2008年12月23日火曜日

10月31日(金) ようやくつかまりました。

ようやくカウンターパートがつかまったので広域研修での資料作りが前進。自分の分はずと前に作り終わっていたのだが、彼の分を作るのを手伝わないといけなかったし、彼はまだプレゼンもそれほど上手ではないので、自分の意見をいれながら資料を作った。カウンターパートは基本的にプライドが高い男だと思うが、こちらから言った意見の筋が通っていればそのプライドを捨てて学ぶ姿勢になれる男だと最近わかってきた。

終業時間は午後3時だが時間を延長してなんとか午後4時頃に終えることができた。パワーポイントで資料を作っていたら秘書がそのやり方を今度教えてくれと言ってきた。そんなにパワポを使いこなせるわけではないのだが、事務所の役に立てることならなんでもしたいのでOKと伝えた。

10月30日(木) どいつもこいつも

広域研修に向けて資料を作る予定でいたが、カウンターパートがまたしても不在。結局事務所でブラブラした。今、事務所にいるときは研究室に間借りしているのだが、ラボラトリオの職員と話しているときにお金の話になった。内心、またか、と思いながらも話していた。実は日本を離れる前に持っていた貯金を全部両親にあげてきたのだが、その金額がいくらなのかと聞かれた。教えたくないと何度も言ったがしつこく聞いてきたので仕方なく教えてやったら早速他人に言おうとしていた。職場の上司もアホだが、こいつもアホだ。今は持っていないと言っても、他人から伝わるうちに話の内容が変わっていきそのお金を今持っているみたいな感じになってこちらの身に危険が及ぶ可能性があるし、何よりお金持ちの日本人(大した金額ではないが、パナマ人から見たらやはり大金になる)が腰掛けで来たと思われても困るので切れた風に怒った。その時に彼はもちろんその場にいた上司も、「やべぇ、こいつ怒ってる」みたいな感じで見ていた。必ずしもそれがよいわけではないと思うが、必要な時に怒ってみせるのも必要だとわかった。

10月29日(水) ネットつながらず。誰か助けてください。

月曜日からJICAから貸与されているパソコンがネットにつなげなくなってしまった。特別に何か設定をいじったわけではないのだが。しょうがないのでJICA貸与のパソコンで日本文を書いてからネットが使える別のパソコンで文章を貼り付けてメールを送った。


11時ころに職場を出てPalmiraにある保健所で会議。シャーガスの講演かと思っていたら保健コミッティとの打ち合わせだという。何を言っているのか全然わからず途中で少し寝てしまった。反省。これからシャーガス病のサシガメ監視システム作りをする上で非常に重要なポジションに来る人たちなのに…

10月28日(火) 職場の上司がちょっとアホなんです。

広域研修のカウンターパートの発表の準備をすることになっていたので事務所で待っていたらいつの間にかカウンターパートはいなくなってしまっていた。どうやら車で片道1時間以上かかる場所へ行ってしまったらしい。完全においてけぼりをくらった。しょうがないのでぶらぶらしていたら、同僚がこれから殺虫剤の散布に行くから暇なら一緒に行こうということになった。いい暇つぶしになった。話している間に日本人か中国人が鉄をたくさん買ったから一時期すごく値段が高騰したんだよ。という話になった。それはオリンピックで建設資材が必要だから中国が買い集めたんだよ、と言ったらなるほど、と言っていた。この程度の会話ならなんとなくできるようになってきた。


グアテマラである種のサシガメから感染するシャーガス病の一時中断が認められたという大ニュースが入ってきたのでその資料を髭のボスに見せようとしたら、それは後でいいからさっき撮った写真を見せろと言ってきた。そんなのは後でいいから俺の話を聞けと言ったけど写真が先だ、と言ってきた。こいつアホだなと改めて思った。

10月27日(月) ちょっと落ちてきている時期です。

以前に住民から送られたサシガメが事務所に置きっぱなしになっており、今日確認したら死んでいた。大問題。危機意識があまりにも低すぎる。


11月に行われる広域研修の資料作り。広域研修ではプレゼンの他に宿題も出ているのでそちらに手をつける。自己を振り返る内容のものだった。自分を振り返るのはあまり得意ではない。でもここをしっかりやらないから何事もうまくいかないんだとなんとなく思った。


メールをチェックしたら以前パナマで働いていた調整員の方からメールをいただいた。ちょっと仕事で悩んでいたこともあり、愚痴メールを書いてしまった。せっかくメールをもらったのに、申し訳ないことをしてしまった。


終業後、以前に蚊の調査で伺ったお宅へ。その家の人が日本人と結婚していて(今は訳あって別居中)、日本語を勉強したいからラングエッジエクスチェンジをやろうということだった。こちらもちょうどスペイン語の話し相手を探していたところだったので願ったり叶ったりだ。家に行くと中学1年生の男の子と小学2年生の女の子もいた。中学生の子の数学の宿題も教えてあげながら日本語で話したりスペイン語で話したりした。女の子は人懐っこい子で、男の子の方もなかなか難しい性格だとは聞いていたがそこそこ懐いてくれた。夕飯にカレーをいただいた上に、好きだと言ったらカレールーまでいただいてしまった。11月に連休や広域研修があるため、次回いけるのは11月後半から。楽しみだ。

10月26日(日) こんな街に住んでいます(泥の家ではありません)

朝7時半頃から洗濯。ネットをやったりマンガを読んだりし午前中に連絡所を出た。ダビまでバスで移動。7時間近い道のりは何回やっても疲れる。

7時半頃、ダビのターミナル着。町中のタクシー乗り場まで歩いていたら中心にある公園の噴水がきれいにライトアップされていた。思わず写真を撮ってしまった。

10月25日(土) 3か月前の自分を見ているようです(もっとふてぶてしかったと思いますが)

案の定、二日酔い。


今日、20年度2次隊の人たちが語学訓練を終えて連絡所に来る。待っていたら午後1時半頃に着。男性1名、女性2名。3人ともしっかりしてそうだった。4時頃に新隊次3人、同期、先輩隊員と6人でパナマシティでも指折りの商店街、プラザシンコデマジョ(日本語では55日通り)へ。初めてだったが、先輩隊員がアテンドしてくれたので助かった。ちょっとだけ新隊次の人がわからないスペイン語を助けたりした。自分のスペイン語も多少は上達しているのだろうか。


先輩隊員がダンス発表会に出るということで多くの隊員が見に行ったが自分は連絡所に残ることにした。新隊次の人たちもどこで食べればいいかわからないだろうし。


連絡所の説明に来た首都隊員、新隊次の3人と一緒によく行く連絡所近辺の飲み屋へ。たくさん飲んだ後、さらに帰ってからもう一杯。12時過ぎにダンス組も帰宅しそこからまたさらに飲みと語りに入った。

10月24日(金) この丘も元々はゴミの山

パナマ隊員有志で行っている保健部会という勉強会に参加。ゴミ処理場、通称セロパタコンへ。セロ=小高い山、パタコン=プラタノをつぶして揚げた料理。ゴミをつぶすところからこの名前がついたかと思われる。JICA専門家がこの関係機関で勤務しており、彼が講師を務めてくれた。一日に1370トンものゴミが運ばれてくるらしい。ゴミの増大にまだハードが追い付いていない感があった。途中、小高い丘(左の写真参照)で全体を見渡したが、実はこの丘の下もゴミがある。つまり人工の丘ということだった。ゴミ処理場でリサイクルごみを集める人たち(もちろん違法)も多く見られた。

午後は連絡所に戻り勉強会。どうやらパナマ国内でもごみの問題(路上に捨ててあるごみやセロパタコンの問題)も取り上げられているらしい。この問題がよくなることを祈る。

夕飯は先輩隊員宅で。色々な話を聞けた。人間関係って大変だ。たくさん飲んだ。しかも連絡所に帰ってからさらに飲んだ。飲みすぎだ。

10月23日(木) お墓って、気持ちが沈みますね。

午前中はお墓でボウフラの発生調査。お墓は花瓶やろうそくの瓶が多く置いてあったがボウフラは見つからなかった。お墓での仕事はやはりなんか気持ちが落ちた。10時頃に一通り終わったがなかなか動こうとしない。次はどこ?と聞いたら「まぁ、いいから」みたいな感じで言われた。結局11時頃になっても何もしてなかった。今日は終業後にパナマシティへ向かいたいので、もしも終わっているならすぐに行きたい、というと「それなら行こうか」という話に。なんだよ、1時間近く待たせやがって。

12時発のバスに乗れたので7時ころに着くと、すでにパナマシティ入りしている同期に連絡。それなら夕飯を一緒に食べようということになったが、なぜかこの日はバスが遅くて8時ころにパナマのターミナルに着いた。しかもなぜか5時45分くらいで車内での映画放送をやめてしまったため、またしても中途半端なところで映画が切られた。ムカつく。
結局同期には待っていてもらった。先輩隊員達と地中海料理のレストランに連れて行ってもらった。俺が頼んだ魚料理はおいしかったけど、みんなが頼んだパエリヤは微妙だった。美味しかったけど、油が多すぎてたくさんは食べられない感じ。

10月22日(水) たったの1時間

11月にホンジュラスでの海外研修が本決まりとなったため、その資料作りで事務所に残ることにした。昼過ぎ、一緒にホンジュラスに行くカウンターパートがパスポートを持っていないので作ると言っていた。午後2時半に会ったらもう持っていた。1時間くらいでパスポートが出来るらしい。日本では1週間くらいかかるのに。でもなんか簡単なコピーで誰でも作れそうだった。そういえば保健省の身分証は2週間近く待たされた上に間違いが多すぎて作り直し、結局また2週間待たされた気がする。彼のパスポートは大丈夫だろうか。国民一人一人に渡されている身分証を元にすれば大丈夫なのだろうか。

10月21日(火)すいません、ブログのアップ、すっかりさぼっておりました。

デング熱調査。今日は日差しが強く大変だった。

終業後、先住民地区に行った先輩と合流し昨日もらった日本食を山分けした。その後、中華で食事。今日もたくさん飲んだ。

今日、パナマのホテルによく置いてある英字新聞を見て、パナマの識字率が92%くらいだということを知った。他の中米各国も80%~95%くらいだった。ニカラグアだけは70%を切っていた。ただしこの中米各国の数字が正しいのかどうかもよくわからないが、なんとなく資料を作る時の見当がついた。おそらく(特にパナマでは)シャーガス病に罹患する人は先住民族や山間地の人が多く、従って字が読めない人も多いだろうということが予想できる。字をなるべく少なくした資料を作りたい。