけで2種類ある。液体の溶剤と粉末の溶剤。両方とも同じ噴霧器で殺虫剤を撒く。水で希釈する部分も同じ。液体の溶剤がペンキで塗った壁用、粉末がブロックやトタンの壁用とのこと。デング熱対策用の噴霧よりも丁寧に行っているような気がした。デング熱の蚊とマラリアの蚊ではなぜ殺虫剤が違うのか質問したら、どっちにも有効だが、より効果的と言う普通の答えが。ただ、マラリア用は4週間以上効用が続くらしい。
15人近くの同僚が保健省所属の家で合宿生活を行っている。あまり衛生状態もいいようには思えなかったが、マラリアとわかった場合は1週間薬を飲まないといけない。毎日自分の目の前で飲ませるためにこういう活動も必要らしい。大変だ。
今日も同僚から「チノ」と言われたので、日本人だと主張。こういう地道なことも必要なのかと思う。協力隊として来たからには日本という国をもっと知ってもらう努力もしたい。

9月22日(月) ↑→↓

明日、第一号報告書の提出日なので、前に書いた分を今日のうちにある程度まとめておこうと思ったら、意外と早くできた。添付資料も作成して準備万端。でもなぜかネット回線用のコードが撤去されていた。システム部の人が持って行ってしまったらしい。ま、明日もあるしいいか、と思っていたら髭の上司が、「明日はマラリアの調査に行こう、大丈夫だな?」と言われた。マラリアの調査は行ってみたかったので即OK!ということで急きょ事務所にある30cmくらいのコードでパソコンとネットをつないでネット経由で報告書を提出。添付資料は別途メール等で提出になっているので、メールを書こうとしたところでなぜかネットがつながらなくなってしまった。明日やり直さないと。
今日、報告書を書く以外に他国のシャーガス隊員が行ってきた活動のデータを読んだ。まだまだやることがたくさんあるなと感じた。そしてパナマではシャーガス病はそれほど深刻に受け取られてないだけに尚更他国に後れを取っているような気がした。なんというか、難しいけど、自分も含めて簡単に考えている。真剣に取り組まないとやばいと思った。そのためには一にも二にもスペイン語。全然スペイン語わからない。最近、なんとなくやるべきことが見えてきて上向きだったが、まったくスペイン語が分からない自分を見返してまた下向きになってしまった。

9月21日(日) せっかく持ってきたのに…

朝から晴れていたのでたまっていた洗濯ものを洗う。そして長い間ハンガーにかけっぱなしになっていたワイシャツも洗った。保健省勤務だと聞いていたのでいつもスラックスで勤務かな、と思っていたがそうではなく毎日フィールド調査なので、こっちに来てからまだ初日しかスーツを着ていない。ワイシャツももちろん着ていない。せっかく持ってきたのに。で、そのシャツもこの湿気では湿ってしまうのでたまには洗おうかと。いい天気だし、と思っていたら午前10時ころから曇ったり雨が降ったりまた晴れたり… なんだよ、ちくしょう。
夕方からいつも通りネットカフェへ。7時ころネットカフェを出たら警官に呼び止められた。最初、「チノ!」と呼ばれたので無視しようと思ったがそうもいかないので素直に従った。身分証を見せると納得。その後はいつも聞かれるような質問(日本と中国は似ているのか?言葉は一緒か?等々)。そしてネットカフェから家まで歩いて帰る、と言ったら、「今の時間(午後7時)はまだ大丈夫だけど10時とか11時になったら、そっちの方(家の方)はあぶないから気をつけなさい」と言われた。そして握手をして別れた。さすがに警官は対応がしっかりしてるな、と思った。

9月20日(土) 技術だけじゃなく

今日は休日出勤。昨日と同じ場所に出向き噴霧。滞りなく終了。作業の途中で日本へ行くにはいくらかかる?とか、ゲームはいくらするんだ?とかよく聞かれる質問にまた遭遇。パナマ国内でも日本製の車や電化製品があふれているので日本がどんな国なのか知りたいようだ。確かに日本の技術は進んでいるが、それだけではないということも知ってもらいたいと思うようになってきた。駒ヶ根で撮ってきた桜やアルプス山脈の写真も今度みんなに見せよう。

9月19日(金) 最近、多くなったと自覚してはいるのですが…

朝、事務所に着いたら、「この前、独り言いながら歩いてただろ?」と言われた。最近、ちょっと独り言が多くなってきたとは実感していたが、まさか見られてるとは。恥ずかしい。みんなが日本語話せないからしょうがないだろ、と言ったらみんな大爆笑してた。
コスタリカ国境近くまで行ってハマダラカ(デング熱を媒介)の家屋内調査に。明日は土曜日だが再度訪れ殺虫剤噴霧をするらしい。もう噴霧するって決まってるんなら調査なんてしなくてもいいのに。たぶん、調査しましたよっていう事実がほしいだけだろう。ま、いいや。最近、なんとなくやりたいことが見つかって来たので上向きになってきた。物事を前向きに捉えれるようになってきた。
今日は財布を家に忘れてしまったことが判明。小銭入れを持っていたので通勤はできた。いや、行くことだけ。帰りの分はお金が足りず徒歩にて帰宅。ま、だいたい毎日徒歩で帰宅してるので大したことはなかったが、途中で喉が渇いたけど35セントのコーラスら買うことができない自分が情けなかった。
帰宅後、財布を持って近くのミニスーペル(ミニスーパー)へ。午後6時から他の協力隊員と飲む約束をしていたが我慢ができずビールを2本飲んでしまった。午後6時に待ち合わせ場所へ到着、同じ町に住んでいる先輩隊員の知っている中華レストランへ。中華レストランだけどパタコンが美味しかった。もちろん他の料理も美味しかった。今日はサンチアゴから来た隊員を囲んでの食事会で、彼女は一隊次先輩にあたるのだがかなりパナマ生活を楽しんでいる様子だった。見習いたい。
みんなと別れてからまっすぐ帰ろうと思ったが尿意に耐え切れず、でもその辺でするわけにもいかないのでスポーツバーに恐る恐る入ってみた。初体験。この店はなかなかきれいでお店の人の対応もよかった。しかもちょうど岩村が所属するレイズの試合を放送していたため、ちょっと1杯のつもりが2杯も飲んでしまった。明日仕事なのに…

9月18日(木) 確信しました。

シャーガス病調査の日。シャーガス病担当の職員は月曜日からマラリア調査の為に出張に出てしまっている。普段はシャーガス病を担当しない職員が一緒に調査に回った。一人はベテランでシャーガス病に関する知識もかなり持ち合わせている。ただし調査は初めてなので書類の書き方は知らない。もう一人もベテランだと思うが、シャーガス病に関する知識はあまりない。書類の書き方を教えたりシャーガス病に関して教えたりしながら一緒に回った。前はよく見たけど最近は見ないね、という言葉をよく聞いた。住居状況が改善されたのだろうか。今度、調整員に聞いてみよう。
そして今日確信したことがある。自分の仕事はサシガメ調査ではなく、講演などの準備、衛生環境教育、パソコン技術の伝授、将来へ向けたカレンダー作りやサシガメ監視体制のフォーマット作りだとわかった。自分でもちゃんと見たつもりの場所を別の職員が調査したら簡単にゴキブリを見つけた。もちろんゴキブリとサシガメは別物だが、恥ずかしいことに自分はこのゴキブリを見つけることすらできなかった。同じ場所を見たのに。彼らは虫のプロ、調査に関しては2年間ではどうやっても追い着けないし、足を引っ張るだけ。それよりも自分でできることや彼らの思いついていない部分、今までのJOCVが蓄えてきた経験をここに移植できるように頑張りたい。
帰宅後、ネットカフェへ。ネットカフェまでは片道30分。最近、この30分が短く感じるようになってきた。体重が減ってきたから負担が軽くなったのか、筋肉量が増えたのか。ただ慣れただけなのか。パナマ人化してきたのだろうか。いや、都市部にすむパナマ人はこんなに歩かない。徒歩5分くらいでもバスに乗ったりする。逆行している。

2008年10月12日日曜日

9月17日(水) 雨が降ったらお休みで~♪

朝から雨。今日は調査の手伝いに行く予定だったが外に出れなかった。8時ころ、みんなが車に乗って出かけようとしてたので自分はどこに行ったらいいかわからなかったがとりあえず飛び乗った。みんなが降りるところで一緒に降りようとしたら、「今日は雨で調査なんてできないから事務所で仕事してた方がいいよ」と言われた。結局、そのまま事務所に戻り報告書を書いたりネットをつないでメールチェックをしたり。リューシマニア症について調べようとしたところで時間がきたので帰宅。それにしても雨が降ったらホントに仕事がないんだ、と思った。
夜、同じ県で働いている協力隊員から金曜日にサンチアゴ隊員がダビに来るので夕飯を食べようと誘われた。やったね。

9月16日(火) 現実逃避

今日も事務所で仕事。昨日の続きをした。朝、みんなに今日もでかけないのか?と聞かれた。同じ立場で仕事をするわけではないし、外国人の目から見たパナマの現状を伝えるためには週に2回くらいオフィスで仕事をして教材などにまとめる方がいいと思うのだが何せスペイン語が拙すぎて伝えられない。それにしても彼らは毎日一緒に蚊の調査に向かうためにわざわざ日本から来たと思っているのだろうか。それならスペイン語を話せる地元の人間を雇った方がいいだろうに。経験を積みに来た、とか思われてるんだろうなぁ。そんな蚊の調査の経験なんて日本に戻っても使いようがないのに。
そして自分から週に2回くらいオフィスで働かせてくれ、と言ったことに対してなんでだ?みたいなことを言われた。働けとも言われた。スケジュールを自分で組み立てて働いたことがない人たちなんだなと思った。ま、今は確かに感染症や環境・衛生教育に対する知識もないしスペイン語も話せないが。かと言って毎日蚊の調査に出るわけにもいかないし。早くスペイン語を上達させないと、と言いながら毎日現実逃避している。

9月15日(月) これでいいの?

パナマに向けて出発したのが6月23日。3ヶ月後の9月23日に第一号報告書の提出があるため、この日は報告書の作成と隊員支援経費の申請書類を準備。今までの隊員の報告書を参考に書いてみたが、今回からネットで提出する様式に変更になっており、字数制限もかなり厳しくなっていた。これじゃほとんど情報を伝えられない。こんな表面的な報告書でいいのかな、とちょっと心配に。ま、見る方も大変なんだろうけど。

9月14日(日) いつも笑顔で

朝から天気がよかったので前日乾ききらなかった洗濯物を日向へ。すっかり乾いていい感じ。ついでに昨日洗濯できなかったシーツやタオルも洗濯した。部屋の隅に置いてあるカバンをふと見たら若干カビ始めてる。ショック!ちょっと気になったのでスーツも見たらなんとなくカビてるような気が。吸水剤をすぐそばに置いておいたのに。その吸水剤もかなり水を吸収している模様。こちらも取り換えないと。とりあえずカバンとスーツをすぐに日向へ。壁際にかけておいたスラックスは虫に食われていた。あ~、まだ新しいのに… 今の勤務先では普段着で出勤しているためなかなかスーツを着る機会がないだけに余計カビや虫にやられやすいのだろう。
今日も午後はネットカフェへ。前日のパスタの件、ミクシィ日記にアップしたら多数のコメントが入っていた。びっくり。みんなパスタ好きなんだな。参考にさせてもらうことにした。
そして今日もまた一つ友人に助けられた。駒ヶ根で同じ語学クラスだったTちゃんから日本を発つときに写真をもらった。その写真は彼女からもらった状態(ちゃんと袋に入っていて、中も見れる状態、う~ん、字面では表現しずらい…)で部屋に飾ってある。裏には1枚の紙が入っていて、彼女が配属となっているニカラグアのJICA事務所の住所が書いてある。なんとなく袋から出してみようかな、と思って出してみたら写真の裏に彼女からのメッセージが書いてあることに約3か月経って初めて気づいた。そしてその中に、「いつも笑顔で」という文言。パナマに来て3ヶ月。なんとなく嫌いになる時期。きっとみんなそういう時期だと思う。でもその時期にその言葉を大切な人からもらえた。自分はいつも多くの人に支えられているのだと改めて実感できた。自分は本当に幸せだと思う。

9月13日(土) パスタが不味い…

朝から洗濯。2回洗濯したが、今週は一度も洗濯できなかったのでまだ洗濯物が残っている。でも干す場所もないし天気もイマイチなので明日にまわすことに。
昼食はこちらに来て初めてパスタを作ってみた。こちらに来て、というか日本でも作ったことないので初パスタ。パナマのレストランで出るパスタは茹ですぎで全然おいしくないので自分で茹でてみようかと。パナマのパスタはホントに美味しくない。なんか茹で過ぎで二回りくらい太くなってるし。というわけで自分で作ってみたが、茹で加減はまずまずだったと思うが全然おいしくできなかった。昨日、スーパーで買ったパスタソースが全然おいしくなかった。どうしたらいいのだろうか。
午後はネットカフェへ。いろいろとやってるうちに6時間も居座ってしまった。終わったころは外は真っ暗。怖かった。今日、時間を見つけて走ろうと思ったがさぼってしまった。反省。
昼にホームステイ先で飼っている亀を撮影。かわいい。

9月12日(金) 横浜だけでは・・・

デング熱調査の日。どうやら今週、別の職員がそこを回っていたらしく、もう調査する必要はない。どうしようか話し合った結果、近くを回っていた職員に合流した。ある工場で、私は日本人なのよ、とおばあちゃんから言われた。どうやら子供の時にパナマに渡ってきたらしい。もう日本語は喋れなくなってしまったが日本に親戚がいるのならば会いたいと言っていた。どこにいるかがわかれば通訳などを買って出てもいいが(注:もちろんそんなに話せません)、横浜にいると思われるということだけ。横浜って、何万人もいるから難しい。手助けしたいけど…
来週から10人以上がコスタリカ国境近くの街でマラリア調査をするらしい。15泊だとか。一緒に行ってマラリアの調査がどういうものなのかも知りたいが、そうもいかない。こちらでシャーガスやデング熱の調査もあるし。まだ職場内ではおまけみたいなものなので早くスペイン語を上達させる必要を感じた。

9月11日(木) 犬には気を付けましょう

ボケテ近くの集落でサシガメ調査。全部で15軒くらいまわったのではないだろうか。家屋内調査の後、サシガメの写真や死んだサシガメを見せて、「これを見たら捕まえて近くの保健所まで持って行ってください」と言って回った。何人か、「前はよく見たけど、最近は見ないね」と言っていた。なぜだろうか。家屋の作りが土壁からコンクリートに変わったということか。それだけなのだろうか。こんど専門家や他国のボランティアに聞いてみたい。
今日は人には絡まれなかった。が、犬に… あやうく噛まれるところだった。気をつけないと。
ラジオを聞いていて、今まで「クイダード(気をつけなさい)」と歌っていた部分が実は「テアモ(あなたが好き)」と歌っていたと初めて気づいた。はぁ、スペイン語勉強しないと。現実逃避に一生懸命になってしまっている。反省。

2008年10月8日水曜日

9月10日(水) 講演しました(俺は喋らず)

Palmiraにある保健所で講演(俺はほとんど話さず)。前回と同じ場所だが違うグループに対しての講演なのでほぼ同じ内容。今回はJICA事務所でもらったビデオも流した。やはり動画があると伝えられる割合も高くなると感じた。子供むけに簡単な映像資料を作れないだろうか。それにしてもよく話す。みんな聞いてないじゃん。そんな長話したって誰も聞かないんだから。年を取ると長話したくなるもんなのだろうか。


帰りの車の中でプロモーション課の女性スタッフと日本にエイズ(スペイン語ではSIDA)はあるのか?という話になった。日本は先進国の中で唯一エイズの陽性患者数が上がっているという恥ずかしい結果を残しているが、先進国というスペイン語がわからず… 結局、エイズの陽性患者数が上がっている旨だけをなんとか伝えた。パナマでも上がっているらしい。ちゃんとコンドームを着けなさいよ、と言われた。はい、気をつけます。


今日も帰りに絡まれた。「チノ!$#&’?&%?(この部分のスペイン語わからず)」。何かを食べたとか食べられたとか、そんな話をしていた。どけ!とスペイン語で話して無視。なんでこんなに絡まれるのか。この国の教育レベルの低さを改めて感じた。

9月9日(火):気分が悪い

しばらくさぼってしまいました。4日分アップするとそれぞれが長くなってしまうので、1日分ずつアップします。下の行から始まります。


今日も事務所で仕事。12月までの1ヶ月カレンダーを作ってあったが、自分で持ち運ぶには前の会社でも使っていた3ヶ月カレンダーの方が慣れているのでそれを作った。ついでなので帰国する20106月までのカレンダーを作ってみた。やりすぎたかも。ま、とりあえずだから。先々を見据えて仕事をする癖をつけたい、というか久しぶりの仕事なのでそういう感覚がどこかにいってしまっているので早く取り戻したい。それと課の秘書がインターネットをつないでくれた。おかげで今まで調べたいと思っていたことがけっこう進んだ。


そして今日はとても憤慨している。家の近くで歩いていたら「チノ!」と明らかに悪意を込めて呼ばれた。気分が悪い。