2009年5月31日日曜日

1月20日(火)7セントじゃ何もできません。

昨日は7時過ぎに眠りに落ちてしまったので、たっぷり眠れた。仕事が終わってからラングエッジエクスチェンジをしている人の携帯に連絡をしたが、家族の人が出て今はでかけてると言われた。この時点でプリペイド携帯の残額が7セントしかなかった。入金用のカードを持っていたが今日は3倍デー(4倍デーもある)だったので入金したくなかった。まぁ、別に今日じゃなくてもいいだろう、と思い、そのまま家路に着いた。

1月19日(月)昨晩は遅くに帰宅したもので・・・

朝起きたらもう明るい。時計を見たら午前7時5分。仕事が始まるのが午前7時から。もうこの時点で遅刻確定。しょうがないのであせらずゆっくり行くことにした。結局行っても仕事そんなにないし。なんとなくだらだらと過ごして業務終了。

仕事の後はスーパーへ。今まで長い期間家をあけていたので久しぶりにまとまって食材を買った。

1月18日(日)片道8時間くらいかかるもので・・・

午前中に洗濯を済ませ、連絡所を出る準備は万端。でもなんか元気が出なくてダラダラしてしまった。結局連絡所を出たのが午後3時過ぎ。家に着いたのは午前1時だった。遅すぎ。反省した。

2009年5月27日水曜日

1月17日(土)餃子うめー

ホンジュラスから同期隊員が任国外旅行で来たので、パナマ市内観光のアテンドをした。楽しんでもらえたと思う。この日はカスコアンティグオで年に1度のジャズライブをやっていたのでちょっとだけ見た。が飽きてしまったのですぐに出て、連絡所近くの中華料理店でみんなで食事。相変わらず餃子が絶品だった。

2009年5月26日火曜日

1月16日(金)筋肉痛は相変わらずとれません。

パナマにおける熱帯病研究の権威であるゴルガス研究所へ調整員、他のシャーガス隊員とともに向かった。援助してほしい、と暗に言われたがはっきりと断った。今回の訪問の目的は新しい調整員とゴルガス研究所の担当者を会わせることだったので概ね目的は達したと思う。午後はゆっくりすごした。相変わらず筋肉痛が取れない…

1月15日(木)結果として行けませんでした…

午前中に中間報告会。本来ならば中間なのでもう少し後にしなければならないのだが、1年経ったところで報告して、活動の方向性を修正してもしょうがないので、繰り上げてやらせてもらった。そしてもう1年以上活動しているのにまだ中間報告会をやっていない隊次もあったため、4隊次が2日間に分かれて報告を行った。前日に別のシャーガス隊員が報告を行っていたため、聴く側も大体わかっていたらしく、滞りなく終了。4月のブラジルでの会議、5月のエルサルバドルでのワークショップ、今年下半期の日本におけるシャーガス病学会、来年上半期のパナマでの国際会議に出席したい旨を伝えた。行けるといいなぁ。

午後は問診。前日の尿検査や血液検査で特に問題がなかったらしく無事終了。病院の近くに日本食を売っているスーパーがあるのでそこで片栗粉や味噌汁などを購入して連絡所へ戻った。

1月14日(水)健康診断(アレルギー値以外は健康体でした)

健康診断のため、朝7時前に連絡所を出る。8時くらいに採血等が終わり、みんなで朝食。その後、第3四半期分の費用の精算を事務所で終わらせる。2月末に帰国する調整員がいるので飲む約束をして連絡所へ帰った。翌日に中間報告会があるが、だいたい資料の作成は終わっていたので同期隊員とカスコビエホへ行き買い物をした。

夜は調整員と飲み。色々な話を聞かせてもらった。楽しかった。

1月13日(火)相変わらずの筋肉痛

今日も相変わらず筋肉痛がひどい。が、明日の朝7時から健康診断のため、今日中にパナマシティへ移動しなければならない。動かない身体をなんとか起こし、朝8時頃に家を出発。まったく歩けない。どうしようもない。なんとかバス停まで行きバスに乗る。ここで携帯を忘れたことに気付いた。

1月1日にボルカンに登った隊員から、「バスの階段を降りるのにムチャチョ(添乗員)の助けが必要だった」と言われたが納得した。

なんとか連絡所に着いたところで、他の隊員から歩き方が変だと突っ込まれた。しょうがないでしょ!年初にボルカンに登って、その後に連絡所に来た時に筋肉痛がひどいと言っていた隊員もいた。あの時は彼女の太ももをたたいていやがらせをしたが、今回まんまとお返しをされた。

1月12日(月)体が言うことをきかないとはまさにことこと…

案の定、体が言うことを聞いてくれない。まったく動かせない。立ち上がる動作はなんとかできるが、座ることはできない。これはやばい。体調がよければ、今日のうちにパナマシティへ移動しようと思ったが一日家で過ごすことにした。今日がハッピーマンデーで本当によかった。

2009年5月24日日曜日

1月11日(日)下山の方がきついです。


先週ボルカンに上ったメンバーからは寒くて寝れない、と言われていたが、カップ麺を食べて身体がポカポカしたまま寝袋に入ったので特に寒いということはなかった。地面が固くてなかなかゆっくりは眠れなかったが、いい休養にはなった。


朝食後、残り10数メートルを上り山頂へ。ここがパナマで一番高いポイント。眺めがよく、カリブ海、太平洋の両方を見ることができた。


下りの最初の方はまだ酸素が薄く、ぼんやりしながらの下山だったが歩を進めるにつれ、酸素濃度が上がってきたため頭はしっかりして頭痛もすっかりなくなった。それと反比例するように脚が棒のようになってきた。登りよりも下りの方が肉体的にはきついということがわかった。約7時間かけて下山。最後はフラフラになりながらのゴールだった。

1月10日(土)ちょーきつかったんですが…

今日はいよいよボルカンバルーに登頂の日。朝5時にバスターミナルに集合するため、朝4時に家を出る。予定だったがなぜか時計が見つからず結局4時20分に家を出た。この時間じゃタクシーも流してないだろうし、これは遅刻かな、と思ったらタクシーがたくさん走っていた。おかげで4時半過ぎにターミナルへ到着。他の二人とも合流して登頂口がある町、ボルカンへ。ギアと合流し登頂口へ。この時点ですでに標高約1,900mくらいまで来ているらしい。つまり残り1,500mを上る。

登頂口についたとこで寝袋を渡された。え?寝袋は自分で持って上がるの?それならこんなでかいやつじゃなくて自分で持ってるコンパクトなやつ持って来たのに。女性陣のバックパックが小さいため、寝袋3人分を1人で持つことになってしまった。やられた。ギアはもっと荷物をたくさん持ってるから自分で持ってくれと言われて、なくなく持って上がった。最初は森の中をアップダウン。ずいぶん急な場所もあった。明日は同じ道を帰ると言われたが、ホントにここを下るの?そっちの方が怖いよ、というくらいの道のりだった。

半分を過ぎたあたりでギアから「ここまでが約半分。ここからの方がきついです」。え~、マジで?と思った。後半は本当にきつかった。途中からギアに荷物を全部持ってもらったがそれでも息が切れた。どうやら高山病にかかってしまったようだ。心臓の鼓動が異常に速く、めまいや頭痛に何度も襲われた。

息も切れ切れでなんとか登りきった。一番高いポイントまではあと10数メートルだったが、とりあえず今日はここでテントを張り野宿。約9時間かけて登頂。山頂で見る雲海はとても美しかった。みんなで持ち寄った酒を飲みたかったが、頭痛や吐き気がしたため、夕食のカップラーメンを食べてすぐ寝た。

1月9日(金)登頂前夜

翌日にパナマ最高峰のボルカンバルーへ登頂するため、終業後にスーパーへ。当初は同じ町に住む先輩隊員と二人で登る予定だったが、別の町に住む隊員も来るということで、彼女の到着を待ち3人で夕食。今日は何かの慰霊日で酒を飲んではいけないということだった。いずれにせよ、明日早朝に家を出るため、酒を飲む予定はなかったが。3人で食事を済ませ、家に帰ってから準備をした。

2009年5月21日木曜日

1月8日(木)後で聞いたら、「あいつはよく飲むな」と言われていたらしい

11月末に着任したフィールド調整員が今日、職場挨拶に来た。所属長や地域事務所責任者と挨拶をし無事終了。夕方に同じ市内に住む先輩隊員も合流し夕食。酒を飲みながら彼の経歴や事務所の状況などを聞いた。面白い話を聞けた。それにしてもよく飲む人だった。

1月7日(水)まるで捨てられた子犬のように…

仕事が終わってからてくてくと歩いて帰った。事務所にいたときからなんとなく雲行きが怪しいな、と思ったが大丈夫だろうと思って徒歩での帰宅を決行。途中でぽつぽつと降り始めたが、傘も持っていたし大した量ではなかったのでそのまま歩いた。途中から大雨に。もうびっくりするくらいの大雨。道路がたちまち洪水状態になった。靴もパンツもびしょびしょ。乾季なのにびっくりした。

1月6日(火)もう半年ですが。

プロモーション課の職員と打ち合わせをした。彼女と一緒にうちの鬚上司は彼女の話を真面目に聞いていた。いつも人の話なんて聞かないくせに。彼女のことを買っているのだろうか。それよりも自分でうまく進められないことに腹が立った。

余談だが、今日、パナマに来て半年以上たって初めてブラシを買った。ぼさぼさ頭とこれでおさらばだ。ついでにかかとをこするやつも買おうと思ったが、商品は置いてあるのにバーコードがついていないと言われて買えなかった。なんで!?

1月5日(月)予想外の出来事

仕事始め。さぁ、がんばるぞ!と昨日の晩は思っていたのだが寝坊してしまった。運よくタクシーがすぐにつかまったため、遅刻せずに済んだ。気をつけよう。

仕事はなんとなくぼーっとして過ごしてしまった。こちらも気をつけないと。そしてびっくりしたことに、カウンターパートが3月いっぱいくらいまで休暇に入ってしまうことが判明。シャーガス病、どうするんだよ。っていうか、1月に予定していた講演は誰がやるんだ?

1月4日(日)全員に会えず残念

帰国隊次の人と会えるのは今日が最後。3人ほど連絡所にいたので一緒に記念撮影。彼らに会えるのは早くても1年半後。名残惜しかったが、翌日から仕事があるので昼過ぎに隊員連絡所を出て地元に戻った。

1月3日(土)箱根駅伝 上位入賞!!

今日は一日ゆっくり連絡所でインターネット。久しぶりにブログもアップした。日記は毎日書いているので、アップするネタは揃っているのだが、ネットにつながるとなぜか情報検索やミクシィ、ユーチューブに没頭してしまいブログのアップは疎かになっていた。今日確認したら前回のアップ分で10月末までの日記しかアップしてなかった。2か月分も日記をためてしまった。とりあえず1週間分アップした。

ネットで見たら箱根駅伝で母校が好成績を収めていた。後輩に負けないように頑張りたい。というか、さっさと今年の抱負を決めないと。暑くて年末年始という気がせず、なんとなく3日も経過してしまった。

夜は1月中旬で帰国する次長が連絡所でミニコンサートを開いてくれた。お酒を飲みながら深夜まで楽しいひと時を過ごした。

1月2日(金)初上京

16日に帰国する18年度2次隊に挨拶するために上京。空港まで見送りに行きたいがその日は仕事があるため、前乗りして挨拶だけでもしたい。その前に前日まで山登りをするためにチリキ県に来ていた隊員とダビで合流。美味しいと評判のポジョ屋(鶏の丸焼き屋)で昼食を摂りながら山登りの話を聞いたり、ウィンドブレーカーを借りたりした。昼食後、バスに乗って一路パナマまで。実はプライベートでの上京は今回が初めて。少ない生活費の中から往復のバス代を出すのは非常に厳しいが、お世話になった先輩隊員に挨拶するためなのでやむを得ない。

1月1日(木)やっと新年。もう5月後半ですが何か?

特に掃除をしたり片付けをしたりするわけでもなく正月を迎えてしまった。気づいたら眠りに落ちていて正に寝正月になってしまった。これはいかんと思い直し、夕方に空港まで走った。今は乾季で真夏の気候だが夕方になったら涼しかった。気持ちよく走ることができた。走り終わって家に帰ると、同じ町に住む先輩隊員から電話が。パナマ最高峰のボルカンバルー(標高3,475m)に上ろうというお誘い。実は何人かの隊員が昨日から今日にかけて初日の出を見るために登頂している。自分も行きたかったのだが、12月31日まで仕事があったため行けなかった。次の週末の話で、急だったので悩んだが、行きそうなメンバーは今回上ってしまったので行くことにした。

夕方、部屋の横がやけにうるさいので何かと思ったら馬がいた。思わず撮ってしまった。今年最初の写真です。

2009年5月10日日曜日

12月31日(水)末日まできっちり働きました。

日本ではこの年末年始で9連休も取れるらしい。しかし、パナマでは今日まできっちり仕事。さすがに午前中で終わったが。作りかけだった資料を完成させ、同僚に挨拶してから職場を出た。昼食を済ませてから今日も走ろうと思ったが気づいたら寝てしまった。

午後6時からこの町に住む先輩隊員と飲んだ。夜中の1時頃まで飲んで解散。タクシーの運転手にボラれそうになったがいつもと同じ金額を払って無理やりタクシーを降りた。まったく、正月なのに何を考えてるんだ、この運転手は。

12月30日(火)がっくり。

仕事が終わってから空港まで走った。久し振りだ。それにしても全然走れない。自分でがっくり。しょうがないのでゆっくりゆっくり走った。やはり走るのは気持ちいいし、乾期で雨の心配がないので、これからも時間を見つけて走ろうと思う。

12月29日(月)同期隊員が来ました。

一緒にボカスに行った同期隊員がそのままダビに宿泊し、今日はうちの事務所へ職場訪問に来た。正直な話、人様に見せられるようなきれいなオフィスではないのだが、こういう場所もあると知ってもらえてよかったと思う。

午後はラングエッジエクスチェンジ。カタカナを教えた。途中で家族の愚痴とかを話し始めたので集中するように促して話しを切った。帰る間際に日本に連絡を取りたいので手伝ってほしいと言われた。なんとなくめんどくさいことになりそうな気がしてきた。引く準備もしておこう。

12月28日(日)あと10分早ければ・・・

5時半に宿を出発。途中、コスタリカとパナマの国境へ足を伸ばして記念撮影。バス停に戻りダビ行きのバスに。9時ころに出発したので午後1時過ぎには到着する予定。バスは満席になってしまった。自分は運良く座れたが途中で乗ってきた親子が座れなかった。5歳くらいの男の子が立っていたので自分の膝の上に乗せてあげた。最初は緊張していたようだが、そのうち慣れてきて眠ってしまった。子供が寝るとこんなに重いのかと思った。


休憩を挟んで山道へ。この辺りは11月中旬に大雨が降り死者も出るような騒ぎだった。山肌がむき出しになっており、その傷跡を見るだけでも被害の甚大さが想像できた。


そんなことを思っているうちにバスが止まってしまった。なんでも先の橋が壊れそうだったので工事を始めるとのこと。最初は2時間くらい、とか言っていたが結局工事が終わったのは午後6時過ぎ。7時間近くもここで足止めを食ってしまった。とんだ災難だった。

昼食をとることもできず、ダビに着いたのは午後8時過ぎ。みんなを連れてよくいく中華レストランへ行った。閉店まで1時間くらいしかなかったのでやばいかな、と思ったがみんな空腹だったため無言で食べた結果30分くらいで完食。心配は杞憂に終わった。

12月27日(土)


小さいボートを貸し切りにしてもらって島々を移動。途中、波が荒くて怖かったがとても楽しかった。マングローブに囲まれた一帯は海が非常に美しく、イルカなども見れてよかった。なんでもマングローブは一枚の葉に吸収した塩分を貯めて、その葉を落とすらしい。そうすることで塩分が溜まらないのだとか。写真の中で何枚か黄色い葉があると思いますが、その葉が塩分のたまった葉です。


夜は一昨日のシーフードレストランへ再び。今日もおいしい食事を堪能した。