2009年1月19日月曜日
11月17日(月)偉大な発明
終業後はスーパーへ買出し。今、冷蔵庫の中には生姜とチーズ、冷凍した牛肉と鶏肉しかない。野菜がまったくないので人参やジャガイモ、玉ねぎなどを購入した。夕飯はカレーを作った。恥ずかしい話なのだが今までカレーすら作ったことがない。カレールーの素を入手したので作ってみた。美味しくできた。日本のカレーは偉大な発明だと思う。大満足。一人分だけ作るのはさみしかったけど。
11月15日(土)ホンジュラス最終日
そしてその寂しくなった食堂で事件が… うちのカウンターパートとパナマ西部地区の人が泊っている部屋でサシガメが出たらしい。プラスチックのコップに入れて持ってきた。そのサシガメは飛ぶ種類なのでフタをしていない時点で無知なのがばればれ。そして紙を持ってきて何か書いていた。どこで捕まえた、とかいう情報を書いているのかと思ったら、JICAに対して責任を取れとかいう内容の文章を書いていた。しかも自分の分も書いて甲乙にしていた。そしてビックリしたことにその文面に対し、ホンジュラスのボランティアにサインするように押し迫っていた。お客さん気分で来ているからそうなる。だいたいその施設はJICAの施設ではない。筋違いもいいとこだ。自分のところにボランティアがいるんだから立場だってわかってるだろう。しかもサシガメが菌を保有しているかどうか調べろと言っていた。ホンジュラスでは調べていない。サシガメがいる時点でシャーガス病のリスクがあるからだ。システムがパナマとは違う。何もわかってない。これだけ器の小さい男は久しぶりに見た。パナマで働く者として恥ずかしかった。前日に彼らが買い物に行くとき、JICAとして責任を持てないから流しのタクシーは使わないで欲しい、モール以外の場所は遅い時間だから危ないから行かないでほしい、と言った時にさんざん文句を言っていたくせに、ここではJICAの責任で、と言う。よくここまで都合よく考えられるものだ。そしてこれで管理職とは。よくよく聞いたら、JICAとしては普段現場で働いているカウンターパートに来てほしかったらしい。旅行気分。ホントに頭にきた。
ホンジュラスのボランティアは彼に対し、堂々と接していた。しっかりと説明を加え、自分の立場ではサインをできないこと、後でしっかり対応することなどを伝えて納得させていた。若いのにしっかりしている。彼を見習いたいと思う。
午前10時半に施設を出発。午後2時にフライトなので街まで行って買い物をしたかったが、街まではちょっと離れているので空港内の店で買い物。頼まれていたピンバッチや家族へのお土産を購入し搭乗。オフィスへのお土産は手ごろなものがなかったのでカウンターパートが適当にパナマでチョコでも買っておくと言っていた。
上空からはパナマ運河がきれいに見えた。午後6時半、無事パナマに到着。濃い1週間だった。消化するのに時間がかかるかもしれないが、しっかり自分のものにしたい。
11月14日(金)ホンジュラス5日目
この日、日本人とカウンターパートに分かれる前、プレゼンの感想を書くために紙を渡されたのだが、何を思ったのかすぐに書き始めている参加者もいた。スペイン語で説明があったのに。うちのカウンターパートは書いていなかったが、それは理解したから書かなかったのはなく、聞いていなかったから何をしていいのかわからず書かなかっただけだ。その上、書いちゃったから紙を取ってきてくれ、などとふざけたことを言っていたので「3日間、コミュニケーションについてセミナーを受けてきたのに、何やってるんだよ?この3日間、いったい何を聞いていたんだ?」と強い口調で問い詰めてしまった。もうおじちゃんなんだからしょうがない。自分もコミュニケーション技術が低いなと反省した。
夕食後、片づけたり資料のまとめがあるので日本人みんなで手伝った。その後、日本人会と銘打って講義室で飲んだり語ったり。非常に楽しいひと時を過ごした。
そしてその最中に駒ケ根で同じ生活班だったホンジュラスの同期隊員が訪ねてきてくれた。彼女の任地はテグシガルパからバスで10時間。今は休みということで水曜日あたりから首都に上がってきていたようだ。わざわざ会うために10時間もかけて来てくれたなんて。とても嬉しかった。
結局みんなで夜中の2時ころまで話し込んだ。エルサル隊は翌朝4時40分に研修所を出発。起きれるか心配していた。
11月13日(木)ホンジュラス4日目
セミナー3日目。ファシリテーション研修はこの日が最終日となる。コミュニケーションやファシリテーションは本当に難しく、それだけにそこを掴めれば色々な場面で活かせることがわかった。まだ理解しきれてはいないが、帰国後にも復習をしたい。
この日、ホンジュラスのカウンターパート1名が午前中いなかった。どうやら二日酔いだったらしい。そしてもう一人のカウンターパートも携帯電話の電源を切るとルールとして決めていたのに何回も電話に出ていた。皆で注意すると「デング熱で緊急事態なんだよ!!」みたいな感じで切れていた。そんなの、他にも職員がいるんだから彼らに任せればいいだろうに。だいたい、2時間に1回くらいは休憩があるんだからその時に話せばいいだろう。みんな不愉快になってしまった。こういう困難な人を扱うのもファシリテーション技術の一つ。先生がうまくまとめていた。さすがだと思った。
この日の夕食後は大人しくしていた。他の人たちもそうだった。さすがに皆疲れたようだ。
それにしてもまだ筋肉痛がこない。なぜだろう。サッカーをやった時、運動会で転ぶお父さんの気持ちがわかる、と思ったくらい脚に力が入らなかったのに。もしかしたら筋肉痛になる程も走れないくらい心肺機能が弱ってるのか…11月12日(水)ホンジュラス3日目
セミナー2日目。今日も朝から内容の濃いセミナーだった。先生は途中で飽きないようにレクリエーションを入れながらオジサンたちを上手に扱っていた。勉強になる。
途中、ホンジュラスのカウンターパートが「眠い。ベッドを用意してくれ」などとふざけたことを言っていたので「帰りたいなら帰っていいよ」と冷たく突き放したら苦笑いをしてごまかしていた。自分の立場からすれば言うべきではなかったかもしれないが、そんな気持ちで参加されては困ると思ったので言った。遊びで来たわけではない。
今日は最後にみんなでポスター作り。5つのテーマのうちから1つを選んでそれに関するポスターを作るというもの。うちのカウンターパートは「5つとも作らないといけないのか?」と聞いてきた。1つだと言っているだろうが!! ホントに話を聞いていない。ちょっと頭にきた。その横で別のパナマ人が「鋏を持ってきてくれ」と言ってきた。彼は他の地方保健局媒介虫対策課のトップだが、ここではお客さんではなく参加者の一人なので、自分で探せ、と突き放した。お客さん気分で来られたのでは困る。そこに気付いただろうか。たぶん気付かないだろう。彼らは管理職である。こんな人たちと2年間働くのかと思うとちょっと辛くなった。
ポスターも色々なものが出来上がった。日本人は色々な趣向を凝らしたものを作るがカウンターパートたちは文字が多い人が多かった。ポスターだから一目で見れるものがいい。自分の知っていることや考えていることを全て伝えるのではなく、必要な情報を必要な量だけ最小限のツールで伝える。彼らが苦手な部分なのだろう。プレゼンの進め方でどのような方法が好まれるのか、これを通して勉強できた。彼らにも伝わっただろうか。エルサルのカウンターパート達は比較的若い人も多かったが、彼らは上手に作っていた。年齢の差か。それだけではない気がする。
夕食後は懇親会。各国からお菓子やジュースを持ち寄った。お酒も飲みながら10時過ぎまでみんなで語った。
11月11日(火)ホンジュラス2日目
初日を終えて、やはり来てよかったと心から思った。自分にはコミュニケーション力が大きく欠けるところがあると理解しているが、それを補うにはどうすればいいか、たくさんのヒントが研修にあると感じた。そしてカウンターパートのコミュニケーション技術というか理解力の低さもよくわかった。カウンターパートの能力もわかった。資料や時間の管理能力は非常に高いが、理解する能力や考える能力に難がある。ここを補うように今後の仕事を進めたい。
セミナー、夕食後は参加者たちでサッカー。ここも思いのほか盛り上がった。それにしても走りきれない。ここホンジュラスの首都テグシガルパは標高が約900メートルとやや高いこともあると思うが、それ以前に自分の運動不足を身をもって実感した。明日、筋肉痛が来るといいのだが…
この日からホンジュラスのカウンターパートもセミナーに参加。彼らを相部屋にする為、別の部屋に泊まっていたホンジュラス隊員も我々の部屋へ移動してきた。3人で色々話して楽しかった。
2009年1月18日日曜日
11月10日(月)ホンジュラスへ行ってきます!
今日から15日まで6日間、ホンジュラスの首都テグシガルパで中米シャーガス隊員の広域研修が行われる。参加国は主催のホンジュラス、エルサルバドルとパナマ。隊員は各国から正式偶然2名ずつだった。ホンジュラスには新隊次で3名のシャーガス隊員が来ていて彼らも参加したので合計9名。以前はグアテマラでも協力隊のシャーガス隊員が入っていたが、今は入っていないらしい。どんな人たちがどんな活動をしているのか。自分にとっても楽しみだし、カウンターパートにとっても刺激になると思う。
施設紹介、開会式に続いて夕食。懇親会も兼ねてお酒を飲みながらみんなで話した。ちなみにホンジュラスのビールはこんな感じです。他国のカウンターパート達とも話ができ、友好を深めるのにいい機会だった。JICAの昆虫学関係の方と一緒になぜかホンジュラスの同期隊員も来ていた。彼の叔父らしい。思わぬ形で再会。ちょっと緊張していたが、同期の顔を見て落ち着いた。日本を発つ前に協力隊OVから同期は一生の宝と言われて出てきたが、なんとなく理解できた。