2009年9月16日水曜日

3月22日(日)素晴らしい!!

朝食を済ませてから滝へ出発。高さ100m以上の滝で眺めは壮観と聞いていた。多くの隊員が訪れているので楽しみにしていたが、ついにこの時がきた。滝近くまで馬で行かせてもらった。馬に乗るのは初めて。慣れないと疲れる。要請変更がなければ毎日馬で移動していたのかと思うと、大変なところだったんだなと思う。1時間近く馬に乗り、その後30分くらい歩いて滝に到着。今は乾季なので水が少ないとは言っていたが、非常に素晴らしい眺めだった。太陽の光が差し込んだ時に滝が下に見えた。すごいと思ってよく見たら滝が二重に見えてダブルで感動した。最後は崖のようなところをロープを使って降りて滝壺に到着。ちょっと感動した。例の犬がついてきていたのだが、この犬は水が大嫌いということだったが、誰かがいたずらして滝壺に投げ込んだ。かわいそうに慌てていたが、臭かったのがおさまったのでよかったと思う。大使館の職員の方は真のパナマを発見できただろうか。

午後2時ごろにバスが出るということだったが、結局午後5時半過ぎに出発。今日はダビに帰らず、首都の隊員連絡所に泊まることにした。18年度3次隊が帰ってしまうので最後の挨拶。この日はWBC準決勝アメリカ戦。連絡所に着いた時はちょうど終了間際でみんな盛り上がっていた。無事勝利。やった!

3月21日(土)後輩の任地訪問with大使館職員(美人)

朝10時半に先輩隊員の家を出発してペノノメのバス停で大使館の職員と合流。彼女はもうすぐ帰ってしまうのだが、村に行ってみたいという。今回の目的は新しいパナマ発見だと言っていた。地元に住む隊員が、11時頃発予定のバスがあると言っていたのだが満席だった。午後1時ころにもバスがあるということなので、食事を済ませてからそのバスに乗ろうということになった。ところがそのバスが待てど暮らせどやってこない。結局、午後3時ころに途中まで行けるバスに乗って、そこからは3時間ほど山道を歩こうということになった。3時間ほど歩いてようやく村へ到着。みんなが待っていてくれた。事前に来るという情報は入れていたのだが、いつもより到着が遅いので来るかどうかわからず、夕飯をそれから準備したためちょっと遅い夕食となった。とても美味しい食事で、また行きたいと思った。村に行くと、なぜか歴代の隊員になついている犬が、今回もここで働く後輩隊員にまとわりついていた。面白かった。夜は4人で色々と話して盛り上がった。

3月20日(金)いや~、わかってはいるけどね、イライラしちゃうんですよ。

イライラした一日だった。なんでパナマ人は他人を待たせても何とも思わないんだろうか。信じられない。細かくは書かないが、ホントにイライラした。みんなもっと頭を使えよ!

地方で講演を終えてから事務所に戻るとき、水曜日から金曜日まで予定されていた他地区の媒介虫対策課との会議が中止になったといわれた。割と忙しい予定だったのだが、その会議がなくなるとヒマになる。18年度3次隊が火曜日に帰るので月曜日を休ませてもらうことにした。仕事が終わってからすぐにダビからバスで5時間ほどの町(=首都からはバスで約2時間)、ペノノメへ向かった。明日から後輩隊員が働いているトゥルーという村で滝を見に行く。ペノノメに住む先輩隊員の家に泊めさせてもらった。

3月19日(木)一人で行っても、そりゃつまらんわな。

昨日、仕事中に「明日(つまり今日)は休みだよ」と言われた。ダビ市の聖人の日ということだった。ラッキー。午前中は洗濯や掃除。午後は荷物を新しい家に持ち込んだ後にネットカフェに行き、その後フェリアに行った。祭りに一人で行ってもつまらないと再確認した。

3月18日(水)正社員と契約社員の差はここパナマでも大きいです。

殺虫剤散布とマラリア検査の採決の様子を写真撮影するように言われた。一日車に乗って学校を回って散布の様子を写真を撮ったが、久しぶりに外に出たらやっぱり疲れた。昼は一緒にまわった同僚の家で食べさせてもらった。

仕事が終わってから職場の上司の誕生日会。大きい庭にたくさんの招待客。途中でバンドも来た。ビックリした。酔った同僚から飲めとか踊れとか言われたが無視した。近くに住む同僚と一緒に帰った。タクシーが迎えに来てくれたのだが、驚いたことに昼飯をごちそうしてくれた同僚だった。確か彼は正職員ではないはず。やはり契約社員だと保健省からの給料では足りないようだ。

3月17日(火)もうすぐ新しい生活が始まります。

仕事が終わってから色々な店を見て回った。新し家に入ってから必要そうなものがわかってきた。食器や調理器具も貸してくれるということだったが、セットで買ってしまえば安いので買ってしまおうと思う。新しい生活だし、新しく買い揃えたい。その他にもカーテンなども必要そうだ。そしてなんといっても電子レンジ。できればオーブントースターも買いたい。けっこうな出費になりそうだが、まだ1年以上あるし、帰る前に後輩隊員にあげればいいので買ってしまおうと思う。

3月16日(月)助かります。

3月28日に今住んでいるホームステイ先から引っ越す予定。今月24日に帰国する先輩隊員が住んでいた家に引っ越すのだが、表敬訪問等の関係で彼女は昨日に家を引き払った。荷物が多いのでちょっとずつ持ち込ませてもらうことにした。家に入ると、先輩隊員が残してくれたものがけっこうあった。ホントに助かる。

3月15日(日)気をつけて

午前11時に村を出発。1時間ほどしてインテルアメリカーノハイウェイに出た。ここで彼らとお別れ。気を付けてお帰りください。

ダビについてからよく行く中華屋さんで昼食。テレビでWBCの日本対キューバ戦を見ながら食べていたら、お店の人が「昨日、あなたの友達が来たわよ。彼女、もうパナマを離れるらしいわね。」と言われた。そう、ダビ市内には3人、チリキ県内では全体で6人の協力隊員がいるのだが、そのうち4人が今月の24日で任期を終えて帰国する。ダビ市内ではたった一人の隊員となってしまった。急に寂しくなった。

2009年9月9日水曜日

3月14日(土)先住民自治区初潜入!

朝5時にホテル発。バス停で後輩隊員と合流し5時20分に出発。バスでしばらく平たんな道を行ったが、途中から山道。昨日、飲みすぎた上に遅くまで話していたので眠いしちょっと気持ち悪いし便意は催すしで大変だった。なんとか全てを乗り切り先輩の村に到着。

彼は先住民自治区で働いているが、任期の最後にお世話になった皆さんに料理を振舞いたいのと、持ち帰らない品を村人に売ってその収益を保健所に寄付したいということで、その手伝いをした。要請変更前は先住民自治区に入る予定だったので、初の先住民自治区入りにちょっと楽しみだった。

料理を村人と作る彼は楽しそうだったし、とても愛されている様子が伝わってきた。右の写真はみんなで蒸した鶏の肉をほぐしているところです。夜は男3人で星を見ながら語り合った。電気がないので、星は本当に美しかった。おっさん3人で見たのが残念だった。1晩だけなら楽しいが、2年もの間、電気のない中での生活は大変だったと思う。

3月13日(金)そりゃ、来るわけないよね

今日は朝からフェリア入り。保健省のブースで待っていたが、人が全く来ない。フェリアは昨日から3月22日まで11日間やるのだが、24時間開きっぱなし。ということだった。聞けば、平日の昼間から来るやつはいないとのこと。そりゃそうだろう。だって、みんな働いてるんだもの。結局、午後3時まで、同僚の娘と折り紙をして過ごした。

終業後はサンチアゴへ行きホテル泊。サンチアゴで先輩隊員と合流。明日は彼の村へ行く。

3月12日(木)すいません、これは昨日の話です。

今日からダビでフェリアというお祭りが始まった。パナマ国内でも有数の大きさのお祭りということだった。前日に突然保健省のブースでイベントをやるから出席するように言われた。そのイベントは夜8時からだったが、場所もよくわからないし、会場も大きいので中でも迷うだろうと思って早めに行った。

なんとか8時にはブースに来れたが、待てど暮らせど始まらない。9時を過ぎてしまい、横のディスコでも大音量で音楽を流し始めた。結局9時15分頃から始まったのだがわけのわからんスピーチと小学生以下の見世物みたいなものを見せられた挙句、変な感じで終了。食べ物を出していたが、人もたくさんいたし、時間も遅かったのですぐに帰った。行く必要があったのだろうか。いや、ない。損をした気分だった。

3月11日(水)全部、俺が悪いんです。他人のせいじゃありません。

保健所でシャーガス病講演。のはずだったが、車があるとかないとか朝からもめている。そんなの前から言っておいただろうが!保健所になんとか行ったらドクターが出てきて「前にそちらの事務所に連絡したら、いつになるのかわからないって言うから宣伝もしてないのよ」みたいなことを言われた。確かに、前にこの連絡があったことは聞いた。そして、電話を取ったおっさんに、3月11日にやるよと言っておいた。そして、この保健所に連絡を入れる必要があるかどうかも聞いたが、「大丈夫だよ」、という返事だった。その程度の電話対応もできないのかと思うと寂しくなった。

3月10日(火)やっぱり自宅はいいものです。

午前中に洗濯を済ませ午後一で隊員連絡所を出た。夜10時ころ自宅に着いた。隊員連絡所のベッドマットはいいものを使っているのだが、やはりみんなで寝ているので落ち着いて眠れない。久しぶりに家でゆっくり眠れた。

3月9日(月)そして今日もお手伝い

午前、午後各2時間ずつ日本文化紹介の手伝い。土曜日ほどではないが、なかなかの入りだった。目の前にすごい美人が座ったので、楽しいひと時を過ごせた。

夕飯はJICAスタッフの家でごちそうになった。まだ4歳と1歳半の子供がいるスタッフさん。子供に癒された。

3月8日(日)大掃除、歓送迎会

朝から隊員総出で隊員連絡所の大掃除。半年使った連絡所をきれいに。気持ち良くなった。ただし、本の整理でもめた。本を取っておきたい人ともう捨てちゃっていいんじゃない?という人が出て、結局ここだけはきれいにしきれなかった。

夜7時から、3月24日に帰国する平成18年度3次隊の送迎会兼1月に来た平成20年度3次隊の歓迎会を行った。涙あり笑いありの楽しい会だった。

3月7日(土)内容の濃い一日

朝から頭痛。昨日、あまりお腹にものを入れずに酒を飲んだのが悪かったのだろうか。たまたま、もうすぐ帰る隊員から胃腸薬をもらったのでそれを飲んで1時間半くらい寝た。よくなったので軽く昼食を済ませ、日本大使館主催の日本文化紹介イベントへ参加。JICAが移動の車を出してくれた。隊員連絡所まで車で迎えに来てくれた。先輩の女性隊員と同乗。車にはスタッフとドライバー、そして初対面の人がいた。誰だろうと思っていたら、先輩隊員も「誰?」と小声で聞いてきた。それに気づいたのか彼女から自己紹介をしてくれた。新しい隊次の人らしい。彼女は2か月ちかくパナマにいるはずだが初対面。やはり地方都市にいるとなかなか新しい人に会えない。

日本文化紹介イベントは大盛況だった。午前中は隊員有志によるよさこい披露。午後から折り紙と日本語の授業。隊員は折り紙を手伝った。午前中から踊っていた隊員に合流し折り紙を手伝ったが、人が多すぎて大変だった。

夜は大使公邸で夕食会。バーベキューやカレーなどを食べた。男性隊員はジーパンにポロシャツのような簡単な服だったが、女性隊員は着飾っていた。女性は大変だなと思った。そして普段はあまり化粧をしていない隊員もこの日は化粧もばっちり。化粧でずいぶん変るもんだなと思った。同期隊員は浴衣で来ていた。最初は「おっ!」と思ったが、ビュッフェスタイルで食事を取っている様子はビジネスホテルの朝食を食べるサラリーマンにしか見えず笑ってしまった。

隊員連絡所に帰ってから夜中までみんなと話した。社会人時代の社内恋愛の話をした。みんな大爆笑だった。ちょっと話しすぎた。