2008年7月4日金曜日

4日分。ごめんなさい。

とりあえず6月28日~7月1日の日記アップします。長いですが見てやってください。


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ホテル8時発。パナマシティを出て語学訓練のためにチョレラへ向かう。初めてのホームステイ。少し心配。ホテルには語学講師のElvia、パナマオフィススタッフが来てくれた。領収書の件で若干もめたがなんとかなった。

チョレラではまず語学訓練を行うUTP(大学名です)に行く。そこでチュートルと合流。チュートルとは「家庭教師」という意味ですが、ここでは家庭教師というよりパートナーという感じです。パートナーの名前はPatricia18歳。長身で船に関する何かを勉強しているらしい。スペイン語がもっとできれば理解できるのだが… でもそのためにUTPにきているのでしょうがない。その後、ホストファミリーが大学まで迎えに来てくれた。Jabiel, Melva夫妻と娘のMaddison。事務所では4人家族と聞いていたが3人だった。ま、あまり細かいことは気にしない。

ドナドナのようにパナマ派遣の同期隊員3人が順番に分かれていく。俺は2番目。今までは結構楽しかったけども、一人になるとかなり寂しくなる。

ホームステイ先ではトイプードルのブラウニーが出迎えてくれた。すごくかわいい。靴を食べたり脚を噛んだりするがそこも気にしない。餌の横に置いてある飲み水の中でよく水浴びをしているので狂犬病ではないようだ。

昼食はパナマレストランで食べた。おごってもらった。かなり美味しかった。食事的にはパナマに適応できそうだ。しかし、油が多いし、魚や野菜をあまり食べないので体重のコントロールには気をつけないと。

夕食後、家族で「Wall E」という映画を観た。なかなかいい映画だと思うが、案の定スペイン語は全く理解できない。もっと勉強しよう。家に帰ってからお父さん(と言っても39歳なのでむしろお兄さん)とビールを飲む。美味しい。彼はパナマ運河で働く技師だという。国の中枢というと言いすぎかもしれないが、この国では重要な仕事である。

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朝食後、家族でプールに。大人は一人3ドル。おごってもらってしまった。ちゃんとお金を払わないと… 昼食をパナマレストランで。またおごってもらった…

この日はホストファミリーの親戚の家をたくさん回った。もう何軒行ったのか、誰がいたのか、全く覚えられなくて困った。この日もスペイン語の未熟さを痛感した。パナマ人は気さくに話しかけてくれるのに、自分からは話しかけられない。もっと姿勢を変えないといけない。

夕方、同期隊員のホストファミリーの家に行く。色々と話した後に、同期隊員がインターネットをしたいとのこと。我が家(もちろんホストファミリーの家)で出来るので彼を招待。その後、夕食も一緒に食べた。ビールも飲んだ。そう言えば、ビールを飲んだ後にお父さんは運転していた… 確か昨晩、飲んで運転して捕まったら体罰があると言っていた。ま、一杯だし、大丈夫。

同期隊員を送った後に親戚の家で誕生日パーティ。誰の親戚かわからないがたぶんお母さん(というよりはお姉さん)の親戚。帰りに、15歳のmonicaも一緒に車に乗って家に来た。15歳にしては色っぽい。以上。

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昨日は色っぽいと思ったmonicaだが制服を着るとやはり15歳だった。朝食後、お母さん、ホストシスターのmaddison(しつこいようだが27か月なので娘でもおかしくない)に大学まで送ってもらった。一回25セント。2台乗り継ぐので合計50セント。ここではアメリカの貨幣をつかっているが、通貨は独自のものがあるので、セントとは呼ばずにセンターボという。今の俺にとってはかわりはない。もっと長くパナマにいたら愛着がわいてセントとセンターボを使い分けるようになるだろう。

大学では最初3人一緒に、その後に保健省配属組(俺を含む2名)と教育省配属組(1名)に分かれて授業が始まった。駒ヶ根でも外国人の先生だったのでそんなに変わりはないが、2人なのでやはり寂しい。先生が紙を大量に取り出して見せたのでびっくりした。どうやらここのトイレには紙がないらしい。明日から持って行こう。そしてゲーターレイドみたいなドリンクを先生が自分で持ってきた水に入れて飲んでいた。ジュース自体は着色料が大量に入っていて毒々しいくらいの赤だが水と混ぜるとちょうどよい感じに見えた。先生が赤い水を飲んでいると、なんとなく似合う。特にコメントはない。さっそく宿題が出た。そしてプレゼンもやらないといけなくなった。語学訓練の為に来たのだからしょうがない。

授業後にチュートル達と会った。Patricioはなかなか好青年だ。しかもパナマシティで2位に入るほどのバスケのチームの選手らしい。すごい。アニメも好きだと言っていた。日本のことを出来る限り彼に教えよう。みんなで食事。日本人はきれいに食べていたがパナマ人はそうでもなかった。全部食べると太るから、これからは少し残すようにしよう。食後、バスで送ってもらう時に手ぬぐいをあげた。喜んでくれたと思う。

家に戻るとmelvaのお父さんのjose(お祖父さんにあたるが、本当の父親より年下)が待っていてくれた。色々と話した。こういう時間が大切な勉強時間になるのだろう。結構楽しかった。

夕方5時ごろにお父さんとmonicaが帰ってきた。その後、家族みんなとブラウニーで近所の競技場へ行きちょっと走ったり歩いたりした。久しぶりに走って気持ちよかった。maddisonもブラウニーも大喜びだった。ここの家族は若いし恐らくパナマの中でもいい生活をしている方なのだろう。パナマ運河で働いているのでアメリカの影響も強く受けていると思うし、なかなかアメリカナイズ(いい意味で)されていると思う。俺にとっては快適だ。

帰ってきたらタンクが壊れて水が出ないとの事。お父さんが自力で治してしまっていた。さすが技師、というかパナマではこれが標準なのかもしれない。眠くて宿題をさぼってしまった。初の宿題なのに…

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昨日は早くに寝たので目覚めも早かった。だんだん時差がなくなってきた。いいことだ。でも昼間にあくびが出てしまう。これは時差のせいにしている。先生ごめんなさい。今日は動詞の活用とパナマのフィエスタ(祭りとかパーティとか)について。日本で活用をたくさん勉強したのに、案の定忘れてしまっていた。駒ケ根の先生ごめんなさい。

休憩を兼ねて先生、保健省組の3人で大学のカフェテリアに来た。パタコン6枚とパイ、ペプシで85センターボ。かなり安い。やはり学食は世界中でそういうものなのだろう。しかも美味しかった。カフェテリアでは大学まで一緒に来た(送ってもらったが正しい表現かもしれないが、彼女も授業があったので「一緒に来た」にする)近所の学生と会った。かなり美人で色っぽい。英語でいうところのスパンキーだ。でも名前を忘れてしまった。大失敗。どうやって聞き出すか考えないと。

 授業が終わったのは11時半だが、チュートルのPatricioの授業が終わるのは12時半。コンピュータールームでインターネットをやった。横に美人が座っていたが、そのパソコンでは日本語は使えないので、泣く泣く日本語が使えるパソコンに移動。メールを見て、ミクシィをやっている間にPatricioが来た。どうやら早めに授業が終わったらしい。ちなみにパソコンルームのスタッフ(彼の名は多分Felix)もよくしてくれている。日本人ボランティア達は無料で使わせてもらえることになっている。ありがたい。少しでもこの国に恩返ししないと。ネットが終わってからPatricioにパナマ運河について少し教えてもらった。彼は将来パナマ運河で働きたいとのことなので非常にわかりやすく説明してくれた。

どうやら今は試験期間らしく、忙しい合間を縫ってチュートル達は付き合ってくれている。今は中間試験みたいだ。ここパナマでは最初の学期と次の学期の間で2週間の休み、年末に3か月の休みがあるらしい。年度の開始は11日のようだ。このほうがわかりやすくていい。みんなと離れて一人でバスに乗って帰った。そう言えばバスから降りるとき、なんて言うんだっけ。忘れた。たまたま運転席が近かったので運転手のおじさんの肩を叩いて降ろしてもらった。後でmelvaに確認しないと。

4日分、一気にアップしました。長い。ごめんなさい。

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