2009年10月23日金曜日
4月23日(木)ナヌー!?
夜は同期隊員が我が家に来た。明日から、ボルカンというダビから約1時間半の町で先輩隊員がイベントを開くためそのお手伝い。同期隊員は仕事を終えてから来たのだが、それだと今日中にボルカンに着けない為、我が家で一泊して明日一緒に向かう。
夜は最近開拓したレストランで食事。なかなかおいしかった。その後、部屋で二人で夜中2時ころまで飲んだ。これがいけなかった。
4月22日(水)ヒマになってしまったので。
4月21日(火)ちょっと凹むくらい臭かったです。
4月20日(月)しょうがないなぁ。結局来なかったんですけどね。
4月19日(日)どっちにしろ困ってるんじゃん!
4月18日(土)いやぁ、まいってしまいました。勉強しないとダメですね。
4月13日~4月17日 初出張です。突撃、先住民自治区!
宿泊は保健所の横にある保健省職員向けの宿泊所。村に電気はないのだが、保健所には太陽発電の装置が設置してあり電気がある。ここから宿泊所までコードを引っ張っているのでテレビや携帯の充電などはできた。かなり快適だった。
ただし、村人の生活は一様に貧しいといえるものだった。まともに壁がない家も多く、これは本当に厳しい生活だということがすぐにわかった。1週間調査を行ったが幸運にもこの地域にはサシガメがほとんどいないらしく調査でも見つからなかったし、見たことがあるという人もいなかった。次回からは別の村にも行こうということで同僚と話し合った。
この出張中、一回保健省事務所に行く機会があり、その時に保健所リストをくれるように頼んでおいた。2日後、取りに行ったらまだできてないという。大した資料ではないのに。次はいつ来るの?と聞かれたから次に来る時までに資料を作りたいから事前に頼んだんだ!と言った。仕事とはどういうものなのかが本質的にわかってない人が多い。
2009年10月22日木曜日
4月12日(日)な、なんと!
4月11日(土)さすが!
4月10日(金)いや、期待してなかっただけに予想以上によかったですよ。
4月9日(木)なんででしょうね?
午前中に買い物に出た際、携帯を家に忘れてしまった。隊員の何人かがボルカンバルー(パナマ最高峰)に登るためにチリキに来るはずになっていた。もしかしたら電話がかかってくるかな、と思ったがまぁいいかと思ってそのまま買い物に。家に帰ったら案の定電話がかかってきていた。折り返し電話したら、行きたいレストランがあるのだがどこにあるかわからないとのこと。電話で教えてあげて、自分もあとから合流した。
レストランで話していたら、1月に帰国してこの4月から大使館で働くことになった元隊員も合流するとのこと。彼女を待とうとも思ったが結局ここで別れて買い物などを済ませた。
4月8日(水)本当に管理職なの?何を管理してるの?
終業後に久しぶりにラングエッジエクスチェンジをしている人の家に。2か月ぶり。赤ちゃんがずいぶん大きくなっていた。そして前より話すようにもなっていた。本当にかわいい。帰り際にさみしがって泣いてくれた。自分の子供がほしくなった。
4月7日(火)講習を受けるのにお金をもらうなんて信じられん。
朝、職場に着いたら休暇に入っているはずのボスの車があった。なんでだろう?と思ったらみんなが会議室に集まっていて、おそらく中央がら来たと思われるドクターがマラリア対策の活動について話していた。特に聞く必要もなかったが、特にやることもなかったので聞いていた。やはりパナマシティの人のスペイン語はチリキ人のスペイン語よりわかりやすい。なんとなくわかった。そして驚いたことに講演終了後に10ドル渡された?この感覚がわからない。仕事に対する業務連絡に近い講演なのに、なぜ10ドルを渡すのか。おかしい。
4月6日(月)思いきって入ってみました。
2009年10月15日木曜日
4月5日(日)遅ればせながら…
4月4日(土)久しぶりにゆっくり
4月3日(金)エルサルでは1週間で終わらせたらしいのですが・・・
4月2日(木)このときの予感は今となっては現実のものとなっています。
今月の活動予定表を作成するとき、先住民自治区に1週間くらい出張に行きたいと言った。パナマに5つある先住民自治区の1つ、ノベブグレ自治区はうちの事務所の管轄下にある。確実にここには大量にサシガメがいると思われるし、まだほとんど調査はしてないけど、いる可能性が高いから早く来てくれと先住民自治区保健省事務所の担当者からも言われていた。それに、最初の要請では先住民自治区のある村に行く予定でもあったので、非常に興味があった。とりあえず再来週の出張が楽しみだ。
4月1日(水)近いので安心です。
昼食後、みんなと別れてターミナルへ。バスに乗って一路ダビヘ向かう。夜10時前に到着。前の家であればここからまたタクシーの運転手と交渉して家まで行くところだが、新居は徒歩10分で行ける。しかも、家までずっと夜でも人通りが多い道をいけるので安心だ。引っ越してよかった。
2009年10月7日水曜日
3月31日(火)本当に今日はスイマセン
夜は4月4日で帰国する大使館職員の家で送別会。先日、後輩隊員が働くトゥルーという村に一緒に行った職員だ。彼女の家で夜中まで話し込み、結局みんなで泊ってしまった。スイマセン。
3月30日(月)俺はコバヤシじゃない!
朝、職場のボスに聞いてみたところ、今週もシャーガス病の生息調査には出れそうになかったので火曜、水曜と休みをもらうことにした。ホンジュラスからのシャーガス隊員に会うため、そして31日に予定されている大使館職員の送別会に出席するため。休みの許可ももらい、そろそろ出ちゃおうかな、と思っていた2時半頃に同僚がパワーポイントで教えてほしいという。彼女がパワポで資料を作っていたのは気づいていたが、まさかこの時間に言われるとは… 結局3時に事務所を出る予定が4時になってしまった。これじゃ首都に着くのは11時過ぎだ。
そして今日の仕事中にもうひとつ、同僚に文句を言ったことがあった。いつも彼は「コバヤシ!」と自分に向って呼んでくる。どうやら昔のボクサーの名前らしい。が、おれはそんな名前じゃない。名前や国籍は個人のアイデンティティだから、間違うのは失礼だし、ましてや意図的に違う名前で呼ぶ何で言うのは論外だ。だが、彼はそのことに気付いていないらしい。だから今日からお前はホセだ!と言ったらムッとした感じで「俺はホセじゃない!」と言ってきた。俺もコバヤシじゃない、と言ったら「でもそれは日本人の名前だろ?」とまたしても言い返してきた。だったらホセだってパナマ人の名前じゃないか?自分がどれだけ失礼なことをしているかわかったか?と言ったら彼は素直に謝ってきた。これからもしっかりと自分の主張は通さないといけないなとわかった。
結局11時半頃、首都の隊員連絡所に到着。ホンジュラスのシャーガス隊員は起きて待っていてくれた。そこから2時間近く話し込み就寝。
3月29日(日)なんとか片づけ終了。
今日、ホンジュラスからシャーガス病対策の隊員が任国外旅行でパナマにやってくる。彼が広域研修を企画してくれたおかげで今の自分の活動があるといっても過言ではない。来週暇であれば、休みをもらって会いに行こうとふと思い立った。
3月28日(土)恥ずかしながら、この年齢で本格的な一人暮らしは初めてです。
ついに引越しの日がやってきた。朝、荷物を詰めて家を出る準備をしている間にお父さんは出勤してしまった。お母さん、娘と3人で火曜日に帰国した先輩隊員からもらった栗のお菓子を食べる。好評だった。お茶も出した。お母さんは栗との組み合わせが絶妙だとべた褒めだったが、娘はだめだったらしい。甘いお茶でないと飲めないと言っていた。
家を出る前に先日買ったホットサンドメーカーを渡した。喜んでくれるか不安だったが、以前にも買ったことがあったが壊れてしまったとのこと。娘の弁当にちょうどいいと喜んでくれた。
3月27日(金)いよいよ明日!
今日、スーツケースを持って職場に行ったら、みんなが「日本に帰るのか?」と聞いてきた。いや、まだ1年3ヶ月もあるから。