2009年6月30日火曜日

2月7日(土)

朝7時半に先輩隊員の家を出発。元協力隊員が関わっているパナマの蘭を栽培しているAPROVACAというNGOを訪ねた。エルバジェという観光地にある。そこを立ち上げた隊員は残念なことに病気で亡くなってしまったとのこと。彼女の功績を称え、パナマで発見された新種の蘭に彼女の名前が付けられているとのこと。

パナマは蘭が有名とのこと。特にこのエルバジェという町だけで15種もの固有種があるらしい。直径約5キロのカルデラ地帯に15種もの固有種があるのがすごいことというのは素人でもよくわかる。

ここのNGOが観光ガイドも兼ねているのだが、そのガイドの研修を兼ねて我々が行くことになった。色々と説明してもらいながら登って、楽しかった。この後、蘭センターに戻り色々と説明してもらった。このときの様子はミクシィ日記でさらに詳しく(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1081773438&owner_id=1902391)。

夕食は亡くなった隊員のお父様が作ってくれたパンを食べながら。シニアの隊員、考古学を研究している人、動植物園の職員で研究をしに来た人などこの日は多くの人が訪ねてきており、色々な話が聞けて面白かった。が、ちょっと飲みすぎた。

2月6日(金)引き続き停電です。

朝になっても電気が復旧しない。今日、仕事が終わってからペノノメに遊びに行く予定なので準備をしないといけないのだが、暗くてどうにもならない。適当に目に入ったものを詰めて職場へ。今日はシャーガスの日。以前に訪ねた家でサシガメが出たらしく改めてその家を訪ねた。相変わらず風が強く、外に出るのは大変だった。

仕事が終わってからペノノメ(ダビからバスで約5時間)に住む先輩隊員の家へ。前に買っておいたスルメをみんなで食べた。

2月5日(木)強風につき停電です。

朝から強風が吹き荒れていた。今日は暇なのでデング熱の調査に出てもよかったが、風が強いのでやめておくことにした。すると11時ころ、事務所にJICAから電話が。なんだろうと思ったら、強風らしいが大丈夫か?という連絡。なぜ事務所にかかってきたかというと、またしても携帯を家に忘れてきてしまった…

午後、突然別の部署の人が訪ねてきた。どうしたのかと思ったら、3月4日に日本大使がうちの地方保健局に来ることになったらしく、その準備を手伝えという話になった。3月4日はシャーガス病の講演をすることになっているのだが、結局日程を変更することになった。

家に帰ったら停電していた。強風で線が切れたのか機械が不調をきたしたのか。すぐに戻るだろうと思っていたら暗くなっても復旧せず。午後6時半くらいになっても復旧しない。暗くなって来たので眠ることにした。

2月4日(水)皆さん、お手数おかけします。

広域研修に出るにはどうすればいいか、色々と考えているうちにまだまだわからないことがたくさんあることに気付いた。先輩隊員や他国の隊員、元シャーガス隊員で今は駒ケ根のスタッフをしているひとなどにメールで質問した。専門家がいないのでこういう風にして情報をかき集めるしかない。不便だ。

2月3日(火)引っ越しします!

シャーガス生息調査の日。12月、1月とほとんど調査に行ってなかったので今週は2回行くようにとの指令が出た。調査地もある程度自分で決めていいみたいな感じだったので地図を見ながら今後の活動地を決めていきたい。

終業後にネットカフェへ。そこに調整員から電話がかかってきた。調整員からの用件が終わった後に、以前にお願いしておいたエルサルバドルでの広域研修参加可能かどうかを聞いてみた。なんか納得のいかない返答だった。やる気がないのだろうか。所長がどうとかじゃなくて、彼がどう思っているのかを知りたい。所長は行くなと言っているのではなく、行くことによってどういう成果が出るのかを教えてくれ、と言ってるだけなのに、彼の中では所長は行くなと言っている、ということに変わってしまっている。今回の広域研修の内容は将来的に絶対に必要になる内容なのに。どうしても参加したい。

家に帰り、家賃を払った時に3月末に家を出たい旨を話した。すっきりとした。ずいぶんあっさりと聞きいれてくれたので、もうある程度こちらが出て行こうとしていることを感づいていたのだろうか。それとも別にどうでもよかったのかな。

2月2日(月)目的はなんですか?

昨日の筋肉痛がかなり出ている。運動不足、やばいなぁ。

今日は同僚向けのセミナー2回目。前回よりもなんかまとまりを欠いた。我々司会側の意思が統率されていない。なぜ、今ここでこのアクティビティが必要なのか。アクティビティをやること自体は目的ではないのに、それが目的になってしまっている部分もたくさんあった。反省しないといけない。セミナーの内容自体はみな、ある程度満足してもらったようだ。

2月1日(日)行けども行けども・・・

宿で朝食を食べていたらスタッフから、「今日はどちらへ行かれるんですか?」と聞かれた。ボケテまで歩きます、というとその道は昨年11月の大雨で閉鎖されてますよ、との返事… まいった。結局、この日合流した地元の隊員たちと話し合い、行けるところまで行ってみよう、ということに。途中でかなり道が崩れているところや逆に埋まってしまっているところがあり、被害の大きさが伺えた。

それにしても行けども行けどもゴールが見えず。6時間どころではなく、7時間以上歩いてもまだ全然。ちょっと情報を取り違えていたのだろうか。でももうここまで来てしまった。7時間くらい歩いたところで、ボケテまであと12キロ、みたいな看板が見えた。え~?もう歩けないよ、と思っているところで親切な人が声をかけてくれた。結局、彼らの車に一緒に行った8人で乗せてもらいボケテの町まで。ダビまではバスで降りてきて、みんなで中華で夕食。ここでも色々な話が出て面白かった。

2009年6月5日金曜日

1月31日(土)体調悪いのに遠出してしまいました。

午前中はカサエスペランサでお手伝い。子供たちと遊ぶ。昼ごろに他の町に住む隊員がダビに到着。今日は彼らと山間の町、セロプンタまでバスで行きそこで一泊。明日は朝からボケテに向けて歩くというプランだ。他の隊員が歩いたことがあるらしく、約6時間だとか。


昼食を美味しいポジョ屋(鶏の丸焼きを売っている)で済ませセロプンタに向かった。夕食を食べているとなんかまた体調が悪くなってきた。あいにく今日は薬を持ち合わせていない。ここセロプンタは標高が高く気温が低い。宿に暖炉があったのでそこで暖まっていたら体調もよくなってきた。今日はお酒はかなり控えめにしてゆっくり。でも夜中の12時頃までなんやかやと話した。

1月30日(金)平熱が低いんです。

約2か月ぶりにシャーガス病の生息調査。今まで同じ場所にばかり行っていたが、どうやらカウンターパートが決めていたらしい。自分としてはとりあえず最初はいろんな所を広く浅く見て、その後に何箇所か活動サイトを決める方がいいと思っていた。職場の上司も同じ考えだったらしく、「なんで同じ場所にばかり行ってるんだ?」みたいなことを聞いてきた。今はカウンターパートが長期休暇中ということもあり、ここで調査しよう!みたいな感じで場所を変えてやってみた。最初、保健所で話を聞くとシャーガス病のことはあまり知らないし、ドクターにセミナーを開きましょう、と言ったらかなり乗り気になってくれた。やはり色々な場所で活動するのが必要だと思った。

仕事が終わる前あたりからなぜか体調が悪くなった。帰宅後、シャワーを浴びてすぐに昼寝。夜8時頃まで寝た。だるいので体温を計ると37.5℃。平温が35.5℃くらいなのでかなりきつい。米を炊く力もなかったので野菜たっぷりのタンメンを食べて薬を飲んだ。ちょっとしたら楽になってきたので体温を測ったら35.9℃。ほぼ平熱に下がった。ここのところ遊びすぎていて休んでいなかったし、夜更かしも過ぎていた。反省。これからは早寝しよう。

1月29日(木)引っ越そうかと思っております。

今日はデング熱調査に出た。今は乾季のため雨がほとんど降らず、デング熱の発生件数も少ないようだが、気を抜けない。

終業後にある家に向かった。今、その家には先輩隊員が住んでいるのだが、彼女は3月末で日本に帰ってしまう。その家は町の中心に近く、職場やターミナルからも近い。今の家は、人がすごくよくて家も奇麗で文句はないのだが、いかんせん町から遠すぎる。しかも、友人が泊まりに来るのはあまり好きではないらしい。今度の家の方が便がよく、友人を泊めても大丈夫だということもあるし、ちょっと生活がだらけてきたので環境を変えるためにも引越しをしたいと考えていた。3月から住む予定の家の家主に会い、色々な質問をした。ある程度納得できる答えが返ってきたので引越しすることを決意。あとはどのタイミングで今の家族に伝えるか。2月分の家賃を払う時に言おうと思う。

1月28日(水)子供かわいい(そういう性癖ではありません)

仕事が終わってからラングエッジエクスチェンジ。今日はなんとなくだらだらと話して終わってしまった。子供たちは相変わらず可愛くて、とても癒された。

1月27日(火)お世話になった調整員さんが帰国されます。

昨日から調整員2名が担当の引き継ぎ挨拶で、そして健康管理の担当職員も地区の病院視察で来ていた。そういうわけで今日はチリキ県の隊員が集まって、調整員達を囲んで食事会を開いた。新しい調整員の人は元々スペイン語圏の隊員ではなかったのだがその後に自費でコスタリカに行き勉強したとのこと。なかなか面白い人だった。今回来た調整員の一人が2月末で帰国してしまう。パナマに来て以来とてもお世話になった人だったのでとてもさみしい。

1月26日(月)広域研修課題やりました。

ついにホンジュラスでの広域研修のアクションプランを実施する日が来た。同僚に対してのシャーガス病のセミナー。実際に話すのはカウンターパートだったりプロモーション課の職員だったりするので、自分は資料を準備するだけだったが、なかなか大変だった。午前中いっぱいをかけて行った研修は非常に評価もよかった。質問も活発に出てきたし、事前に他国の専門家に質問しておいたおかげで回答もスムーズにできた。本当は自分のスペイン語が十分堪能であれば自分でやりたいところだが… これは今後の課題。ただし、自分でやってしまうことによって同僚が「これはJICAの仕事だ」と思ってしまうようだとそれも違う。多少不便があっても同僚を巻き込んで活動をしたい。

1月25日(日)体調管理も重要です。

久しぶりにゆっくりとした休日を過ごした。部屋の洗濯をして掃除をして、本を読んだりちょっと走ったり。ここのところ乾季だからというので遊びすぎていたので仕事を離れても全然体を休めてなかった。ちょっと反省。

1月24日(土)いちおう冬なんですね。

昨日は疲れたのか寝不足だったのか7時半頃に眠りに落ちてしまった。今日起きたのは朝7時半頃。12時間眠った。よく寝た。

朝食を摂ってからカサエスペランサに。子供たちは元気で、楽しかったけどちょっと疲れた。スペイン語、ホントにヤバいなぁ。勉強しないと。でも電子辞書を事務所に忘れてきてしまった。ショック。

ネットカフェで時間をつぶしてから知り合いの家に子供の誕生日のお祝いに行った。ここでも子供たちが多くてたくさんだっこしてあげた。

家に帰る途中、ふと見上げるとオリオン座が見えた。そう、ここパナマでは真夏だけど日本は冬なんだな、と思った。

1月23日(金)お前かい!

久しぶりにデング熱調査の手伝い。昼食中にボルカンバルーで撮った写真を同僚に見せた。「頂上で岩とかに落書きなかった?」と聞かれた。そう言えばあり得ない場所にたくさんの落書きがあった。よくあんなところまで行ったな、という場所に。

「あれ、書いたの俺なんだ」 …? あ~、あなたでしたか。

仕事が終わってからカサエスペランサに行った。今年最初の訪問。子供たちは元気だった。子供はいいなと思った。

1月22日(木)勉強しないといけないとはわっかっているのですが・・・

仕事中にちょっと納得いかないことがあった。スペイン語を勉強しないといけない。

仕事が終わってから久しぶりに走った。元旦以来。これはいかん。近くの空港まで走って、ちょっと休憩してから走ろうと思ったら足首が痛い。山から降りてくるときに一度、思い切り捻った。左足首は捻挫をしやすいのでサポーターをしていた。そのお陰か、その時はなんとかなったのだが、やはり運動するとすぐに痛みが出る。しょうがないので帰りはゆっくり歩いた。

1月21日(水)そんなの知らんわ!

仕事中にラングエッジエクスチェンジをしている人から連絡がきた。どうやら娘に着物を着せたいのだが、帯の巻き方がわらかないから助けてほしいということだった。いや、俺も知らないし。仕事が終わってから彼女の家に向かった。結局、安全ピンで留めて写真を撮っていた。